第13話 「六王兵ファンダリン」
翌日、俺は六王兵最後の一人、「紫煙のファンダリン」の部屋の前に立っていた。
アレクトロがシスティーユ姫への報告を終えた後、俺はそのことをブリガンディに知らせた。やはり彼女も、アレクトロがロストグラフ城へ戻っていたことは知らなかったようだ。
「視察の仕事中に、お忍びで来たんだろーな。ごくろーさんだなー」とか言っていた。
つまり、アレクトロに城内で会うことは、まだ出来ない。
なので先にファンダリンの方へ来たのだ。
ファンダリン将軍は引きこもりらしい。
だから、食事が差し入れられる昼時を狙ってきたのだ。使いの兵士と一緒に中へと滑り込むという、もはや透明人間の常套手段と化した技である。
狙いはピッタリ、正午と同時に現れた居館専属のシェフを見つけ、その背中につく。
彼が運んできた料理と共に入り、シェフが出て行った頃には、しっかりとファンダリンの部屋に潜入することが出来た。
ふう。
我ながら物音や気配を消すのも慣れたものだぜ。
とは言え、ボドの一件ではうっかり音を立てて危機一髪だったからな。慢心は良くない。
ファンダリンは軍部に所属するが、仕事は研究がもっぱらのようで、部隊も持たない。当然、兵士らの教練も無い。
となると、部屋から出られるのは夕食時になるな。
またニュトへの夕飯が遅くなる。しょうがないこととは言え、ちょっと申し訳ない。
さて、ファンダリンの部屋だが、これがとにかく暗かった。
ひたすら暗かった。
窓もカーテンも閉め切られ、真っ暗な中で机の周りだけが明るい。加えて、うっすらと見える感じでは、どこもかしこも物だらけだ。
高く積み上げられた書物。
謎のビンや試験管らしきもの。
食べかけのお菓子。
はっきり言って、アヤシイことこの上ない。王国の研究員というより、魔女の実験部屋みたいだ。
そういえば、なんか変な色の煙も漂ってるし。
「紫煙」の由来って、これか?
その中でファンダリンは椅子に腰かけ、こちらに背を向けて黙々と作業していた。
兵士が運んできた料理にも目を向けない。
……ふむ、これは独り言や愚痴なんかで情報が得られるタイプじゃなさそうだな。
この世界に来て分かったことだが、意外と独り言を喋る人は多い。おそらく現代日本と違い、独り言が恥ずかしいという文化がまだ育っていないからだろう。
もちろん、それは人の性格にもよるし、この間のシスティーユ姫のように一人遊びに興じていたとなれば、見られることに抵抗はあるだろうが。
ともあれファンダリンは独り言も言わなさそうだし、誰かと話すことも少なそうだ。
かと言ってブリガンディのときみたいに、正体を晒すには相手のことを知らなすぎる。
さて、どうするかね。
考えあぐねていると──その時。
「そこにいるのは分かってるよ」
ぬ?
今、俺に話し掛けたか?
……まさかな。
「そのまさかさ。ふふ、驚いちゃったかい? 姿を見せたらどうだ、
や、やっぱり俺に言っているのか?
いやいや、今回は間違いなく、物音ひとつ立てていないぞ……!
「おやおや、まだバレてないと思ってるのかい? じゃあ、そうだな。今から三つ数えるうちに正体を見せなかったら、ファンちゃんから特大の火の玉をお見舞いしちゃおう。さあいくぞ、1──」
え?
マジか?
マジなの?
マジでバレてんの?
火の玉って──
「2──」
魔法か何か──
いやいや、そんなモン、もろに喰らったら──!
「──3!」
「うおおっ、待て待て! いるっ! いるから魔法はやめろ!」
慌てて「クロース・オン」する。
「えっ?」
「……んん?」
顔を防ぐように両手を交差させるが、火の玉は飛んでこなかった。
思いとどまってくれたのだろうか。
だが六王兵が一人、ファンダリン将軍は、どこか間の抜けた声で言った。
「……アンタ、だれ?」
「……は?」
**
「いやー、驚いた驚いた。自分の研究室を手に入れて四年、本当に
「……」
「おや、今さら黙らなくたっていいじゃないか。そこにいるんだろう? ファンちゃんは、君のような面白おかしな存在がいつか現れることを、ずっと心待ちにしていたんだよ。──こいつはまさにミラクルだ!」
バッと子供みたいに両手を上げて喜ぶファンダリン将軍。
みたい、というか、完全に子供だ。見た目も含めて。
めちゃくちゃに散らかった部屋の中を、どういう技術だがスイスイ歩いて、ファンダリンは俺の前まで来た。
好奇心が警戒心を完全に上回っているな。
手にはランプを持っており、おかげで暗闇の中でも顔がよく見えた。
背はニュトよりほんの少し高く、俺より頭二つ小さい。声も幼いし、何よりこの無邪気な表情がそのままクソジャリって感じである。
淡いオレンジ色のふわふわした髪は長く、黒のローブからモコモコとはみ出ていて、半分、服みたいになっている。
目は大きいけれどまぶたが重たそうで、ジトッとしている。睡眠不足なのだろうか、目の下には濃いクマもある。
けれど深い紫色の瞳は好奇心に満ちていて、キラキラと輝いていた。
袖から伸びた手は小さく、細く、引きこもりにふさわしい白さだ。
「……っふー……。まあ、たしかにいる」
観念して、俺も声を出した。
今さらごまかしも通じないだろう。
「しかし君の言ってる意味がよく分からないな。俺の存在に気づいてたんじゃないのか? 本物って何のことだ」
「うわわ、やったー! やっぱり本当にホンモノだよ! ファンちゃん大勝利ー!」
何に勝ったのか。
陰気な見た目の割にテンション高いなぁ。
「えーっと、あのね、うん、アンタが誰かは知らないけど、ファンちゃんがアンタに気付くはずなんて無いよ。だって声は聞こえるけど姿は見えないし、いつの間にいたのかもさっぱりだもの。アレって、ファンちゃんの趣味だから」
は?
「食事が運ばれてきたら、『誰かそこにいるだろう?』って、毎回口に出すのさ。火の玉当てるゾ、1・2・3! ──ってね。そんなふうにやって、実際に誰かがいたら面白いじゃん」
このジャリ、アレか。
ちょっと頭がアレか。
「……毎回?」
「毎回。四年間毎日、朝・昼・晩。たまに寝ちゃって忘れている時もあるけど、通算四千二百九十九回。アンタは記念すべき四千三百回目に現れたミラクルなのさ!」
……まあ。
まあな。
分からなくもない。
俺だって、誰もいない場所で「俺を狙ってる組織の手先め、そこにいるんだろ?」とか、「そこのお前、俺の心が聞こえてるんだろ?」とか、言ったりした経験もある。
中二病というやつだ。
だが、それを毎日三回、飽きもせずやろうとするか?
よっぽど頭のネジが外れてない限り、途中でやめるだろう。
どうやら変わり者だらけの六王兵で、一番やべーヤツに遭遇しちゃったらしい。
それにしても、だ。
「……なるほど、君の高尚な趣味が、偶然にも俺が部屋に忍び込んだタイミングに合致したのは分かった。……けれど俺が怖くないのか? 影も形も無いのに、声はするんだぞ」
いきなり自分の部屋に知らない男がいたら……それも姿の見えない怪しい人物だとしたら、俺だってめちゃくちゃ怖い。
バスタークのような筋肉マッチョならともかく、こんな小柄じゃ対抗する手立ても無いだろうし。
ファンダリンはパチン、と、ひとつまばたく。
「──怖い? ふふ、もちろん怖いさ。アンタが良からぬことを考えているならね。例えばファンちゃんが余りにカワイイから襲ってしまいたい! なんて考えなら、今すぐ毛布に潜るだろうとも」
「いやいや、もちろんそんなつもりは無いよ」
「ホントにぃ? こんなにカワイイのにぃ?」
ファンダリンは、ニュトみたく声を頼りに、俺の方へ顔を上げた。
うん。
たしかに不健康そうではあるが、よく見ると可愛い顔をしているな。
個性的だが、美人の部類と見ていいだろう。
いや……しかし……
「……君って女の子? それとも男の子?」
バシッ!
顔に衝撃を受ける。
音を立てて落ちたのは、どうやらその辺にあった本だった。
「……ふむ、物が当たるということは、どうやら姿は見えなくてもちゃんと肉体があるらしい。しかしファンちゃんのキュートな姿を見ても失礼な質問をする辺り、目は見えてないのかもしれないな」
「見えてます、見えてます。悪かったよ。その……将軍の役にしては若いし、部屋は暗いし、ローブや髪で顔かたちが捉えづらくて……」
「ふん、まあいいだろうさ。性別なんていう曖昧な区分は、見た人の解釈で自由に判断すればいい。それでアンタは一体何者だい? どうしてファンちゃんの部屋を訪ねたんだ?」
結局、男か女かどっちなんだよ。
……まあいいか。今はどっちでもないって人もたくさんいるんだから。
完全に順序が狂ったが、本題を切り出そう。
「ファンダリン将軍。俺の名前はツキトという。あなたの力を貸してほしい」
「ツキト? 変わった名前だなぁ。んー……じゃあいいか、『つっきー』で」
つっきー?
「ねえねえ、つっきー」
つっきー。
なんだろう、この年下に舐められている感。
「つっきーってば。ねえ、力を貸してほしいって、なんで? 何のために?」
何のため……
どうする。本当のことを言っていいのか?
もしもこの子が英雄派なら、俺の存在がボドに伝わってしまう。
いや、こうしてバレた以上、そのリスクはもう負っているものと考えた方がいいか。
それよりも、ここで一戦交える危険性があるか?
いやいや、変人ではあるが賢い子だ。透明人間を相手にするより、今は騙して、後で裏切る作戦を取るかもしれない。
ここはどうやって懐柔するのが正解だろう。
「……君は今のロストグラフをどう思う?」
質問に質問で返してしまった。
この子には嘘がすぐバレる。直感でそう思った。だから少々回りくどく攻めてみたのだが、ファンダリンの返答は意外なものだった。
「どうとも思わない。興味ない。王はよくやってると思うけど、英雄も魔女もどうでもいいよ。ファンちゃんは好きなことを好きなだけさせてもらえる場所と時間が欲しいだけ。その点では今も昔も同じだね」
英雄派か、国王派か──暴君であるボドを快く思う者は少ないだろう。それでなおヤツに味方するのは、圧政に加担することで旨味を吸いたい者だけだ。
今まで出会った六王兵は、皆が国王派だった。
中立派というのは初めてだ。まだ確信は出来ないが……。
「根っからの研究者気質ってことか」
「まあね。つっきーは英雄の手先としてファンちゃんを抱き込みに来たか、反英雄派として力を借りに来たかのどっちかだろう? 王直々の勅使とかではないはずだ。それなら最初にそう言っただろうからね。でも残念だけど、どっちに付く気も無いよ。そんなつまんないことに費やす時間がもったいないもん」
うーん。
何もかも見透かされているな。
けれどその発言は、少し腹に据えかねた。
「……犠牲者がたくさん出ているのにか?」
「その口振りからすると、やっぱり反英雄派なんだね」
ファンダリンは子供らしくニッと笑った。
「……どうかな」
「大丈夫大丈夫、ファンちゃんは英雄派じゃないよ。そんな面倒な派閥争いに首を突っ込んだりしない。姿が見えないつっきーに嘘をつくリスクくらいは、承知してるつもりだよ」
ファンダリンは立つのに疲れたのか、その場に座り込んだ。
「そりゃ苦労してる皆さんは大変だろうなと思うさ。でもそれだけだ。例えばつっきーは、『機王大戦』の時にたくさん死者が出たけど、世界を変えようと思った? 次の日には呑気にパンをかじってたんじゃないかい? 人間なんてそんなもんさ。ご大層な理想を掲げたところで、自分の世界を守るのに精一杯だ。ファンちゃんにとっての世界はこの部屋。この部屋が全て。他人の苦痛に首を突っ込んで、自分が苦しんでちゃ本末転倒だ」
「…………」
何も言い返せなかった。
この子の言っていることは正しい。
バスタークやブリガンディは王のため、システィーユ姫のため──引いてはロストグラフのために俺に協力し、リスクを背負ってくれているが、そんな風に他人のために戦える方が珍しいのだ。
だからこそ、自分を犠牲に出来るヒーローの存在は
俺だって始めは、自分を慕ってくれる
だけどそれからロストグラフの現状を知り、国のために散って行った戦士たちを知り、王や姫の想いを知って──気付けば俺自身も国を変えたいと願うようになっていた。
あるいは透明になる力は、そのためにあるのだと思うほどに。
「……世界を変えるには、自分が変わるしかない」
気付けば声に出していた。
「例え苦しくても、自分が変わることで新しい景色が見られるなら、苦しむ価値もあるだろう。この部屋より面白いものがあっても、ドアを開けなきゃそれが見られないなんて、もっとつまらなくないか。──俺はそう思う」
ファンダリンは大きく目を開けた。
それから小刻みに肩を揺らし、くつくつと声をこらえるように笑った。
「……ふふふ。いいね、つっきー。サイコーだよ。本気でそう思ってなきゃ言えないセリフだ」
元の世界にいたままなら、こんな風に思うことも無かっただろう。
この世界は残酷だけれど、生き甲斐がある。
実際に新しい景色を見た俺自身の発言だから、説得力もあるはずだ。
「つっきーの熱い想いは、よーく分かった。よし、じゃあ交換条件だ。アンタの対応次第では協力してあげてもいい」
「本当か?」
「おおっと、ほだされたわけじゃないからね。つっきーに興味が湧いたのさ。だから、手を貸してあげるよ。そう──その見えない体を色々と調べさせてくれたら、ね」
──。
──……なに?
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