第12話 「透明人間と姫君」
食堂での惨劇から三日。
あれから毎晩、うなされる。
普段はニュトが寝付くまで同じ檻にいて、彼女が寝たら少し離れた場所へ移動するのだが、最近はうめき声が漏れてはいけないと遠くへ移動している。
俺が甘かった。
ニュトと出会い、バスタークやブリガンディと出会って彼らの人柄に触れ、俺の生き甲斐を見つけた気分だった。
何もかもが順調に進んでいる気さえしていた。
今の状況を幸せだと思えていた。
思ってしまっていた。
甘かったんだ。
残酷な支配者による独裁がいかに恐ろしいものか、目の当たりにしてやっと思い知った。
思い詰めちゃいけない。
それは分かっている。
余裕が無くては駄目だ。
だが、人が無残に殺される光景など初めて見たんだ。
精神力も鍛えられたと思っていた。
日本にいた頃の俺じゃ、バスタークと決闘どころか、対等に話すことすら出来なかっただろう。
それでも足りなかった。
二人の兵士が仲間の手で殺されて、
その運命をもてあそぶように兵士ランドがボドに殺されて。
俺は、思わず飛び出しそうになった。
頭が真っ白になって、怒りのままに暴走しかけた。
国王が声を上げなければ、今頃ここにはいなかったかもしれない。
──ニュトの「ヒーロー」になるのなら。
周到に用意し。
確実に行動し。
何よりボドの脅威に屈しないよう──心身を鍛えなければ。
**
「ティナちゃん、今日こそオレたちと遊ぼうじぇー」
「うほほ、いつも可愛いですねぇ」
「今日はボクらが奢ってあげてもいいひょろ〜」
「はいはい、また今度にしてくださいね」
今日も三馬鹿は三馬鹿である。
こいつらはクズだが、頭がすっからかんな連中を見てると安心するな。
まあ、いい加減痛い目を見た方がいいと思うが。
「オイオイ、そうやってオレたちを軽く見てると痛い目に遭うじぇ?」
「オイラたちが英雄様の親衛隊に選ばれる日も近いのですよぉ?」
嘘つけ、ボドを見たこともねーだろ。
お前らビビッて動けねえよ。
「炊事婦だから兵士のことなんて興味ないとでも? ──いいえ、炊事婦はみんな噂好き。あなたたちがとっくに三級兵へ階級を落とされたことも知っていますよ。バスターク将軍に見限られたんでしょう?」
きらり。
システィーユ姫の碧い目が光る。
これは嘘だ。
いや、三馬鹿が三級に降格したのは事実だが、それは炊事婦の噂で聞いたんじゃなく、ブリガンディの報告から得た情報だ。
それにしても姫さま、この前の一件があってからも強気な態度は相変わらずだな。
嫌な予感がするぞ。
「ケッ、バスタークの旦那め、何があったのか、すっかりマジメになっちまってムカつくじぇ!」
「こ、降格したって、お前たち飯炊き女よりはずっと偉いんですからねぇっ」
「いい加減その生意気な態度、改めてやるひょろ~!」
三馬鹿のノッポ野郎、ボーノが、恐れ多くもシスティーユ姫に手を出そうとしたとき──
「──ふっ!」
グシャッ!
と、
姫の鋭い蹴りが、ボーノの股間にめり込んだ。
「あっふぁー……」
ボーノは口から魂を吐くように天を仰ぎ、その場に崩れた。
ぐおお……
こ、これは見るだけで悶絶するぞ……。
いくらクズでも、ちょっと同情してしまうな。
モンキーとファットは口をあんぐりと開けて、固まっていた。
「さすがに、私とバスターク将軍では比べるべくもありませんが……」
姫はパンパン、と服を払いながら涼しい顔で言う。
「知り合いに武術の達人がいるので、本当は貴方がた程度なら相手じゃないんです。それでも実際に触ってこようとするまでは我慢しているなんて、私、偉いでしょう?」
武術の達人……
それって、もしかしなくてもブリガンディのことだよな……。
六王兵の赤鬼サマ直伝のスキルじゃ、鎧も着けてない三馬鹿が勝てるはずもないか……。
いざとなったら助けようと思っていたんだが、必要なかったみたいだな。
「く、くそっ、調子に乗りやがって、許さないじぇ!」
「二人がかりならどうですかぁ!」
今のを見て、力の差が分からないのだろうか。
いや、引くに引けなくなっただけだな。
残った二馬鹿が、今度は同時に姫を襲おうとする。
「じぇえっ!?」
「うほっ!?」
──が。
そのとき二人が急に動きを止めた。
くいくいっ、と腰を変に曲げ、腹の辺りを両手で押さえる。
ゴロゴロゴロゴロ……。
ぐぎゅー……ぴるぴるぴる……。
早朝の食堂に相応しくない、下品な音が響いた。
「おっ……お腹が……」
「痛いんだよぉ……」
おお、これは驚いた。
良いタイミングで
上手く行けばラッキー程度に思っていたんだが。
実は、これ以上三馬鹿がシスティーユ姫にちょっかいを出し、事が大きくなったらまずいなと思って、昨晩少しイタズラをしたのだ。
と言っても、彼らのスープにちょっとだけ、分からない程度にカビや腐ったミルクを混ぜたり、寝ているときに毛布をはがして腹を出させたくらいなんだが。
それでも効果てきめんだったようだ。
「く、くそっ、この女に絡むと、ろくなことが無いんだじぇ……!」
「そう言えば、バスタークの旦那も、ティナちゃんに関わってから変になったんですよねぇ……」
二人は顔を見合わせた。
そこへ姫は、しめたとばかりに口角を上げる。
「そうよ。だって私、魔女だもの」
「──まっ、ままま魔女お!?」
「英雄様のものに手を出したなんてバレたら、殺されちゃいますぅ!」
「え、縁起でもねえ! くそっ、二度と俺たちの前に顔を出すんじゃねぇぞ! ぐおお、漏れそうだじぇえ!」
ボーノを担ぐと、モンキーとファットは尻を押さえながら走り去った。
「……ふん、そんなわけないじゃない。馬鹿ね」
姫はさらりと髪を払って、ゴミを見るような目で彼らの背中を見送った。
機転の利く人だ。相変わらず言動が危なっかしいけど。
ま、めでたしめでたし。
これでしばらくは連中も大人しくしてるだろう。
システィーユ姫の平穏は守られたようだ。
しかし彼女の瞳は少し憂いを帯びている。
「それにしても二度と関わらせないためとは言え……『魔女』を出したのは我ながら最低ね。……あの幼い子を、私たちは見殺しにしているというのに」
そうか。
やはりブリガンディと同様、ニュトについて罪悪感を抱いているのか。
ボドに逆らえないとは言え、その自責の念が消えるわけじゃないのだろう。
「でも……確かに変ね」
俺が思案していると、姫は食堂で一人きりになったにも関わらず(と言っても俺はいるのだが)、ポツリとつぶやいた。
「この前のバ
バカタークとか言われてるぞ、バカターク。
こういうシャレが日本語で聞こえてくるの、未だに不思議なんだよな。
それにしても姫さまは勘が鋭い。
彼女に俺の存在がバレるのはまずいだろう。
突っ立ったまま、声を出さないよう口を押さえる。
……が、きょろりと首を動かしたシスティーユ姫が、ぴたっと動きを止めたとき、その両目は確かに俺を見ていた。
ぐ、偶然だとは思うが……
だが、これで二回目だ。
「ねえ……本当はそこにいるんでしょ、透明人間さん」
うっひょ!?
──と、声が出そうになったが、なんとかこらえる。
「……なんて、そんなわけないか」
目線をそらして首を振るお姫さま。
勘が鋭いなんてもんじゃないぞ。
この子、可愛い顔して、やっぱちょっと危険だな……。
「──わっ!」
うぎょお!
──と、今度こそ声が出そうになった。
なったが、今度もなんとか喉の奥にとどまってくれた。
姫さま、お次はいきなり顔を上げて大声を出しやがった。
いや、本当に危ないから。
マジでバレる寸前だから!
「うふふ、なんだか面白いわね、こういうのって」
しかし俺の焦りとは裏腹に、システィーユ姫は一人、肩を揺らして可笑しそうに笑っていた。
そして俺は気付く。
この子、本当に綺麗だ。
笑うと、いつもの十倍可愛い。当社比で。
間近で見ると尚更だ。
「……ねえ、透明人間さん。そうね、名前は……ムーン。どう? ムーンは透明だから喋れないし、見えないけれど、私の声は聞こえるでしょ?」
そうして彼女は適当な椅子に腰を下ろすと、いもしない透明人間ムーンとやらに語り始めた。
まあ俺はいるんだが。
ついでにムーンって、
「こないだも今日も、助けてくれてありがとう。きっと貴方なのよね。ピンチのときに駆けつけて、私を護ってくれるナイト様は。……ひょっとするとムーンってば、私のことが好きなのかしら?」
姫さまは、本当に透明人間がいるかのように、身振り手振りで「ムーン」とお話をする。
幸い、その視線は俺から外れている。
一人芝居ってやつかな。
空想の友達とお喋りするっていうのは、親が忙しくて構ってもらえない子とか、一人っ子とかに多いらしい。
まさに俺が子供のころ、そういう傾向があったのでよく分かる。
それにしても渡りに船とはこのことだ。
色々と愚痴を聞いてやるぞ。
だからいっぱい喋ってくれ。
この城の構造とか、ボドを倒せるスペシャル武器の隠し場所なんか教えてくれるとベストだ。
「……ねえ、ムーン。いつまでこんな生活が続くのかしら。英雄が私の容姿を気に入ったからって、お父様はブリガンディに私の身を隠させたけれど……あのね、お父様ってば、本当は自分から私を遠ざけたかったのかも」
うむ?
遠ざける?
「ムーンも知ってると思うけれど、小さい頃にお母様を亡くしてから、お父様は私を乳母に預けっ放しだったでしょう? お忙しいのは分かるけれど、一人娘よ? もっと可愛がるのが普通じゃない。……でも私、お父様と遊んでもらった記憶、もう十年以上も無いのよ……」
……ふむ。
これだけ大きな国だ。そりゃ国王が仕事に忙殺されているだろうことは想像するに難くない。
しかしそれ故に、システィーユ姫は寂しい思いをしてしまっているということか。
ひょっとすると、彼女の三馬鹿に対する刺々した雰囲気も、そうした鬱憤が漏れ出たものかもしれないな。
まあ親に甘えたい気持ちは痛いほど分かるが、少なくとも王は、自分から娘を遠ざけたいという理由で、ブリガンディに任せたわけじゃないと思うが。
あの国王は人格者だ。
二年間、ボドと戦っている。
それはこの前の一件だけでも、よく分かった。
「あとどれくらい、ここで働いていればいいのかしら……。あっ、違うのよムーン。ここは良い人ばかりだわ……中にはモンキーたちみたいなのもいるけれど。でも、私は王女だもの。お父様たちが英雄の横暴に耐えている中で、一人だけ安穏としているのは辛いのよ……」
どうやらシスティーユ姫も、立派にロストグラフ王の血を引いているらしい。
「……ふふ。でも良かった。貴方がいてくれれば、もう少しは我慢できそうだわ。私ひとりだとじっとしていられなくて、ここを飛び出しちゃうかもしれないものね」
この姫様、本当にやりかねないから困る。
「ありがと。また明日も話し相手になってね、ムーン」
システィーユ姫は、そう言って立ち上がった。
その横顔は、どこかスッキリしていた。
愚痴を聞くくらいで姫様が満足するなら、お安い御用さ。
もっとも俺の姿は見えていないから、いてもいなくても同じだろうけど。
……。
でも、なーんか姫様は俺の存在に無意識的に気付いてるような気もするんだよなぁ……。
薄ぼんやりとそんなことを考えていると、不意に視界の中に人影が入った。
何だ?
「──おはよう、ティナさん。誰と話していたんだい?」
旧世界風に言うのなら。
国立大学に通いながら、大学サッカーでエースも務めているような。俺とは住む世界がまるで違う、そんな好青年がシスティーユ姫を見下ろしていた。
よく見ると大学生というより、社会人くらいの年齢か。それでも若々しく見えるな。
汚らしいローブを被っているが、襟ぐりからちらりと覗く衣服は間違いなく高価なものだった。
もっとも、こんなに間近で正面から見ないと分からないだろうが。
「ひ、独り言です。……いつからそこに?」
「つい今しがたです。ご安心ください、まだ食堂のおば様方は来ていません。もちろん他の人影も」
「……そう、ならいいわ」
一人芝居を見られたんじゃないかと恥ずかしそうに、姫様は髪をいじりながらごまかす。
少女らしくて可愛らしい一面だ。
しかしすぐに、そんな仕草をどこぞへしまい、王女としての尊厳ある顔で青年を見た。
「──それで、
アレクトロだと……!?
六王兵の三番隊隊長を務める、「白眉のアレクトロ」か。ビッグネームじゃないか。
そうか、この人が。
たしかに「白眉」の名に恥じないイケメンだ。
美しい白髪を長く伸ばし、後ろで一つに束ねている。背が高くて細身ながら、体つきは鍛えられている。首から下げたペンダントには赤い宝石が光り、手袋をした指には指輪がいくつか着いていた。
お洒落さんだな。
たしか今は、城下町の視察に出ているんじゃなかったか?
帰ってきたのだろうか。ブリガンディから聞いていた予定より早いけど。
しかし、そうした思考もアレクトロ将軍の密やかな声で断ち切られた。
「姫様、実は……我が三番隊直属の精鋭が──ジョナスらが、英雄ボドに殺害されました」
システィーユ姫の目が大きく見開かれた。
俺の胸にも、ズキンと痛みが走る。
「そんな……どうして」
「……暗殺計画の失敗です。……私の責任なのです。ボドの元へ潜り込ませた内偵から情報を仕入れ、奴が一人になるという食事時を狙って対決に臨みました。しかし陛下に伺ったところ、ボドに逆手を取られ、我々もまた内部より瓦解したそうです」
……む?
「……裏切り、ですか……」
「……ランドという兵士が、妻子を盾にされたのです。これまでにも毒殺や不意討ちなどの暗殺を謀ってきましたが、英雄ボドの『不死』の力の前に成す術も無く……ならば正面からの対決と陛下も覚悟しての決戦でしたが……無念です」
「そうですか……」
システィーユの表情は、大きく変わりはしなかった。
しかしその内側では、炎のごとく怒りが渦巻いているのを感じた。
アレクトロは、姫の顔を無言で見つめていた。
「……やはり王も共に?」
「一応は作戦の前にお止めしたのですが、『ボドが私を殺したいのならとうにやっている。それより死地に臨む兵士らを鼓舞したい』と……」
「……さすがは王ですね」
その声は、熱を孕みながらも落ち着いている。
「……──ロストグラフを牽引してきた勇者たちの、栄誉ある死です。兵士で繋げば伝達が遅かろうと、何よりもまず、姫に」
「……よく知らせてくれました、アレクトロ。いつもありがとう。……ですが、ここに幾度も足を運べば、貴方の素性が怪しまれます。今後は足を運ぶのを減らして構いませんよ」
「……は。お気遣い、痛み入ります。いけませんな、真面目だけが取り柄ゆえに、まずは姫様に報告という癖が抜けなくて……」
「真面目だけなんて。貴方は剣の腕も王からの信頼も指折りでしょう」
システィーユ姫がそう言うと、アレクトロ将軍はメガネをくっと押さえた。
「……いえ、剣ではルファード大将軍に、王の信頼ではヘイルデン様についぞ敵いませんでした」
「そうした謙虚さも長所のひとつですよ」
「ありがたき幸せ──では、わたしはこれで」
アレクトロは従順に頭を下げると、裏口から出て行った。
早朝の食堂には、俺とシスティーユだけが残された。
「……──ねえ、ムーン。まだいる?」
ああ、いるとも。
「……今の、聞いたでしょ。……私……私ね、ランドさんが奥さんと可愛い娘さんを連れて、買い物をしてるの……見たことあるのよ……」
言葉の端を震わせると、彼女は椅子の上で膝を抱え、その間に顔をうずめた。
「……とても……とても幸せそうだった。……とても……。……うっ……。うう……ふぐっ……。…………」
システィーユの膝から漏れ出る嗚咽を聞きながら。
俺は、心底悔やんだ。
透明人間は誰にも見えない。
「いない者」には、泣いている女の子を慰めることすら出来ない──。
ただ彼女の傍にいて、それから俺はじっと立ち尽くしていた。
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