第11話 「不死の英雄と虐殺の日」
――この日。
この日が、俺の運命を変えた。
目の前で起こる凄惨な出来事を、俺はただ、指をくわえて見ているだけだった。
ニュトを助けるだけじゃなく。
英雄ボドからこの国を解放しなければならないと──
──強く、心に誓ったのだ。
**
冬の寒さがいよいよ本格的になってきた朝。
俺は
この城には、六王兵しか通れない扉、入れない部屋がある。
そこを通り道にすることで、より人目につかないルートを進むことが出来るのだ。大体の場所は窓も無く、外から見られる心配も無い。
そうした場所を通った痕跡が誰かにばれても、バスタークかブリガンディが自分だと申し出てくれるそうだ。
例えば、居館の地下には王族の倉庫があるのだが、奥の棚をどかすと三階まで一気に上がれる階段が現れる。
今日はそこを使い、居館の三階にある食堂を目指していた。
何のことはない、食堂の場所をバスタークから聞いて、ニュトにもっと良いものを食べさせてやれないかと思ったのだ。
食堂の近くには、当然厨房がある。
だが、あえてこのルートを使わずとも、この辺りには、ほとんど
窓の外は相変わらず不気味な、ひび割れた曇り空。
なぜだろう、いやに胸騒ぎがする。
そうして密かに食堂へ足を踏み入れたとき──
──俺は異様な緊張感に全身を震わせた。
そこでは、思いがけない事態が展開していたのだった。
**
食堂は縦に長く、細長いテーブルが部屋の奥まで続いている。
両脇には背の高い椅子が整然と並び、窓は美しいステンドグラスで飾られている。
テーブルには等間隔に花瓶が置かれ、床に敷かれた赤い絨毯にはシワ一つ無い。
間違いなく、ここが王族の食堂だろう。
そこに、二人の人物がいた。
いや、一人は
なにせ男は、座っているにもかかわらず体長が二メートルほどもあり、
服からはみ出した手足や腹の色は青黒く、
岩のようにゴツゴツとした顔は醜くて、
左右で色の違うギョロリとした目と、裂けた口から覗く乱杭歯は化け物じみていた。
男は上座にどっかりと座っている。
その不遜な笑みは、間違いなく自分が支配者なのだと知らせているようだった。
コイツこそが――「英雄ボド」だ。
間違いない。
初めて見たが、想像していた悪党よりも遥かに邪悪な風貌だった。
奴が見下ろす先には、テーブルの下座に立つ初老の男がいる。
食堂にいるのは、その二人だけだ。
どうも静かすぎて変な感じがするぞ。
初老の男は白髪で、年齢以上の苦労が見て取れる。
しかし背筋はしゃんとしており、背も高くて体もがっしりしている。
まだまだ若い者には負けんぞ、という気魄を感じる。
彼は王冠とマントを着けている。
つまりあれが──王か。
ロストグラフ国王。
それが席の下座で、化け物みたいな男を下から見上げている。
六王兵一の戦士ルファードを失った後、英雄ボドに国を乗っ取られ、
ボドの目から逃がすため、システィーユ王女を手元から離し、
六王兵の一人であり王の参謀でもあったヘイルデン将軍を殺され、
そして今や王の立場を追われている。
この悔しさはどれくらいのものだろうか。
様子を見るため、もう少し近づこう。
細心の注意を払い、音を立てないように。
不意に、ボドが口を開いた。
「──『グランデル王』よ。そろそろ私にロストグラフ王の座を譲る気になったかな?」
ひどいダミ声。
深く、低くてしわがれた声。
いくら「機王」を倒したとは言え、とても英雄にはほど遠い印象。
「……とうに実権は貴様のものだ、ボド。今さら肩書きを求めて何になる」
「ふふふ……それはそうだが。前にも言っただろう、“魔女”が育つまで、私は暇なのだ」
魔女──ニュト。
「王よ、私自身は魔女など、どうでもいいのだ。力をつけ過ぎないよう、弱らせておくだけよ。だがヤツを捕らえた今、ヤツが十歳を迎えるまでの二年が暇でしょうがない」
ニュトが魔女の力を得るまでの二年……そこに何の意味があるんだ?
「この国を滅ぼすのも面白そうだが、魔女を隠すには、関所や城、そのための人手なんかが必要だ。私は自ら動くのが面倒くさい。昼も大体は寝ている。だからお前らを生かしている」
「生かすのと、ゆっくり殺すのは違うぞ、ボド」
「ふふふ。ならば生き延ばしていると訂正しようか。──王よ、国民はお前が私に抵抗し、王座だけは譲らないのだと信じる心のみで、ロストグラフに希望を持っている。それが潰えた時に、どんな絶望を見せてくれるか、暇つぶしには持ってこいだとは思わんかね?」
ギリッ、と──
王の歯ぎしりする音が、聞こえるようだった。
「ふはははっ! それだ、それだよグランデル! きっとそんな表情をするだろうなぁ! いや、そんな
……。
正直、最初はヤツの異様な外見に
立ち向かうのが怖い気持ちも、確かにあった。
だが今は──ヤツへの怒りで頭が一杯だ。
何がおかしい?
自殺するほど追い詰められた人を見て何が笑える?
こいつは文字通りの人で無しだ。
「さぁて、笑い話もここまでにしよう。私は食事をしに来たのだよ。何やら珍味を出してくれるということだったが?」
「……ああ。とても変わったものを提供するとも」
さっ、と、王が手をかざす。
すると突然、重い甲冑の音を響かせて、左手にある扉から三人の兵士が姿を現した。
「陛下、後は我らにお任せを」
「今が好機、きっと完遂いたします」
「さ、こちらへ……」
全員が、バスタークほどとまでは言わないが、大柄で、落ち着いており、いかにも手練れな雰囲気を纏っていた。
……なんだ?
これは一体どういう状況だ?
「ぐふふ……私に人を喰う趣味は無いんだがね。グランデル王」
「英雄ボドは、食事の際に独りきりになる……アレクトロの調べ通りだな。余裕か慢心か……いずれにせよ、私設の親衛隊も連れずに気楽なものだ。英雄ボド──ここで死んでもらおう」
──そうか。
国王はヤツの食事中を狙い、精鋭を集めて倒すつもりなのか。
ここでもしも、あの三人の兵士がボドを倒してくれれば──俺があれこれ考えるまでもなく、ニュトは救い出されるかもしれない。
これは応援するしかない。
「……フフフ。あの
ボドはニヤニヤと笑ったまま、まるで相手にしていない。
不気味だ。
またそれを増長するように、右側の目だけが赤く光り始める。
バスタークは、英雄が「不死」だと言っていた。
体に剣を突き立てられても死なない……果たしてそんなことがあるのだろうか。
「たった三人か。しかも六王兵は一人もいないと来ている。一年、二年も掛けて企てた暗殺計画がこれでは、何とも寂しいものだ」
「……多くを連れても、このような狭い場所では仕方あるまい」
こんな話はバスタークやブリガンディからも聞いていなかった。
六王兵にも知らされていないのかもしれない。
特に猪突猛進のバスタークなら、他を差し置いてでも暗殺役に志願しかねないからな。
そういえばここへ来るまでにも全く人を見なかった。
恐らくすでに人払いは済ませてあるのだろう。
どうやら、とんでもない時に、とんでもない場所へ来てしまったようだ。
「王よ、はっきりと言うがいい。本当は私が怖くて仕方ないのだと。どれだけの数をけしかけようと、お前には全滅する未来しか見えていないのだ。十人、二十人に襲わせれば、その数だけ死者が出る……だから、たったの三人なのだろう。六王兵すらいない、三下ばかりなのだ」
「おのれボドめ、我らを愚弄するか……!」
「陛下、どうぞ攻撃のご命令を!」
「奴を倒してみせまする!」
三人の兵士たちは大きな剣を構えた。
こく、と王が小さく頷く。
「よかろう、私を殺したまえ愚かな兵士たちよ! この英雄ボド、逃げも隠れもせん。だが良いか、覚悟するのだぞ。この私は……不死身なのだから!」
そう言うとボドは立ち上がり、両腕を広げた。
立つと三、四メートルありそうだ。なんて迫力だ。
攻撃は一瞬だった。
三人の兵士のうち二人が、掛け声とともに間合いを詰め、気魄の乗った剣を振るう。
残る一人は追撃をするための要員だろうか。
きっと誰もがボドの反撃を想定していたことだろう。
だから実際にボドが手を出すことなく──腹に深々と剣を差し込まれたのには、喜びや驚きよりも、唖然とした気持ちが
……や、やったのか……?
「仕留めたか!?」
「気を抜くな、離れろ!」
傷の深さを物語るように、ボドの赤い血が噴き出る。
例え悪党の血だとしても、見ていて気持ちのいいものではない。
だが、そこには戦慄すべき光景があった。
ボドは不敵に笑っていた。
どう見ても致命傷なのに、ニヤニヤと口をゆがめているのだ。
背筋に冷や汗が垂れる。
バケモノだ──。
兵士らは確かに優秀だった。
敵の異様な様子に怖気付くこともなく、もう一本の剣を抜いて飛び上がる。
そして今度は、一人が首を、もう一人が顔を目掛けて剣を振るった。
ボドは顔を反らせて両方の剣を首に受ける。
今度も直撃。
しかも首だ。そこを断たれて死なない動物などいない。
そしてボドの首は、噴き出す血しぶきに押し出されたかのように飛んで──
──床に転がった。
赤い目は、なお爛々と光っていた。
はあ、はあ、と、誰のものか分からない呼吸が聞こえる。
兵士の誰かか。
国王か。
いや、俺自身のものかもしれない。
やがてゆっくりと王が口を開く。
「……お前たち……やった……よくやったぞ……」
声は震えていた。
「我らの宿願を今こそ果たしたのだ……これでロストグラフは救われた……。ジョナス、マルク、ランド……三人とも、よくやった……──よくぞ──」
その声が、ヒュッ、と音を立てて止まる。
どうした?
国王の視線を辿ると、先ほどボドの首を落とした二人の兵士が顔を引きつらせていて──その胸から、
「……ジョナス……マルク……ゆっ、許してくれ……許して……くれぇ……!」
嗚咽混じりにブツブツと独り言を口にしているのは、今まで動かなかった兵士だ。
「ぐ……ぐぐっ……ラ……ランドっ……お前っ……」
「……まさか……まさか悪魔に魂を売ったというのかぁっ……!」
「許してくれ……! 俺にはもう……もうこうするしかあっ……!」
ランドと呼ばれた兵士が、仲間の二人を背中から刺していた。
なんだ。
どういう状況だ、これは。
まるで現実味が無い。
──ずるり。
ランドが剣を抜くと、二人の兵士は床に倒れて──ビクビクと痙攣したあと、やがて動かなくなった。
……。
「……なぜだ……なぜだ、ランド……。貴様、どうして二人を殺した……! 何に恐怖することもない、英雄はもう死んだのだぞ!」
「……陛下……どうか裏切りをお許しください……。わ、私は弱い人間ですっ……! こうしなければ……英雄が捕らえた私の妻と娘を殺すと……。陛下、どうかっ、どうかご容赦を……!」
ランドの声は震え、顔は血の気が引いて青く、目はギョロギョロと落ち着かなかった。
……妻と……娘を人質に……──?
「もっ、もはや私は英雄の
ランドが剣を振り上げる。
本当に王を殺す気だ。
自分が忠誠を誓った王を、仲間さえ斬った血まみれの手で──。
やめろ、その人を殺したらロストグラフは──
叫び声が喉まで出かかったところで──
──ぐしゃっ。
何かが潰れる耳障りな音がして。
ランドの体は
哀れな裏切り者を潰した巨大なハンマーの柄を握りながら、ゆっくりと敵は巨体を震わせた。
「……なあ、グランデル国王よ……。この男、笑わせるではないか。何が
英雄ボド。
奴の顔はいつしか元の通り胴体の上にあり、血も止まっている。
痛みすら一切感じていない様子で、おかしそうに口の端から笑い声を漏らす。
不死身──。
「ぐはは……──ぐははっ、ぐはははははは! 兵士ランドよ、そこまで妻と娘に会いたかったか! 己の
──。
「くくく、主人を裏切った男と、最後までその馬鹿を愛した女たち……おお何という家族愛! そして哀れにも、信じた仲間に裏切られた愚かな兵士たち! 何という悲劇だ! 王よ、ぜひこれを毎月やろう。退屈しのぎ程度には悪くない余興だった! 出来れば次は、私の
王は呆然と立ち尽くしていた。
そして、がくりと膝から崩れ落ちた。
その拳は後悔と悔しさで、血管が切れそうなほど強く握り締められている。
これがこの国の実態か。
この悪魔のような男が英雄か。
もしも奴が本当に英雄だとしたら──この世界は狂っている。
思わず足先に力が入る。
飛び出そうとした体をこらえたためだ。
怒りの余り。
自分の状況など二の次になっていた。
何も出来ない自分が不甲斐なさすぎて、泣きそうだった。
その時に、音を──出してしまったのだろう。
英雄の視線がこちらを向いた。
──ぞく。
「……王よ、まだ誰かを隠しているのか?」
まずい。
まずい。
もし俺がここで見つかったらどうなる。
ニュトはどうなる。
バスタークやブリガンディにした約束はどうなる。
この国はどうなる。
この国の人々は?
俺に出来ることはたかが知れているかもしれないが──英雄が知らない存在がいる、その一点だけが希望だというのに──。
己の軽率さに強く歯噛みすると同時に、死が迫る恐怖を感じた。
バスタークやブリガンディの時とは違う。
こちらは無策だ。
どうする。
どうする、萩野月人。
「……ふふ。ああ、いるとも。ボド……そら、タペストリーの裏だ。見てみるがいい」
ボドの注意を奪ったのは王の声だった。
そこにはすでに凛々しさが復活している。
何という胆力だ。
「……ふん、王よ──つまらん奴め。貴様はいつになったら折れてくれるのだ? 剣を握ったのが見えたぞ。私が後ろを向いた瞬間、飛び掛かる気だろう」
「……どうだろうな」
「そんなことでこの私は死なんが……貴様から『どうぞ王座を戴きください、私の負けです』と言わせるには、兵士の死では足りんようだな。さすがは一国の王よ。まったくもってつまらん。くく……」
王は立ち上がる。
ボドの非道に屈することなく。
「……珍味は無い。彼らの亡骸を片付けさせるため人を入れるぞ」
「ふはは、遠慮するな王。私に帰ってほしいのだろう。くっくっく、構わん。お前に忠義を捧げた馬鹿どもの腹わたが珍味だなどと、差し出されなくて良かったわ。はっはっは──また会おう」
英雄ボドは、そしてでかい図体をのしのしと揺らし、俺が入ってきたのとは逆側の扉から出て行った。
俺は身動きが取れなかった。
ロストグラフ王は、眉間にシワを寄せていた。
「……全て私の責任だ。……皆、すまぬ」
兵士たちの亡骸をじっと見つめ、
拳を握り、
そして──涙をわずかに、こぼした。
「お前たちの誇りは必ず守る。……それがせめてもの償いだ」
敵の前では決して弱さを見せず、
ただ一人で泣く。
そこにあったのは、紛れもなく、ロストグラフの真の王の姿だった。
血に染まった床と、王の横顔。
その光景は、俺の心に鮮やかに焼き付いた──。
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