第10話 「六王兵の筋トレ教室」

 朝飯を食っていると、ニュトがポツリと言った。

 

「しゃわせだな……」

 

「うん?」

「えへへ、しゃわせだなって」

「幸せ……? 牢屋の中なのにか?」

「でも、ちゅきとがいるもん」

 嬉しいこと言ってくれるぜ。

 

「いや、幸せのハードルが低すぎるだろ。もっとこう……あるんじゃないか。美味いもん食べたいとか、友達たくさん作りたいとか」

「ちゅきとと食べるごはんおいしーし、ちゅきとがともだちだよ」

 ま、今はそれでいいかもしれないけどな。

 

 たしかに今の状況だけ切り取れば、パッと見は平穏そのものだ。

 飯にもありつける、俺たちを邪魔するやつはいない。

 しかし、そもそも牢屋の中というのが問題で、外で遊べもしないし、本を読めもしない。

 また、いつまでも同じ状況が続くはずはないのだ。

 

 ブリガンディいわく、鬼人オーガに伝わる伝承の中で、魔女は「世界のことわりを変える者」として登場するらしい。

 魔女自体を知らない者も多いが、魔女は世界的にかなり異質な存在らしいのだ。

 

 英雄ボドがニュトを捕らえ、生かさず殺さずのまま幽閉しているのも、その辺りに理由があるのだろう。

 そう考えれば、見せかけの平穏はいつ壊されるか分からないものだと、常に頭に置いておいた方がいい。

 

 とはいえ、今は英雄からロストグラフを取り返す準備段階である。

 隠密に行動して仲間を増やし、ボドの弱みを見つけて計画を立てるのだ。

 それまでは、今の状況が大きく動くことも無いし、仮初めの平穏を過ごすのも悪くないかもしれないな。

 

 もちろん、全ての行動は目的に繋げなければならないが、気を張りすぎると良くないって言うし。

 

「ちゅきとはしゃわせ?」

「うん? うーん……」

 

 英雄が支配するロストグラフが、決してまともな国とは言えないが……

 

「……そうだな、ニュトもいるし、幸せだぞ」

 毎日あちこち動いて大変ではあるが、少なくとも親も友達も恋人もいなかった孤独な元の世界より、ずっといい。

 ニュトを救い出すっていう目標もあるし。

 

「えへへ、ニュトも!」

 

 ニュトは、今から飛びかかろうとする仔犬のように身を縮めて、それから思い切り抱きついてきた。

 

「……う? ちゅきと、がっちりした!」

「おう、まだまだだけどな」

 

 ニュトが俺の胸板を触る。

 それなりに体を鍛えた方が良いと思い、最近は牢屋の奥で筋トレをしているのだ。

 

「しゅごーい、カッチカチになっちゃうの?」

「いや、元々そんな筋肉がつきやすい体質じゃないからなぁ。バスタークやブリガンディみたいな天然ものを見ると、あそこまでは……」

「ろくおーへい? のふたりだね! ちゅきとの新しいおともらち!」

 

 友達というと、ちょっと語弊があるかもしれないが。

 バスタークは俺を兄貴分だと思っているし、ブリガンディは弟的な扱いをしてくるからなぁ。

 

「出来れば六王兵全員を味方につけたいんだよな……」

 そうすれば英雄と王を除くロストグラフの権力と武力に、かなり頼ることが出来る。

 

 と言っても、今は六王兵も四人しかいないようだが。

 

 一番隊隊長であった「ルファード大将軍」は、機王の前に倒れた。

 そして二番隊の「ヘイルデン将軍」は、英雄ボドに殺された。

 一番隊、二番隊は、今はそれぞれ国王直属の兵として統合されているらしい。

 ちなみに各隊の副隊長などを務めていた手練れの何人かは、ボドの親衛隊に加わった者が多いという。

 

 現在ロストグラフに残る六王兵は、

 

 六番隊隊長、黒鉄くろがねのバスターク。

 

 五番隊隊長、紫煙しえんのファンダリン。

 

 四番隊隊長、赤鬼あかおにのブリガンディ。

 

 三番隊隊長、白眉はくびのアレクトロ。

 

 ──以上の四人である。

 

 ファンダリン将軍は、六王兵で唯一、戦士じゃない。

 研究者だそうだ。

 滅多に部屋から出てこず、人嫌いらしいので、どう協力を説得するかは考えどころだ。

 

 猪突猛進なバスタークと、天空海闊てんくうかいかつなブリガンディに加え、引きこもりのファンダリン将軍。

 どうも俺の中に、六王兵は個性的な人物が務めるものというイメージが付いてしまった。

 

 しかし三番隊隊長のアレクトロ将軍は、その三人を補って余りあるほどの真面目な人物らしい。

 白眉の、と付く通り顔立ちが良く、ルファード大将軍、ヘイルデン将軍の二人がいなくなってからは、軍部の総司令として部下の教練に励んでいる立派な人だとか。

 剣の腕もルファード大将軍に次ぐほどで、バスタークですら一度も勝てたことがないという。

 

 そんなまともな人物なら、英雄ボドの支配にだって納得しているはずが無いだろう。

 接触するなら、ファンダリン将軍よりアレクトロ将軍からだな。

 

 ──と、思っていたのだが。

 

 間の悪いことに、アレクトロ将軍は現在、城下町の見回りで城を空けているらしい。

 ロストグラフはかなり大きな国だ。

 帰ってくるのは一週間後になるのだとか。

 

 そんなわけで、ファンダリン将軍とアレクトロ将軍の情報を集めつつ、それなりに体力と筋力を付けることが、直近の目標だった。

 

 

 うん?

 筋肉を付ける……か。

 待てよ。

 

 俺はひとつ思いつく。

 

「ニュト、昼飯はちょっとだけ遅くなるかもしれん」

「うん、ニュトへーきだよ」

 

 相変わらずいい子な少女の頭をポンポンと叩くと、俺は中身の無くなった二人分の皮袋を持って牢を出た。

 

 筋肉を付けるなら、エキスパートたちに頼めば良いじゃないか。

 

**

 

「効率の良いトレーニング、っすか?」

 

「ああ、そうだ。英雄と戦うときに、なるべく体を作っておきたいんだよ」

 

 バスタークの部屋に来ている。

 さっき部下の教練が終わったばかりのようで、ちょうどこれから自分の特訓をやるところだという。

 最初に彼の部屋へ来たとき、延々と筋トレをやっていたからな。きっと良いトレーニング方法を知っているんじゃないかと踏んだのだ。

 

「さすがは兄貴です。秘密の特訓というわけっすね。俺に任せてください」

 

 ちなみに俺は布の服、手には手袋、足には靴、顔には手作りの覆面を、それぞれ着けている。

 それで一分の隙も無く隠れるわけじゃないが、この世界が透明人間に優しいところは、基本的に明かりが松明のため、暗がりが多いことだ。

 そのため、フルアーマーでなくとも、「クロース・オン」の状態で行動することが出来る。

 いかにも怪しい格好だが、俺を信じ切っているバスタークは突っ込んだりしないのだ。

 

「じゃあまず簡単なところから行きますか!」

「おう!」

「片手で逆立ちなんかどうっすか!?」

 

 ──は?

 

「おっと、すいません。それじゃあ兄貴に失礼でした。いくら筋肉が無いと聞いても、簡単すぎる提案でした。では手のひらをつけず、五本の指だけで──」

「──いやいや待て待て。お前みたいな筋肉モンスターと一緒にするんじゃないよ」

 慌てて止める。

 

「もっとこう……基礎的なやつを教えてくれよ。誰でも出来そうな、初心者向けのやつをさ」

「初心者向けですか? そんじゃあ……床に寝そべって、上半身だけを起こす運動はどうです? ほら、こんな感じで。──ふんっ、ふんっ」

 

 ああ、つまり腹筋か。

 

「そして調子が良くなってきたら、体を左右に振るんです」

 

 これも見たことある。

 ツイストクランチとか言ったっけ。

 普通に上げ下げするだけだと、腹斜筋が鍛えられないんだ。

 

「そして更にここからスピードを上げ、一度瞬きする間に四回をめどに繰り返します。ふんっ! ふんっ! ふんっ! ふんっ!」

 

 は?

 瞬きする間に四回?

 

「どんどんノッてきますね! ふっ! ふっ! 体が喜びの悲鳴を上げていますね! ふっ! ふっ! そしたら次はっ! 全身の筋肉に感謝しながらっ! 更に速度を上げます!」

 

 なんかやべースイッチ入ったぞ。

 

「そうっ! こんなっ! ふうにっ! 飛び散る汗とッ! 伸び縮みする筋肉! 伸びッ! 縮みッ! 伸びッ! 縮みッ! ああッ! だんだんとッ! 気持ちよくなってきますねッ! 筋肉の快感に負けないでッ! 騎士道五か条を高らかに唱えますッ! 国を守るッ! 王を守るッ! 民を守るッ! ──兄貴ッ! 見てますか、兄貴ッ! ああッ! 俺のッ! 筋肉をッ! その目に焼き付けてますかッ! ──って、あれっ? あ、兄貴? どこ行ったんですかッ? 兄貴ーっ?」

 

 

 

 アイツは完全な筋肉ジャンキーだ。

 頼った俺がバカだった。

 

 ベースの体が違いすぎて何の参考にもならない。

 あと笑顔が爽やかすぎて、ちょっとキモかった。

 

 オーケイ──大丈夫だ。

 頼れる仲間は一人じゃない。

 仕切り直しといこう。

 

 

 俺は少し離れたところにある部屋の扉に耳を当てた。

 部屋主の鼻歌が聞こえたので、廊下に誰もいないことを確認すると、トトント、トントン、と三回ノックを繰り返した。

 

 小さくドアが開いて、ブリガンディが俺を招き入れてくれた。

 

**

 

「──なっはっは。あのチンピラバカにトレーニング方法を聞いたって、何の参考にもならなかったろー? アタシのところに来て正解だぜ。っていうか、何で先に来なかったんだよぅ、つれねぇなぁー」

 

 彼女はニカニカと屈託の無い笑顔で出迎えた。

 

「それにアタシの前なら、そんな息苦しそうなカッコしなくてもいいだろー? さあ脱げ脱げ」

 

 たしかにブリガンディの前なら、姿があるように・・・・・見せかける必要は無い。

 布の服を二重に着ているので、上の一枚は脱ぎ、覆面は取るとしよう。

 頭や手足の先だけが見えない感じだ。

 

 それにしても、相変わらず刺激的な格好をしているな……。

 胸には布を巻いて揺れないようにしているが、それ以外に上着を羽織っていないし、下もショートパンツみたいな短いズボンだけだ。

 本当にロストグラフの兵士どもは、これを見て何も思わないのだろうか。

 不能なのか?

 

 ちなみにこの世界へ来たときに俺が着ていた制服は、もうだいぶ前に暖炉にくべた。

 他の服を着ているとき、この世界じゃ見ない衣服が置かれているのを誰かに見つけられたらまずいからな。

 

「それじゃあ一度床にうつ伏せになって、それから膝をピーンと伸ばし、手のひらとつま先だけで体を支えてみろー」

 

 ええっと、この体勢は……あれか。

 腕立て伏せか。

 

「んで、膝を曲げて体を上げ下げするんだ。そうそう、いい調子だぞー」

 

 腕立ては頭が下がるだけじゃ駄目なんだ。

 ちゃんと胸が床に着きそうなくらい、膝を曲げなきゃいけない。

 

 ふっ、ふっ、ふっ……うん、普段からやっているし順調だ。

 しかしこれなら、わざわざブリガンディに訊く必要は無かったな。

 まあ外からコーチングしてもらうだけでも違うか。

 

「おー、上手い上手い。でもちょっと腹が落ちてるなー。支えてやるから腹筋に力入れろー」

 

 ──ぺた。

 

 うひっ!?

 

「ほらほら、この辺だぞー、分かるか?」

 

 さすさす。

 

 うひょひょ。くすぐったい!

 

「おい、なんかプルプルしてるぞー、ほらほら膝が笑ってる」

「いや、だって、手、手」

「ん? ──はっ。ご、ごめんな、気安く触っちまったー……。……」

 

 さすさす。

 

「お、おい、そう思うなら離せ……」

 

「え、えへへ、ツキトって結構いい体してるんだな……」

 

 セクハラオヤジがいるぞ。

 

 ブリガンディが手を離すと、へなへなと力が抜けた。

 まったく何のトレーニングにもなんねー。

 

「あはは……悪い悪い、ごめんな。アタシも女だからなー。へへ、代わりにアタシのお腹触るか?」

 

「お前さぁ……普段から部下にもそういうセクハラしてんのか? ドン引きされてると思うぞ……」

 

 うつ伏せになったまま、顔だけ横に向ける。

 

「いやいや、アタシはそんな男好きなんかじゃねーよ。ツキトは可愛く見えて、ついつい、いじりたくなっちまうんだよなー」

 

「見えてって、俺の顔も見えないくせに何言ってんだ」

 

 言っとくけど、全くイケメンじゃないからな。

 

 ところがブリガンディは、ずいっ、と近づいて、俺の顔を覗き込んだ。

 

「……こないだ触ったとき、なんとなく分かったぞー? それに、誰かのためにひた向きに頑張るオトコってカッコいいじゃないか。……アタシのことも美人だって言ってくれたし……なんなら、ツキトを気に入ってるのが嘘じゃないって、今ここで証明してやろうかー……?」

 

 ヤバい。

 ブリガンディの熱い吐息がかかる。

 女性ならではの良い匂いがする。

 目線を下げれば、たわわな膨らみと、その間のくっきりとした谷間が見える。

 

 ヤバいヤバいヤバい。

 

「とっ、トレーニングはまた今度にしよう。邪魔したな!」

「なんだよー、やっぱアタシ魅力ねーのかよー」

 

 逆だ、逆。

 俺が緊張してトレーニングにならねぇんだよ!

 

 いじけるブリガンディを置いて、部屋を出た──。

 

 

 ──はあ。

 結局こっちでも参考にならなかったな。

 

 

**

 

 

「ちゅきと、ちゅきと、がんばれがんばれ」

 

「ふっ、ふっ、ふっ、ふっ」

 

「がんばえー」

 

 うん、かなり調子がいいな。

 全身が引き絞られて、いい感じに筋肉がついていくのが分かる。

 

「えへへ、しゃわせだなー」

 

 ニュトを乗せて腕立て伏せをしている。

 さっきはお腹に乗せて腹筋をした。

 

 ニュトと一緒にいられて、適度にキツめの筋トレも出来る。

 一石二鳥だ。

 

 うんうん、と一人うなずく。

 まったくあんな変人どもに頼らず、初めからこうすれば良かったんだよ。

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