第9話 「六王兵ブリガンディ」

「そんで、アタシに何の用だ、全身ヨロイ男」


「俺の仲間になってほしい」


 はあん? と、女兵士は片眉を上げた。


 バスタークと一戦交えてから、三日後。

 俺の方が年下なのに、すっかり兄貴分と慕ってくるようになった彼は、ブリガンディ将軍と話せる機会を作ってくれた。


「まあ……アンタが只者じゃないのは分かってるよ。馬鹿とはいえ、六王兵のバスタークを惚れさせるなんて不思議な男だ。詳しいことは教えてくれなかったが、あいつが笑ってるとこ久々に見たぞー」


 でも、と彼女は続ける。


「それ以上に不思議なのは、どうやってアタシの部屋の前まで来たかだな」


 六王兵の住居は、ロストグラフ居館の一階に並ぶ、六つの大きな部屋が当てられている。

 部屋の前に兵士が立っていたりするわけじゃないが、当然、居館の正門は見張りがいるし、夜にはしっかりと鍵が掛けられる。普通は侵入なんて出来るわけがない。


 だが透明人間なら簡単だ。

 正門が閉まる前に居館へ忍び込み、後は城内をブラブラして夜を待つだけなんだから。


 それにしても、だ。


 ブリガンディ将軍、年頃の青少年にとっては、あまりにも目の毒だった。


 バスタークと違い、彼女はちゃんと俺を用心して鎧は着ている。


 だが、胸当てが浮くほど大きな胸が、それはもう暴力的なまでに存在を主張している。

 お腹は腹筋が綺麗に割れているほどムキムキだが、ヘソ出しスタイルで、健康的なエロさを醸し出している。

 ベッドに座って組んだ脚は長く、筋肉質な太ももが衣服を内側からパツパツに張らせている。

 顔はハリウッドスターとかモデルみたいな美女で、それなのにどこか可愛らしくも見えるのは、全体的に無防備な雰囲気があるからだろうか。

 あどけないというか。

 ポニーテイルの赤い髪も、それ以上に鮮やかなプラチナレッドの瞳も、なんとも華やかで美しい。


 ──と、あんまりジロジロ見てたら怪しく思われるな。

 いや、こちらの視線なんて分からないだろうけど。

今回もバスタークの時と同様、フルアーマーに仮面付きだ。


「……コホン。えーと、ブリガンディ将軍。まずは自己紹介からさせていただこう。俺はツキト・ハギノ。この国の外から来た者です」

「英雄が厳重な関所を作ったのに、外国の人間が来れるのかー? 国はどこだ、隣のジャルバダールか?」

「ニッポンというもっと遠い国ですが、まあそれはいいです。大事なのは、英雄ボドが気に入らないということ。貴女もそう思っているのでは?」


 こないだブリガンディは「英雄が統治するロストグラフは最高の国だ」と言っていた。

 それが心にも無い発言であることは、そのあと被害に遭った廊下の壁が雄弁に物語っている。

 今は人気ひとけの多い昼時ではないし、個人の部屋なら人目も無い。彼女の信頼を勝ち取れば本音を明かしてくれるに違いない。


 しかし考えてみれば俺、女の人の部屋に入るのって初めてかもしれん。


 綺麗な女性と同じ部屋に二人きりか……。


 アホ、何をドギマギしているんだ。


「……そりゃあ今のロストグラフをまともだと思う奴がいるってんなら、そいつがすでにまともじゃないだろうね。だけどアンタに何が出来るってんだ?」


 あっさりと本音を打ち明けてくれた。

 やはりブリガンディも反英雄派だ。


「分からない」

「正直だなぁ」

「そもそも英雄ボドが、どんな奴かも知らない。──けど、明日には貴女より詳しくなっているかもしれない」

「は?」

「まあそんな感じだ」


 ブリガンディは用心深げに、ふうん、と探るような視線を飛ばした。


「……何かの力があるってのは理解したよ。そんじゃあ次は動機だな。英雄を倒して──倒せたとして、アンタは何を求めるんだ?」


 答えようとするも、ブリガンディは「おっと」、と、わざとらしく遮った。


「返答は考えた方がいいぞー? 心酔するとすぐにのぼせ上がるチンピラヤローのことだ、アンタに大事な秘密まで教えたのは分かってる。ノコノコとアタシの部屋にまでやってきたからには、口封じされる可能性だって考えてるだろ?」


 大事な秘密とは、おそらくティナちゃんの……いや、システィーユ姫のことだろう。

 もちろん、懐柔が失敗したときのことだって想定してる。

 ただ、腹を探るのはお互い様だ。


「……その可能性も考えているけど、考えないようにしてるよ。俺が何を求めるか──それはひとつだけ。魔女・・を頂こうと思っている」


 ぴくり。

 ブリガンディの眉が動いた。


「何のために?」


「単純に興味がある」


「それだけで英雄を相手にしようってのか? 笑わせんな。本当は魔女の力を自分のものにしようって腹なんだろ?」

「その口ぶりからすると、貴女も魔女の力を恐れてるんだな」


 なんて、俺は魔女の力のこととか、全然知らないけどね。

 バスタークも知らなかったようだが、ニュトってやっぱ何かあるのかね。


「とにかく、そんな要求は呑めないな」

「凄まじい力が得体の知れない男に渡るのが恐ろしいか? だが今だって、すでに英雄が手にしているじゃないか。持ち主が替わるだけだ」


 ──ガンッ、と、ブリガンディは床を踏みつけた。

 彼女の顔には、明らかな苛立ちが見えた。


「だから……そんな考え方しか出来ないから、交渉決裂だって言ってるんだ。魔女の力が欲しい? 持ち主が替わるだけ? ……あの子はまだ小さな女の子だぞ!」


 ……おお。


「アタシたちだって指をくわえてることしか出来ない。自分の無力を棚に上げて悪いが、アンタと言い、英雄と言い、人を人と思わないヤツを認められるもんか! バスタークめ、人を見る目だけはあると思ってたのに、ヤキが回ったみたいだなー」

 ブリガンディ将軍は、そしてずいっと立ち上がった。

 やはり俺よりずっと目線が高い。大迫力だ。


「アンタの仲間にはならない。蹴り殺されたくなければ、バスタークから聞いた全てを吐きな」


「分かった。全てを教える。だから、絶対に声を出さないと誓ってくれるか?」

「……は?」


 そして俺は、覚悟を決めて──兜を脱いだ。


「はっ!?」


「しーっ! ビックリするのは分かる。だが俺に抵抗の意思が無いことは見ての通りだ。まずは俺の話を聞いてくれ」


 さすがは六王兵といったところか。

 彼女はすぐに冷静さを取り戻し、目の前の異常事態を分析し始めたようだった。


「首が無い……魔法か? 言っておくが、半死人ゾンビたぐいなら容赦しないぞ」


「ゾンビなんかじゃないよ。正真正銘の人間さ。ただし体がちょっと透明だけどね。いわゆる透明人間ってやつだ」


 というかゾンビの概念、あるのか。

 土葬だろうから不思議ではないか。


「トウメイ……ニンゲン?」


 いつかニュト以外の誰かに、この秘密を打ち明ける必要があるのは分かっていたことだ。

 この体は自由に動くには大変便利だが、制限も多い。

 早く口の堅い味方が欲しいと思っていたんだ。


「いいか、見えないだけでちゃんと体はある。この力のことは、バスタークにも教えてない」

「それを……なんでアタシに?」

「手を組むのに最も大事なことは信頼だ。でも俺たちは会ったばかりだし、英雄を倒すまで友情を育む時間も無い。だったら、手の内を明かしてしまうのが一番手っ取り早いだろ?」


 我ながら大胆な、勇気のいる決断だったが、彼女は彼女で、状況を呑み込むのに四苦八苦しているようだった。


「ええっと……確かにアンタは嘘をついちゃいないようだが……ていうか、アタシが今ここで裏切ったらどうするつもりだよ」

「君が賢く、信頼に足る人物であることは、これまでの言動が実証してる。先日、外の廊下でバスタークが英雄に目を付けられないよう、さりげなくフォローしたこと。システィーユ姫を一年間守り続けていること。そして何より、忌まわしい存在らしい魔女であるらしいニュトを庇ったこと」

「……魔女を……アンタ、まさか……」

「彼女をモノ扱いなんてするはずがない。ちょっとばかり試させてもらったのさ。英雄を倒したらニュトは解放する。自由にさせるんだ」


 ふん……と、ブリガンディは眉を寄せた。


「……アタシが、アンタの信頼を得るために魔女を庇い立てた……とは思わないのか?」

「それをするメリットが無いだろう。俺が敵か味方か分からないのに、敢えて逆の主張をする必要が無い。俺が魔女の側にいるかどうかは、バスタークにも教えていなかったからな」

「ふーむ……」


 ブリガンディはうんうん唸っていたが、やがて俺の顔がある辺りへ、視線を下ろした。


「……分かった。手を組もうじゃないか。正直アタシたちも行き詰まっていたんだ。……でも、アンタの得体が知れないのは変わらない。まだ完全に信用したわけじゃないぞ」

「ああ、構わないよ。ありがとう……良かった。俺は体が透明な以外に能は無い。この力がバレてしまえば、君と戦ったところで手も足も出ないだろう。俺を殺したくなったらいつでも殺ってくれ。ただし、ニュトを助け出すまでは我慢してほしいね」

「……はは、変なヤツだなー」


 交渉成立。

 我ながら綱渡りだが、ロストグラフの最高戦力である六王兵の二人を味方に付けたのだ。これを健闘と言わずして何と言う。


 握手でもしとくか?

 と、籠手に覆われた右手を差し出そうとしたとき。

 不意にブリガンディは俺の透明な顔をじっと見つめ──そしてペタリと頰に触れた。


「!?」


 今度は俺が驚く番だった。


「ふむふむ……本当に顔があるな。へええ、これは鼻。こっちはクチビルか? なはは、なんだか面白いなー」

「ちょ、何をす……うぬ、やめりぇ……」

「ふふん、なんだよ。偉そうに喋ってたが、この肌触りからすると、まだまだワカゾーじゃないか。アタシよりも年下かー? にひっ、ちょっと可愛く思えてきたぞー」


 ぐぬぬ……さすがは六王兵の四番、透明人間を前にして、もう慣れてしまったというのか?


「なあなあ、ツキトはなんで魔女を助けるんだー?」

 ブリガンディは、俺の顔をふにふにとつまみながらたずねる。

「……俺が透明にんぐぇんだってことを、最初から気にせず受け入れてくりぇたから……コラ、やめろ」

「ほうほう。純情少年じゃねーかー」

「ぐぬっ……ええい、離せ!」


 俺は彼女の手を振りほどき、距離を取った。


「……ったく……アンタこそ、こうして見ると女戦士ってより、近所のねーちゃんって感じだな」


 思わず言い返したのは、なんとなく優位に進めていたはずの交渉が、逆転されて悔しかったからだ。

 ブリガンディは、にやけ顔のまま小首を傾げる。

「キンジョのねーちゃんって何だ?」

「……隣の家に住んでる美人の昔馴染みで、冗談好きなお姉さんに決まってるだろ。常識だぜ」

 なんで俺はオタク常識を披露しているのか?


 しかしブリガンディは予想外の反応を見せた。


「……んん? そりゃ、アタシが美人ってことか? あっはっは、そりゃ言う相手を間違えてるだろー!」

「なっ、なんで笑うんだ。間違ってないだろ。アンタは充分美人だ!」

「……い、いや……ホントに? あはっ、嘘だろ? 冗談だよな? あっはっはー、ツキトはなかなか面白いオトコだー」

「なんでそんなしょーもない嘘をつく必要があるんだよ……アンタひょっとして、自分が美人だってこと自覚してないのか?」


 彼女はなおも信じてない顔で、ポリポリと頰を掻く。


「いやいや……美人ってのは、例えば姫様みたいな人のことを言うんだろー?」

「部類が違うだろ。あっちはクール美人、ブリガンディは活発美人」

「ええー……えへへっ、ホントに本気かよー……オトコにそんなこと言われるのって、生まれて初めてだぜー。なんか照れるなー」


 なんだよ、ロストグラフは目が節穴のヤツばっかなのか?


「いやぁ……アタシってば戦うことしか無かったからさ……それにほれ、ツノが見えるだろーが。鬼人オーガだぞ、鬼人。フツーは恐れるもんだろー」

「普通って何だ。そんなのちょっとした個性だろ。この国の男は、それくらいで美人を見誤るのか?」

 勿体ないどころの騒ぎじゃないぞ。


 ブリガンディは照れ臭そうに笑いながら、俺の髪をわしゃわしゃと撫でた。

「えへへ……アンタいいヤツだなぁ。ほだされたわけじゃねーけど……。アタシなんかを褒めても何にも出ないからなー?」

「やめろ、子供扱いするな」

「今日はアタシの部屋に泊まってくか?」


 ──は!?


 さも名案を思いついたかのように人差し指を立てるブリガンディ。

 慌てて手を振りほどくと、俺はそそくさと後退した。


「じょ、冗談じゃない。いくら近所のねーちゃんだって部屋に泊めたりしねーよ」

「なんだよつれないヤツだなー。取って食ったりしねーぞ、可愛いヤツめー」


 ええい、このまま良いようにされてたまるか。一日だって無駄に出来ないのに、色々と手につかなくなるわ。


「──そ、それじゃあ、頼みごとがあるときは訪ねに来るからな。うっかり喋っちゃいそうなバスタークには、まだ透明化のことは黙っといてくれよ」

 兜を被り直してノブをひねると、ブリガンディはにこやかに手を振った。


「おう、いつでも来いツキト。ねーちゃんが首を長くして待ってるからなー」


 バタン。

 扉を閉める。


 ……くそ、完全に主導権を握られた。

 ねーちゃんだとか余計なことを言うんじゃなかった。

 ふわん、と体からいい匂いが漂ってくる。

 ええい、思春期真っ只中の男子高生を相手に良い匂いを撒き散らしやがって──


 なぜか敗北感を胸に、ニュトの牢獄へと帰る俺だったのだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る