第6話 「六王兵バスターク〈中編〉」

 バスタークの自室は「居館」にあった。

 居館は、西洋のお城でいう王族が暮らしている本館だ。警備兵が常駐している、というのなら分からなくもないが、兵士自身の個室があるのは驚くべきことだ。

 バスターク自身が王族や貴族であるというなら話は別だが、あの言動を見るに、育ちが良いタイプでは無さそうだ。人のことを言えた柄じゃないが。

 やはり「六王兵」の扱いは別格ということだろう。


 バスタークの部屋をしっかり覚えておこう。

 居館の門をくぐってすぐ左手の廊下を歩き、二番目にある一階の部屋だ。

 もともと城内は昼でも薄暗いが、明かりが松明だけになる夜中に訪れることもあるかもしれないからな。


 さて、それじゃあ一度ニュトに朝飯を差し入れるため、城壁塔じょうへきとうの地下三階へ戻るとするか。


**


 自分の朝食も済ませて、バスタークの部屋へ戻って来た。

 目の前の扉は大きく、貼り紙で「騎士道五か条」と書き殴ってある。

 不思議なことに、日本語で書かれているわけじゃないのに、なんとなく読めるのだ。

 いや考えてみれば、そもそも会話が出来ることの方がすごいのだが。


 まあいつもの、分からないことは気にしないの精神で切り替える。


 この貼り紙……あちこち破れまくってるのが気になるな。

 見れば扉も結構ボロボロだし。何でだ?

 ……まあいいか。


 透明人間の不便なところは、部屋主にドアを閉められると、もう一度部屋主が出入りするときにしか入れないことだ。

 なので今はドアにぴったりと耳をつけ、外から部屋の様子を伺う。

 独り言を喋ってくれるタイプだと、ありがたいんだけど。


「はっ、はっ、はっ」


 規則的な呼吸音が聞こえる。

 どうやらトレーニングをしているらしい。


「くそっ! くそがっ! はっ、はっ」


 不満を筋トレで解消するタイプだな。


「ふん、ふん、ふんっ!」


 トレーニングをしている。


「ほっ! ほっ! ほっ!」


 トレーニングをしている。


 ……。


 …………。


 ………………。


「ふっ! ふっ! ふっ!」


 いやいや、一体何時間やってんだ!?

 いい加減に何か話してくれねーと、ここに来た意味が無くなっちまうよ!


 そうこうしている内に昼になってしまった。

 あーあ。


 モヤモヤを筋トレで発散とか、完全に体育会系じゃねぇか……。

 ティナちゃんとの一件じゃ、最初からつまらなそうな顔をしていたが……どうもバスタークには何か悩みがあるらしいな。


 しかし俺がそれを直接訊くことはできない。

 仕方ない、一旦昼飯を食べに帰るか。


 ──と、そう思ったとき。


 不意に廊下の右手から、とてつもない存在感を持った兵士が現れた。


「おい、チンピラヘタレヤロー! 聞こえてるか、飯の時間だー!」


 そのインパクトは、ある意味バスターク以上だった。


 まず、スゴい美人だった。

 兵士は女性だったのだ。

 ニュト、ティナちゃんと来てまたまた美人かよと驚くが、二人とは系統が違う。


 パッチリとした、印象的なプラチナレッドの瞳。

 目鼻立ちがハッキリしていて彫りが深い。

 まつげが長くて濃い。眉毛もキリリと印象強く、肌はやや浅黒い。

 鮮やかな赤い髪を大胆にポニーテールにまとめ上げている。

 全身にエネルギーがみなぎっているかのように肌にハリがあり、引き締まったしなやかな体でバランス良く筋肉が付いている。

 胸がデカい。

 歩くたびに、ゆっさゆっさと揺れるくらいデカい。

 お尻も大きく、太ももはムッチムチだ。

 背が高い。

 多分、百八十くらいあるんじゃないか、コレ? 俺よりずっと高いぞ。

 そして何より印象的な──額の


 そうだ、間違いなくあれは角だ。

 額から一本、白味を帯びた三角錐型の骨のようなものが生えている。


「にははっ、返事しろコラー? またヒクツになってトレーニングしてんのか? いつも呼びに来てやってるアタシにもっと感謝しろー?」


 女兵士は、驚くことにバスタークの部屋をガンガンと蹴りまくった。


 貼り紙や扉がボロボロだった理由はこれかぁ。

 なんつーアグレッシブな女だよ。


 というか、チンピラヘタレヤローってのはバスターク将軍のことなのか?

 おいおい、あの六王兵だぞ? ティナちゃんにだって、女でも容赦なく殴り掛かろうとしたアブないヤツだ。

 そんな失礼なこと言って、ドアまで蹴飛ばして……ちょっとマズいんじゃないか?


 しかしそう考えつつも、角を持つ彼女に、心の底ではあまり心配していないことに気付く。

 この女兵士もただものじゃない……兵士としての実力的な意味合いで。

 彼女は、思わずそう認識してしまうほどの存在感だったのだ。


 女性兵士は八重歯を見せて笑いながら、楽しそうに扉を蹴る。

 やがてガチャッ、とドアノブが下がる音がした。


「うるせーよ……『ブリガンディ』……! いちいち呼びに来なくたって分かってんだから、偉そうにするんじゃねぇ」


 現れたバスタークは、しかし意外なことに暴れたりはせず、イラついた調子で暗い顔を見せた。

 女兵士は「ブリガンディ」と言うらしい。


「なっはっは! よーやく顔出したと思ったら湿気た顔しやがって! 偉そうにするのは当たり前だろー? お前は六王兵の六番で末席! アタシは四番で二つもくらいが上なんだからなー!」


 って、この女も六王兵かよ!


 しかもバスターク将軍より地位が高いって……つまりもっと強いってことか?

 頭で石造りの調理台を破壊した彼よりも?

 こんな綺麗な人なのに……角も生えてるし、やっぱ普通の女性じゃないのだろうか。


「……なぁ、ブリガンディ。あんな所にあの人・・・がいるとは思わなかったぞ。その辺りの差配はお前が行ってたよな?」


 あの人?

 それってやっぱりティナちゃんのことか?

 なんでそんな腫れ物扱いなんだ……?


「あーん? 誰のこと言ってんのか全然分かんねーぞ。口は災いの門って言葉知ってるか?」


「うるせぇ! おかげでこっちは朝から気分が悪ぃんだよ!」


 大人しくしていたと思ったら次の瞬間──バスタークはブリガンディにパンチを打ち出していた。

 やはりティナちゃんを殴ろうとした時は手加減していたのだろう、今回のそれは速すぎて目にも留まらないほどで──


 ──ゴンッ!


 と、タイヤを金属バットで殴ったようなエゲツない音がして、しかし床に崩折れたのは、バスタークの方だった。


 は? 何が起きたんだ、今?


 残心を取るブリガンディを見ると、しなやかに伸びる筋肉質な右脚が、まるで彫像のように美しく宙でピタリと止められていた。


「にひっ、相変わらずタフな奴だなー。今のを食らって吹っ飛ばないなんてお前くらいだぞー?」

「うるせぇ……いってぇなクソ、この野蛮なメス鬼人オーガが……」


 オーガ。

 すとんと腑に落ちる心地がした。


 額の角。

 鬼人オーガ……つまりブリガンディ将軍は、人間とは別の種族ってことか。


 長身のオラオラ系マッチョと、どうやら人間ですらないらしい女兵士の一瞬の攻防。

 ちょっぴり及び腰になる一般人の俺だった。


 いや、姿が見えなくて一般人は無いか。


 今のはバスタークが繰り出した大砲みたいなストレートパンチを、ブリガンディが軽やかに捌いて回し蹴りを決めた……ってとこだろうか。


 俺、真面目に体も鍛えないと駄目かもしれんね。


「なっはっは、野蛮なんて悪口は言われ慣れてるんだよ! 今度から野蛮ちゃんて呼んでもいいぜ、ヘタレヤロー!」

「くそっ……ブリガンディ、楽しそうに笑ってやがるが、てめぇは悔しくねぇのかよ……!」


 悔しい?


「あーん……?」

「このままでいいと思ってんのかよ!」


 ブリガンディは浮かせた右脚を更に勢い付け、ズガンッ! と、脇の石壁に足先をめり込ませた。


「……もちろんお前が思うとおり、“英雄様が統治するロストグラフは最高の国”だぞー……? ……さあ、そろそろ行かねーと飯が冷めちまう。体動かしたら余計ハラ減ったじゃねーかバカやろー」


 しぶしぶ、と言った調子でバスタークもブリガンディの後に付いて行った。

 石壁に足がめり込むの、彼らの間じゃ日常なのか……?

 俺、めっちゃ驚いたんだが。


 そうして再び一人になった。

 さっきのやり取りから、確信したことが二つある。


 バスタークとブリガンディ──この国を支える六王兵の二人には隠し事があり、どうやらそれは共通の秘密であるということ。


 そしてもうひとつ。やはり英雄には裏があるということ。


 間違いない。

 「英雄様が統治するロストグラフは最高の国だ」──そう言った時の、ブリガンディ将軍の顔。

 さながらどう猛な狼が怒りに牙を剥いたような、敵意に満ちた表情だった。

 もし俺に向けられていたら、小便チビったかもしれん。


 詳しいところはまだ分からないが、ひとまず次の行動に移れるだけの情報は揃ったと見ていいだろう。

 そろそろ大きく動くべき頃合いだ。

 多少の緊張はあるが……大丈夫だ、この世界に来てからというもの、不思議と力が湧いてくる気がする。

 ひょっとすると、ニュトという護るべき相手と出会ったからかもしれない。


 俺はバスタークの扉に書かれていた「騎士道五か条」をメモ帳に書き留めた。


 一、国を守ること。

 二、国を守るために、王と民を守ること。

 三、王と民を守るために、師の尊厳を守ること。

 四、師の尊厳を守るために、約束を守ること。

 五、約束を守るために、王より授かった剣を命より重んじること。


 バスターク将軍は気性が荒く、がさつなようではあったが、「約束は守る」などと豪語していたことからも、この五か条を信念にしていることは間違いないだろう。


 他にも色々と準備が必要だな。


 ――勝負しようぜ、バスターク将軍。

 勝負して、アンタからロストグラフの内情を聞かせてもらう。

 元の世界じゃケンカもしたことないが、ニュトと俺のこれからが掛かってる現状で立ち止まるようなヘタレじゃない。


 奴が恵まれた長身と頑丈な肉体を持つのと同様、俺の透明化も、それに伴う行動も、そこで得た知識も全ては個性・・だ。

 卑怯だとは言ってくれるなよ──将軍。



**



 そして草木も眠る丑三つ時。

 ニュトと夕飯を食べた後にひと眠りした俺は、今、バスターク将軍の部屋の前に立っていた。


 部屋の中からは豪快なイビキが聞こえてきたが、さすが百戦錬磨の将兵。コンコン、とノックすると、イビキはピタッと止まった。


「……誰だ?」


 将軍の声に、俺は頭の中で練ってきたシナリオを始める。


「──夜分に失礼。ロストグラフ王国、六王兵が一人、バスターク将軍閣下の私室に相違ないと見受ける。俺の名前はツキト。ひとつ手合わせ願いたい」


「……ああん? こんな夜更けに試合をしたいだと?」

 バスタークの声には苛立ちが滲んでいた。

「……おととい来やがれ、アホが」


「……ふむ。なるほど……その腰抜けぶり、やはり噂は本当だったか」


 すぐには受けてくれないだろうことは百も承知。

 ここからが勝負どころだ。


「ロストグラフを守るはずの六王兵が、英雄なんぞ・・・・・にへりくだり、尾を振って媚びへつらっているというのはね」


 バンッ! と音がして、将軍が扉を蹴飛ばして現れた。


「てめぇ……今何つった?」


 ぬうっ、と暗闇を背負って俺を見下す。


 でかい。

 でかくて怖い。

 深夜にコンビニでたむろしている不良なんか目じゃない。


 だが、ビビらない。

 ビビったら相手に付け込まれる。


「静かにしてもらいたい。ここは英雄が支配する国なのだろう? 目立つ行動は控えてくれないか」

「……どこの馬の骨とも分からねぇやつがいけしゃあしゃあと──ぶっ飛ばしてや──」


 しかし拳を振り上げようとして、そこでバスタークの動きは止まった。


「……静かに、と言ったはずだ。俺が申し出ているのはただの喧嘩じゃない。これは騎士・・としての決闘なのだ」


 バスターク将軍が拳を止めた理由。

 それは、俺が手に持つ剣を掲げたからに他ならなかった。

 騎士にとって剣は命よりも重いもの。

 それが騎士道五か条。

 無下には出来まい。


 今、彼の目には俺の姿が映っているのだ。

 もちろん生身の姿は見えないだろうが、俺が人型の存在・・・・・だということは分かるようにしてある。


 フルアーマーである。

 フルフェイスのカブトを被り、肩当て、胸当て、腰当て、膝当て、鉄靴てっか手甲てこう……一式を身に付けて、『クロース・オン』によって姿を現している。


 正直、めちゃくちゃ体が重い。

 これは戦うための格好じゃなく、あくまでも存在を示すための衣装だ。


 なので、さっさと話を進める。


「俺は閣下同様、英雄の支配に異を唱えるもの。誠に王や民を守りたいと願うなら、手を組んでいただきたい。だが正体不明の相手が信じられないというなら、決闘で俺の実力を知ってほしい」


「……何を生意気な……てめぇみたいなチビに俺が負けるはずないだろう」

「それはやってみなければ分からない。そんなに自信があると空威張りして、万が一閣下が負けたときにはどうする?」

「ハッ、いいだろう。俺が負けたらてめぇの言うことを聞いてやる。手でも足でも組んでやるぜ」

「言うことを聞くと言ったな。約束出来るのか?」

「騎士に二言は無ぇ」

「──よろしい。ならばここから西にある空き地で待つ。分かるか? 一方が崖、三方が建物に囲まれた場所だ」

「ふん。俺が騎士になり王城に部屋を持ったのは、五年も前だぜ」

「結構」


 廊下の角を曲がった瞬間、『クロース・オフ』でフルアーマーごと透明化する。

 この時間、城内に焚かれる松明は少ない。俺の横を通り、暗がりをのっしのっしとバスタークが過ぎていった。


 ふー、とりあえず初手は上々か。


 さて、さっさとこんな鎧脱いで、空き地へ急がないとな。

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