第3話 「ニュトとの絆」

 この世界に来て、一週間が経った。

 しかし、まだニュトを助けるには色々と仕掛ける必要がありそうだ。


 実のところ、彼女を牢屋から出すには二つの方法しか無い。

 すなわち、ここから連れ出すか、国から釈放させるか。


 前者の方が当たり前に楽に見えるが、実際にそうとは言い切れない。

 どうやらこのロストグラフにおいて「魔女」という存在の扱いは異質なようだ。それはたった一人だけ地下三階の牢屋に閉じ込め、看守以外の人間を近寄らせないようにしていることや、余りに淡白な看守たちの態度からも分かる。


 つまり、他の囚人よりも重要な罪人なのだ。


 そうであれば、脱獄した後も追手が掛かるのは間違いないだろう。二人きりで逃げるには、ニュトは幼く、体力も無い。国境には関所だってあるはずだ。

 まずは何を置いても、栄養のあるものを摂って、清潔にし、健康な体にさせることが一番だ。


 次に、国の方から釈放させる──この方法だが、一見荒唐無稽に見えて、そうとも限らない。

 なぜなら、ニュトは何も悪いことをしていないから。


 もちろん彼女の言い分を信じるならば、だが、もはや俺にニュトを疑うという選択肢は無い。

 つまり彼女が投獄されていることには、彼女が意図しない何かしらの理由がある。

 それを解消すれば、釈放だって夢では無いと思うのだ。


 俺はまだロストグラフ城の城壁塔の、地下と一階までしか行動範囲は広げていないが、人々がそれなりにまともな集団生活をしているのを見ている。

 集団社会が成り立つ場所には、大きく外れた倫理観は無いだろう。

 つまりこちらのプランを取るなら、情報を仕入れることが肝要だった。


 脱獄プランについてはニュトがしっかり食べて運動し、体力をつけることが必要で、釈放プランは俺があちこち聞き回らなければならない。

 それは同じ時間を使いながら、同時に行えることだった。



 もうひとつ、この期間で俺は二つの技を完全にマスターした。

 「手に持った物を透明化する技」と、「身に付けた物を実体化する技」である。


 手に長時間持つ物は、基本的に「荷物」か「道具」の二つしかない。

 「荷物」はカバンなどに代表されるように、ファッションとの境界が曖昧だ。なのでそこへ意識を持っていけば、透明化させるのは難しくない。

 そして「道具」だが、多少難易度が上がるものの、こちらもやりようはある。

 金ヤスリの時がそうだったように、道具は手の代わりになってくれる。

 職人になったつもりで「これは俺の手の代わりだ、延長にあるものだ」と思い込むことで透明化できるのだ。

 ニュトの料理を運ぶときは、食器を「道具」、料理を「荷物」と考えるミックス技でこなしている。

 料理を「荷物」と思い込むのは難しいが、自分がウェイターになったと考えれば、後はスムーズだった。


 いずれにしても、一番大事なのは自分のイマジネーション。考え方こそが透明化の能力の鍵だ。

 始めは手間取ったものの、繰り返すうちにだいぶ自然に行えるようになってきた。


 続いて身に付けた物を実体化する技だが、こちらの場合は透明化とは逆で、「いま着ている物は俺自身じゃない」と思い込むことが重要だった。

 あくまで服は服。自分の体とは別物だと意識する。

 背中側は意識が届かず消えたままになることも多かったが、スマホのカメラでニュトに撮ってもらいながら、完璧に実体化させるまで練習した。

 一週間かけて無事に修得することが出来たので、充電の切れたスマホは例のトイレに捨てた。


 それぞれの技はもちろん可逆である。道具を実体化させること、服を透明化させることは基本だ。


 こうした方法に名前を付けておくと意識が向きやすいので、それぞれ「ツール・オフ(道具の透明化)」、「クロース・オン(服の実体化)」と名付けた。

 この二つは、これから様々な計画を行う上で、俺の力となってくれるだろう。


 特に「クロース・オン」は俺の居場所が分かりやすくなるため抱きつきやすいらしく、ニュトは喜んでいた。

 あまり調子に乗って実体化したままだと看守に見つかるかもしれないから、そうそういつもは使えなかったけどな。


 季節は初冬らしく、牢屋の中も毎日少しずつ冷え込んできた。

 ニュトには毛布が一枚支給されたが、とても寒さを凌げそうなものじゃない。

 こっそり厚手の物に替えてやったが、見た目はボロだし、暗がりで誰かに気付かれることは無いだろう。バレたとしても、他の看守があてがったのかな、と思われるだけだ。


 お湯が手に入った時には体を拭ける用具を揃えてやった。

 食堂で釜にかけられたお湯を拝借し、革袋に入れて石鹸のカケラと一緒に運ぶのだ。

 牢獄や看守の詰め所、食堂や兵士の訓練所なんかを徘徊するうち、この辺りのバランス感覚はだいたい掴んだ。


 夜はしっかり毛布にくるめて温めてやりながら、日中は三食用意し、服も洗って、ニュトの日々が少しでもまともになるよう努めた。

 そうしてこの一週間は彼女への定期的な食料の供給と、効率の良い運動の練習、またツール・オフ、クロース・オンの練習に費やした。



 そろそろ──次のステップへ進む段階だろう。



 俺はあちこちを歩き回って、とても便利な物を手に入れた。


 文明の利器、メモ帳と筆記具である。


 情報を記録するというのは、あらゆる関係作りの基礎になる、人類ならではの活動だ。

 と言っても、メモ帳は食堂で使われていたメモ紙の切れ端を束ねただけで、筆記具は炭の細いやつだけど。

 それでもこれらは、今後の行動に大きく貢献してくれるだろう。


 これから俺は、ロストグラフの“ジャーナリスト”になるのである。



 そんなわけで、さあ二週間目だと意気込んでいたのだが……

 今朝はちょっと調子が悪いな。

 頭がフラフラして、疲労感が拭えない。


 もっとも、そんなことでへこたれる俺じゃない。

 今日も今日とて、食堂に赴く。


「朝飯だぞ、ニュト」

 いつものようにくすねた鍵を使い、くすねた料理を差し入れる。

「看守は遠くにいるが、声は響くから気をつけろよ。なんとごちそうだ。今日はスープに獣肉が入ってる」


「わーい! お肉食べるの、すごくひさしぶり!」

 初日ぶりだ。

ニュトも小声ではしゃぐのが上手くなった。

 お出迎えを受け、俺もどっかり腰を下ろす。


「……今日はどれくらいいられりゅの?」

 ニュトが寂しそうな顔で尋ねてきた。


「……悪いが、食ったらすぐに出ていくよ。今日から本格的に城の調査に乗り出す。次に戻ってくるのは昼飯時だ」

「そっかぁ……」

「寂しいか?」

「うゆ、へーき。ちゅきとが頑張ってるの、じゃましないもん」

 前から思っていたが、彼女は年齢に比べて、少し成長が遅いようだ。背も低いし、相変わらず滑舌が悪い。

 それでも心根の優しさは誰にも負けないだろう。


「よし、じゃあ今日もニュトのために頑張ってくるか……──っと、とと?」

 立ち上がった瞬間、頭がフラついて、その場に膝をついた。


「どーしたの、ちゅきと?」

 ニュトが慌てて近寄り、俺の体を探ってぺたぺた触る。


「ぐあいわるいの? お熱は無いみたいだけど……」

「大丈夫だ、ちょっと立ちくらみしただけ」

 心配かけさせまいと強がるが、あんまり大丈夫じゃなさそうだった。


 考えてみれば無理も無い。突然知らない世界に飛ばされ、透明人間なんていう謎の存在になり、それからも頭と体をフルに使ってきたんだから。


 だが、ニュトのためだ。これくらい何とも──


「──ちゅきと、すわって」


 ふんふんと鼻息荒く、正座したニュトが自分の膝を叩いた。

「ここに頭乗せて」

「いや、だがこれから……」

「えいやー」

 手探りで俺の頭を探し、両手で包むと、ふわりと倒して寝かせた。


 なんというか。


 結構……いや、かなり恥ずかしい体勢だった。

 いわゆる膝枕である。地面に横たわった俺は頭をニュトの膝に乗せ、顔は天井を向いている。


「ちゅきと……ニュトのためにがんばってくれるの、うれしい。……でも、それでちゅきとがたおれちゃうの、かなしいよ」


 ニュト……。


「いつもいっぱい、ありがとう。……ニュトね、むかし、あそんでちゅかれたときは、パパやママがこうしてくれたの。だから……」


彼女の優しさが、暖かく俺を包み込む。


 思えば最初に会ったときから、ニュトは俺を安心させ、落ち着かせてくれる存在だった。


 ニュトは優しく頭を撫でてくれた。

 これも親の真似か……あるいは、俺の真似かもしれない。


 いつの日だったか……もう思い出せないほど遠い、昔の記憶だ。

 まだ生きていた母さんに、こんなふうに撫でてもらったことがあった気がする。

 親がいなくて、誰かに頼りたいのはニュトだけでなく……俺も同じだったのかもしれないな。


 俺は久しぶりに安らかな気持ちで、いつしかぐっすり寝てしまった。



 目を覚ましたときは、正直めちゃくちゃ焦った。

 すっかり忘れていたのだが、俺がニュトの朝飯を運んできてから、次の昼飯までの間に、看守からの不味いスープの差し入れがあるのだ。

「寝たふりしてたからへーきだったよ!」

 なんてニュトは笑って許してくれるが、もしも知らないうちに透明化が解けていたら全てが水の泡だった……。


「ごめんな……危ないことさせちまったな。疑われたらアウトだったかもしれねー……」


 次からはマジで気を付けよう。

 そう心に決めたのだった。



 ちなみに。

女子に免疫の無い俺ではあるが、今回の膝枕ですら、ニュトを異性として見ることは無かった。

 護るべき対象として見ているからか、すでに妹のような存在だからか、俺のタイプがおっぱいの大きなお姉さんだからかは、分からない。

 ただその事実に、俺はホッとしていた。

 状況が状況だから、ニュトが俺に全幅の信頼を寄せるのは仕方ないが、それを利用する欲望はあっちゃいけないからな。


 俺は失恋をしてから間もない。

 ニュトと一緒にこの国を出られたら、俺は失恋の傷を癒すために、おっぱいの大きなお姉さんを探す旅に出るのだ――!

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