第2話 クリスマスの約束


 カフェを後にし、百合子とともにキャンパス内に広がる新緑が息吹くプラタナスの並木道を歩きながら、ふたりはさらに会話を弾ませていた。


「悠斗さんはなぜこの大学を選んだの?」


「……。えっ、グローバルリンクに魅入られたのかもしれない」


 彼女の問いかけに高校時代の記憶が蘇り、口を開いた。


 かつて無謀にも、僕は舞台俳優になることを夢見ていた。高校時代には、キャンパス近くにある野外劇場に何度も足を運び、その舞台に漂う夢と希望の空気を胸いっぱいに吸い込んだ。そこでは、五つのリングが若者たちの夢と希望を歌い上げ、青春の躍動を感じさせてくれた。


 夜には虹色のライトで幻想的な演出が始まり、時空を超えた旅のようだった。しかし、青春には挫折がつきもので、僕もその夢を途中で諦めざるを得なかった。


 泣きたいときに泣き、笑いたいときに笑って挫折を乗り越えた。それでも、あの劇場で過ごした時間は、僕の心の中で今も鮮やかに輝いている。


 ふと気づくと、百合子が僕をじっと見つめていた。


「悠斗さんが役者を目指していたなんて凄いね!」と、彼女は興味深そうに言った。


「私なんか、この大学のクリスマスに憧れただけだもん」


「クリスマスって?」


 次第にふたりの距離が縮まり、僕は親しげに変わった彼女の言葉に驚いて尋ねた。


「知らなかったの?」


 百合子は少し笑いながら口にした。


「正門前のクリスマスツリーとキャロリングのことや」


「ツリーは何度も見ていたけど、キャロリングは知らなかったな」と僕は正直に答えた。


 百合子は微笑みを浮かべ、優しく言った。


「これが大学生活の最後のクリスマスになるでしょう。思い出として、実行委員会に私と一緒に参加しませんか?」


「いいね。百合子さんとなら、ぜひ一緒にやってみたい」


 彼女の提案に胸が熱くなった。薫風吹き渡る並木道を歩きながら、卒業までの楽しみを話した。


「ところで、就職先は決まったの?」


 彼女の話の矛先が変わり、少し驚いた。


「ああ……なんとか中堅の商社から内定がもらえそうだ」


 百合子は僕の話にがぜん興味を示したように微笑んで言った。


「神田にある小さな出版社に内定をもらっているけど、迷ってる」


「へえ……そうなんだ」


「兄が婚約者を紹介してくれたので、いつまで東京にいられるかわからないし。実家の両親は北海道の小樽で古い旅館をやってる」


「実家は小樽なんだ。素敵なところだね」


「いや、そうじゃないの。ひとり娘だから、父はいつも帰って来るように言ってうるさいのよ。男の人は自由でいいなぁ……。でも、いつか小樽の街を案内したいな」


 彼女は多くの男子学生たちに注目されるマドンナのような存在だった。しかし、その美しい笑顔の裏にはいくつもの悩みが隠されていた。実家でのお見合いや、婿を迎えるという重荷を背負っていることを知り、僕の胸も痛んだ。


 表は華やかだが、裏は重苦しい話にいたたまれない気持ちとなり、話題を戻すように変えた。ふたりはキャンパス内のクリスマスイベントについて、より深く語り合った。その話題に触れると、百合子の目は一段と輝きを増した。


 まだ半年以上先の話だというのに、白昼夢の中で大学の門前に立つカップルの木々はきらびやかなツリーの灯りで彩られ、夜空を舞う雪の結晶が輝いていた、その幻想的な光景を思い浮かべながら、チャペルから流れる神聖な讃美歌が心に響き渡る。僕はこれからの楽しい計画に心を躍らせた。


 -✽-


 季節はやがて春を迎え、夏も音もなく過ぎ去り、時間が経つごとにふたりの愛はますます深まっていった。そして、ついにその時が訪れる。大学生活最後のクリスマスが、まるで思い出の欠片を紡ぐかのように輝きを放ちながらふたりの前に現れた。


 初雪がきらめき、木枯らしに舞い上がる風花が、キャンパスを映画のラブストーリーのように美しく飾り上げる。その白銀の世界はまるで魔法がかかったように輝き、心に深い感動を呼び覚ました。


 クリスマスイブの夜、チャペルから流れる讃美歌が響き渡り、幻想的な景色に彩られたキャンパスで、胸が高鳴る幸福感に包まれた。イルミネーションで彩られた木々に別れを告げ、ふたりは手を取り合い、丸池の街へと旅立った。


 僕たちは手を取り合い、キャンドルの光に包まれながら、聖歌『きよしこのよる』を口ずさみつつ街中を歩いた。実行委員会のメンバーの中には、可愛らしいサンタクロースに扮した女の子や、道化師のピエロに変身した男子学生もいた。彼らは道すがら出会う子どもたちに『Happy Holidays(よい休暇を)』と声をかけ、杖の形をしたキャンディーを手渡した。


 その夜、キャンパスはクリスマスの魔法に包まれ、僕たちの思い出に新たなページが加わった。メンバーに気づかれないように、僕は百合子の悲しみを少しでも軽減するため、未来の夢と希望について語り合った。


「もうすぐ卒業だね……」


 僕はそっと呟いた。


「うん、楽しい時間は本当に一瞬だったね。でも、一緒に過ごした時間は私にとってかけがえのない宝物だよ」


 百合子は涙をこらえながら、僕の手をぎゅっと握りしめた。彼女の言葉通り、時計で測られる時間はいつでもどこでも同じ間隔で進むはずなのに、僕たちのイブはまるで楽しいながらも刹那のひとときだった。



「冬休みは小樽に帰省しないの?」


「しばらく実家には帰っていないんだ。父さんは何度も帰ってこいって言うんだけどね。でも、悠斗さんと一緒なら里帰りしてもいいかな……。だけど、その前にどうしても見せたいところがあるの」


「どこだろう?」


「それはね……、私たちにとって忘れられない場所だよ」


 百合子は微笑みながら答えた。


 僕らはそのまま手を繋いで歩き出し、白銀の世界の中を新たな一歩を踏み出した。クリスマスの魔法がふたりを包み込み、その瞬間が永遠に続くかのように感じた。そして、未来への希望とともに、ふたりの絆はさらに強く結ばれていった。

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