第4話

 今日は泊まる予定だが、明日のこの時間には帰らないといけない。そんなことをふと考えてしまう。

 目の前の彼女と過ごす時間は穏やかで、時間がゆっくり流れているように感じる。

 しかしそれは、世界が作り出す、幻。

 時間が遅くなることは決してなく、世界は俺の都合に合わせて動いてくれるわけでもない。


「わっ、ラッキーセブンだ」


 俺が夕陽を眺めているうちに、テレビのチャンネルは陸上の大会の映像に変わっていた。

 それは、2日前に行われた記録会の様子だ。

 冬季練習で疲労困憊の状態のまま挑んだ大会。

 画面には、助走を始めた俺の姿と、その後跳躍する様子が映し出されている。

 記録は「7m77cm」。

 俺の最高記録は「8m01cm」。

 数字だけ見れば、あまり下がっていないように見えるかもしれないが、陸上の世界ではこれは大きく記録を下げたといってもいい。

 例年、この時期は記録が下がるため、予想通りだったが、やはり悔しいものは悔しい。

 テレビに映る俺は険しい顔をしている。体が思うように動かず、その苛立ちが表情に滲み出ていたのだ。


「・・・かっこいい」


 小さな声でそう呟かれ、思わず振り返る。


「え?」


「だから、かっこいいって!あの顔して!」


 彼女は画面に指を指し、嬉しそうに目を輝かせ、その後、食器をトンっとテーブルに置き、子犬のように四つん這いになりながらハイハイを始めた。

 俺に向かって真っすぐ進み、どんどん距離を詰めてくる。


「いや、なんでそんな顔がかっこいいんだよ」


 困惑しつつも、少し照れくさくて視線を逸らす。でも彼女は、俺が逸らした分だけ顔を近づけてくる。


「だってさ、普段は優しい顔してるじゃん?でも、テレビの中の優斗は全然違うんだもん。真剣な顔してて、すごくかっこよかった。高校時代に見たこともあるけど、さっきのはもっと大人っぽいっていうか・・・そう!とにかく、かっこよかったの!」


 そう言って彼女は、俺の膝元にぴたりと止まる。顔を覗き込むように見上げながら、さらに続けた。


「だから、画面越しじゃなくて、間近で見せてほしいなぁ~」


 彼女の無邪気な笑顔に、心のどこかで張り詰めていたものがふっとほどける。

 悔しさやあの時に感じた苛立ちも、少しずつ消えていく気がした。


「こら、近すぎるぞ」


 俺は照れ隠しのつもりで、彼女の頬を両手で左右に優しく引っ張った。


「うぅ~、なにそれぇ~」


 彼女はムッとしたような声をあげながらも、どこか楽しそうに笑う。

 その姿を見ていると、なんだが自分が悩んでいたことが馬鹿らしくなってくる。

 すると、彼女は『じゃあ』と言いながら、俺の両手を掴んできた。

 そして、自分の顔に近づけ、俺の指を『ぺっろ』っと舐めた。


「おっおい!」


 驚いて声を上げる俺をよそに、彼女は目を細めて微笑む。


「ふふ。今度は、かわいっ」

 

 俺の頬は瞬時に熱を帯び、頭の中が真っ白になる。

 どうして、こうも彼女のペースに乗せられるんだ・・・。

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