十九日目の鐘
ソナーレの姿が見えなくなってから階段を昇り、次の階の壁が見えてきた時、ウェスペルは小さく叫んで身を屈めた。
人影が見えたのである。かなり長身の男性で、城の勤め人に違いない。
——どうしよう、見つかっちゃう。
ばくばくと心臓が早鐘を打つ。ひたすらに床を見つめて息を殺す。
しかしそんなに長くもたなかった。頭の上に影がかかり、木の階段の床色が濃くなる。
「姫様? 何こんなところ……」
もうだめだ——恐る恐る顔を上げる。
「っと……違うわ。似てるけれど違ったな」
そこにいたのはやや癖のある髪をした大人の男性だった。武人だろうか。すらりとしていながら体格がいい。
この人は初めてだ。
しかし初めて会うのに、緊張や恐怖よりも馴染みやすさを感じるのは何故だろう。
「もしかして、噂の少女、かな? へぇ……なるほど。確かに姫様そっくりだけど、姫様とは違うな」
驚きを浮かべてこちらを見下ろした眼が次第に笑みの形に変わっていく。ウェスペルに立つよう促しながら青年はしげしげとウェスペルの顔を眺めた。
「こんばん……は。お邪魔してい……ます」
「はい、こんばんは」
正面から向き合いさばさばと挨拶しながらも青年はまだウェスペルをまじまじと見ている。
「姫様のところに行くのかな?」
「あ、は、はい」
「あいつには会った?」
「あいつ?」
「ほら、君も知っているあの黒髪の若いの」
その一言でウェスペルの頬が途端に熱くなる。すると青年は笑いを堪えられないというように、「なるほどねぇ、あいつ、こういうのが好みか」と呟いた。
「姫様の前にあれのところ行ってやって。それで喝入れてやって」
「喝?」
「うん。馬鹿もの、いつまでも引きずんなってさ」
その言葉で頭に浮かぶのは、かつて目にしたあの表情。はっきりとではないが、なんとなく分かったような気がした。
「あいつの部屋、わかる?」
ふるふると首を振ると、青年は「こっちの角曲がって次を右折した二番目の部屋」と廊下の先を指差す。アウロラの部屋とは反対側だ。
突然のことですぐに踏み出せずにいると、ほら、と道を空けられた。
「あ、ありがとうございます。えっと、あなたは」
「あー、俺? 俺のことは覚えとかなくていいよ。しがない従者だから。奔放すぎる主人二人と小煩い上司に挟まれたただの哀れな中間管理職」
「えぇ?」
それは大変そうだと思わず声が出たら、青年はおかしそうに笑った。
「同情してくれるのなら早く行ってやって。あとで十分、あいつには恩着せとくから」
気持ちのいい笑顔につられてしまう。なんだかお兄さんみたいだな、と感じたら、戸惑いは消え、ウェスペルも笑い返して駆け出した。
「確かに、あれは姫様とは違うか。しかしまぁ、どっかやっぱり似てるよなぁ」
軽々と走っていく後ろ姿を見送りながら、青年は「なるほどねえ」ともう一度面白そうに呟いた。
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