十七日目の鐘

 厨房を出て廊下をまっすぐ進むと上階への階段になる。前に来た時には人に見つからないよう用心しながらの移動だったが、今日はあまりびくびくすることもなかった。「中途半端」な身体だからだろうか。

 木造部の多い城内である。薄明かりの中に浮かび上がる木製の扉や床は、石造りのフラットの廊下とは対照的にどこか和らいだ質感があった。人の声もせずひっそりしているのに、夜の怖さは全くない。

 物音ひとつしない静寂は耳を敏感にする。しばらく進むと、空気の中に何かが擦れる音がした。疑問に思いながら先を急ぐと、音は右の部屋からするようだ。

 木扉に硝子が嵌め込まれて室内が窺える。そっと覗くと、机に向かっていた人物の濃い眉毛が持ち上がった。

「おや、姫さ……」

 老人は立ち上がり、指で眼鏡をずいと持ち上げた。

「違いますな。これは久方ぶりにお目にかかる」

「こんばんは。あの、驚かないのですか?」

 扉を開けてもらって見上げて聞くと、眉の下の眼が細められた。

「妖精のいるシレアでは何が起きても不思議ではありませぬ。それに貴女様は元より不思議なお方ですからな。その節は御礼申し上げます」

「そんな」

 厳格な老人が真摯に礼を取るのと向き合うのは恐縮する。ウェスペルは思わず首を振っていた。

「大臣さんは大丈夫って聞いていました」

「この老耄、先代から殿下と姫様をお任せ頂いたからには下手なことでは倒れませんぞ。それよりも貴女様も達者そうでよろしゅうございました」

 まるで孫を見るように眺められてウェスペルは身体がこそばゆくなってしまう。はにかみながら、御礼を返した。

「私、これからアウロラのところに行きたいです。お城の中を歩いてもいいですか?」

「もちろんですとも。お供しましょうか」

「いえ! 大臣さん、お仕事中でしょう? 大丈夫です。道は分かります」

 そうですか、と述べると、大臣は廊下までウェスペルを送り出した。

「姫様もお喜びになりましょうぞ。ウェスペル殿、ご健勝であられますよう」

「はい、大臣さんもお元気で」

 一礼して再び廊へ踏み出す。しかし二歩進んだところで、ウェスペルはくるりと振り返った。

「大臣さん、あまり遅くまでお仕事しないで、しっかり休んでくださいね!」

 そしてそのまま、今度こそ飛び出した。

 大臣は一瞬、硬直してから、ぽつりと呟く。

「まだ十一時半過ぎですぞ……」

 しかし一つに結んだ髪が揺れるその後ろ姿を見送りながら、頬が弛むのを自覚した。

——姫様と同じようなことを仰る御仁ですな。

 助言通り、今晩くらい二時まで仕事をするのはやめてもいいかもしれない。

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