九日目の鐘

「またそんなところに座って……」

 書庫の重い扉を開けた青年は目に入った光景に呆れて呟いた。栗色の髪の下で温和そのものの優しげな目が細められる。

「読み続けていていいからそこから降りないかスピカ」

「ん……」

 返事にもならない返事をしたのはまだ十を過ぎたくらいの幼い少女である。そして彼女が座っているのは閲覧用にある椅子の横であり、椅子がわりになっているのはうず高く積まれた大型書であった。海外から仕入れた海図や学術関連の図録の類だ。

 黒に近い髪の毛は編んで一つにまとめているので、見事に丸っこい形を成した頭のてっぺんが青年の方に向いている。

 つまり、俯いたまま微動だにしない。

 ここから言っても無駄だと諦め、青年は少女に近づいた。

「ほらスピカ。そこに下敷きにしてる新書の整理するから退いてくれないか。読むなら椅子に座って机で読めばいいだろう」

「んー」

 言っても聴かなそうなので、青年は少女を本ごと一緒に抱え上げ、手近な椅子に座らせた。その間も少女は頁を捲り、熱心に文字を追っている。

 何をそんなに読み耽っているのかと表紙を下から覗くと、諸外国の伝説を集めた叢書である。

「興味深い話でもあった?」

 少女の目が追う文字列の最後に章の終わりを示す語を確かめ、機を見計らって話しかけると、ちょうど読み終わったのか「ふー」と満足げに息が吐き出された。

「面白かったぁー!」

「そのようだね。で、どんな話」

「あのね」

 ここで初めて青年がいるのを意識したと言わんばかりに、少女はやっと青年の方へ首を回した。

「冬のお話!  遠い遠い国で名前もわからなくなってしまったところらしいのだけれど、冬の寒い寒い夜にね、不思議なことが起こるの」

「へえ。どんな?」

 すると少女は眉を寄せて渋る。

「言っちゃったらつまんないじゃない。クルックス兄さん、自分で読めばいいのよ」

 いつからこんな物言いをするようになったかと、青年は小さな驚きと共に机に寄りかかって少女を見下ろした。

 しかしその一方で、聞き馴染みのある言葉につい笑ってしまう。

「ほんと、スピカはあいつによく似てるよ」

 開いたばかりの書物の頁が、窓から吹き込んだ微風でふわりと捲られる。新たな一頁が目に入るや、少女は再びその世界に吸い込まれていった。

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