八日目の鐘
冬の訪れた海は空気がいっそう澄んで、潮騒が何にも阻まれずに城まで届くような感覚を覚える。海洋国テハイザの、いつもの冬だ。
部屋の主人は壁の片側一面を覆う窓の向こう、蒼天の下で砕ける白波を一瞥し、卓上の羽ペンをインクに浸した。
「今日の船の数はいくらか減ったか」
いつの間にか入室していた人物が扉の位置で礼を取り、出帆した漁船の数を告げた。夏に比べれば減少している。
「海水温度もかなり下がったと。また、波が高くしばらくは潮の流れも予測が困難とされました」
「冬の航海は危険が増す。近衛師団長、くれぐれも小舟たりとも許可なき出航がないように厳重注意を申し渡してくれないか。遠洋の調査も慎重に、場合によっては休止せよと」
「御意」
寡黙な役人は無駄な発語なくそのまま辞そうとしたが、主人が笑みを浮かべたのを認めて立ち止まった。
「いやね」
問いを投げかけられる前に表情から読み取り、テハイザ王は卓に広げていた海図を持ち上げる。
「可能な限り先まで遠洋調査を続けるつもりでいるだろう。しかし水平線の向こうに何があるのかと考えたら、思い出してね」
「思い出された、とは」
「シレアの王女殿下のお話だよ。稀有なご体験をなさったという」
隣国の王女の訪れを懐かしむように、王は頬を綻ばせた。
王女が出会ったという不思議な異国の客人は話したという。我々には見えない水平線の向こうにも海は続き、そしてさらに先に島があるのだと。我々も知らぬ広大な世界の地図は、かの人の国ではもう存在すると。
——不思議なものだ。この陸からずっと先は、遥か遠くでただ水が海と天を分けているように見えるというのに。
海の端で切れた地図から顔を上げ、再び海原に首を回す。
「ああ、そういえばそんな話が好きそうな知識欲の塊が帰郷していたね」
「彼女ならば今は図書室におりますが、御用件がおありでしたらここに」
「いや、用事ではない」
可笑しそうに笑みを溢しつつ、王は羽ペンを壺から取り上げる。
「新書が入ったらしいじゃないか。いま呼んで読書の邪魔をしたらどうなるか、ありありと思い描けるよ」
国の未来を担う一人になるだろう、好奇心旺盛な小さな女傑には、思う存分学ぶ時間が必要だ。
「後でこちらから行こう。私も新しく入ったとかいう海外の書物には興味がある。政治経済にかかずらわってばかりでは人間らしくない。たまには伝承の類を読むのもいいかも分からないね」
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