二日目の鐘

 シレア国首都シューザリーンは、中心に国の宝たる時計台、東西に一つずつ塔を持つ。北の雪峰山脈から城下町を通って南へ抜けるシューザリエ大河は、郊外の田畑を潤し、市内では運河として商船を波に乗せていく。

 その船が朝の時間に最も多く停泊するのは、時計台広場のそばの船着場である。この広場では国営の市場が開かれ、毎朝早くから夕刻まで活気ある場所だ。

「あれ、今日は珍しい様子が見られたもんだ」

 果物屋の婦人が露店の屋根の奥から顔を出し、道をいく少女に声をかけた。長い髪に侍女用の飾り布を被っていると遠目から見れば王宮の侍女が遣いに来たと思いそうなものだが、馴染みの面々となれば遠目からだろうとここにいるはずのない人間であることはすぐ分かる。

 しかし少女は特にまずいと思った気配も見せずに笑い返した。

「おはようございます! 今日もいい品が並んでいて、今年の冬も果物には困らなそうですね!」

「そうさぁ。秋になるのが遅かったから日照りが心配だったけれどね」

「良かった! 十日くらい前までは例年と比較して報告されている取引量が少なかったでしょう。心配していたの」

 少女——シレア国第二子第一王女アウロラはぱっと顔を明るくした。上げられた睫毛の下で紅葉色の瞳が輝く。

「幸い、持ち直したんだよ。気候が落ち着いたからね。乾燥保存用もしっかり獲れたから安心だよ。必要なぶん、出来のいいのを取っておくからってあとで料理長さんに言っておいておくれ」

「嬉しい! 料理長の冬の焼き菓子には果物のお酒と香草漬けが必須だもの」

「ありがとうございます。料理長もさぞ喜ぶかと思います」

 嬉々とするアウロラの横で、背の高い青年が微笑む。すると端正な面立ちに人好きする柔らかさが生まれ、相対する者が女性であれば思わず見惚れてため息を漏らすだろう。幸い、現在向かい合っている婦人が青年の母の年齢を悠に超える、子供の頃からの馴染みであるが故に普通に立っていられるというものだ。

 目を奪われるというよりはむしろ、子供たちの悪戯に目を瞑ってやるという体で婦人は腰に手を当てて諭した。

「しかし今日は殿下までご一緒とは、よく見つからなんだ。珍しいこともあるもんだ」

「なぁに言ってんだおまえ」

 やり取りが聞こえていたのか、向かいの金物屋から茶々が入った。

「一昨日だって殿下は日の出直後にすぐそこ通って町外れまで行ってただろ。姫様が来るのがちっと遅かっただけだよ」

 妹が物問いたげに見上げると、兄——シレア国第一子第一王子カエルムは、蘇芳色の瞳に妹を映して微笑んだ。

「城下郊外まで少し速駆けをしに行っただけだよ。雨上がりの空気も吸いたかったから」

「とか仰って、お兄様は夜番の自警団のところへ様子見にいらしたのでしょう。あの区画の詰め所、修繕途中で雨だと夜は相当冷えるもの」

 黙って笑んだままでいるのは肯定の印である。かく言う王女も市場へ来るのは農業などの状況把握であり、城下の別の場所へ行く時にはそこで起こりうる問題の把握であることが多い。

 好奇心旺盛に城を飛び出てくるのを二人が幼い頃から知っている婦人は、兄妹がお互いに顔を見合わせ無言の会話をするさまを目を細めて眺めた。

「今日はシューザリエ川の紅葉を見に来たって感じかね」

 婦人はアウロラの手にある真っ赤な葉に目を留める。この辺りではシューザリエ川以外にも紅葉が美しい場所が多いが、朝に行くとなればあの大河が一番だ。そうだとすれば、城の冬支度に使う紅葉の飾りの下見といったところだろう。

「こちらに寄ったのはどんな用事だい?」

 しかしあまりに遅くなっては城が心配するだろうと、含みを持たせて聞いてやる。

 するとこのよく似た兄妹は、互いに数秒見つめ合ってから、息ぴったりにくすりと笑う。

「鐘楼の時計を見たくなって」



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る