第7話 コイツ……ブツどころか……アレも持ってないです……

 そんなルリ子は先ほどから何かにとりつかれたかのようにブツブツとつぶやいている。

「今日は月末……あの人が来る日……なのに……なのに……あのウ〇コ野郎……」

 どうやらルリ子は月末に訪れる「あの人」を心待ちにしているようなのだ。

 もしかしたら、その「あの人」が立花の入院代を払ってくれていたのだろうか?

 そう、その通りなのである。

 だが、ルリ子にとって立花の入院代の支払いなどはどうでもよかった。

 それよりも大切なことは、毎月「あの人」が病院に来てくれること……その事実がルリ子にとって大切なことであった。

 月末には控室にお茶とお菓子を用意してその来訪を心待ちにする。

 例えその時間が、お金を受け取るだけのほんのわずかなひと時であったとしても、ルリ子にとってはかけがえのない時間……この鬱屈した病院勤務において、唯一、花畑のようにカラフルに彩られる時間だったのである。

 そのために……

 それだけのために……

 今まで立花を逃がさないように拘束し、退院させないようにしてきたのだ。

 それが、今日という月末に限って、立花が逃げ出してしまった……

 うっかりという言葉では済まされない。

 もし仮に「あの人」と立花が出会ってしまったら……

 おそらく、元気に走り回る立花を見て、きっと「あの人」は思うだろう。こんなに元気になったんだwwwと……

 そして……

 ――「あの人」はきっと、あのウンコ野郎を退院させてしまうに違いない……

 それを考えただけで金属バットを握るルリ子の手に力がこもってしまう。

 そして、そのことがまるで耐えがたい苦痛であるかのように、いつしかうつむく口角が小刻みに震えだしていた。

 ――それだけは絶対に嫌……

 ならば、「あの人」が来るまでに立花を捕まえ、ベッドに拘束するしか方法はない。

 ――「あの人」が来るのは決まって夕方……まだ間はある……

 そして、「あの人」が来たらニコニコとほほ笑み「いま立花さんはウ〇コ中なので、こちらにどうぞ」といつも通り控室にいざなうのだ。

 ――それしかない!


 そう決意したルリ子の眼は再び正面を見据えた。

 一本道の廊下の奥、そこは突き当りになっていた。

 そんな奥の角をビン子の背中が曲がる様子が見て取れた。

 ならば!

 ――その先に立花がいるはず!

 逃げる立花を追ってタカトが走り、そのタカトを追ってビン子がその角を勢い良く曲がったのである。


 だが!


 ――いや、何かが違う!

 それはビン子自身の足で曲がろうとしたというより……

 何者かによって腕を強く引っ張られ、ビン子の上半身が「く」の字に曲がり角の影へと引きずり込まれたように見えた。

 それはほんの一瞬……わずかな出来事。

 そのため何が起こったの分からないルリ子の意識には、驚いたビン子の横顔がテレビの残影のように曲がり角の影へとスローのよう流れ行っては消えていく様子がこびりついていた……

 ルリ子は遅れて声を出す!

「ビン子ちゃん!」

 何かよからぬものを感じとったたルリ子はとっさに走り出していた。

 先ほどまで考えていた「あの人」のことなど忘れるほどに必死に駆け出していた。


 ルリ子のスリッパがキキィィ!と甲高い音を立てながら横滑りしていく。

 直角に向きを変えたルリ子の視線の先には上下階へとつながる階段が二つ、仄暗い闇の中へと口を開けていた。

「上か? 下か?」

 鬼のような形相のルリ子は左右の階段を交互に見比べる。

 一つはこのまま上れば屋上へとつながっている。

 そして、もう一つは地下一階……死体安置室へとつながっていた。

 だが、その死体安置室は、10年前……ルリ子がこの病院に赴任してすぐ使用不可になったのだ。

 というか、ルリ子自身の手によって封印されたのである。

 それ以降、死体安置室が使えないため、当然、入院患者が死んだとしてもベッドの上にそのまま放置し続けなければならかった。

 そんな理不尽な!だいたいココは病院だろ!人が亡くなるのは当然の事!

 おそらく、多くの人はそう考えることだろう。

 だが、ルリ子にとって、他人の死の尊厳よりも重要視しなければならないことがあったのだ。

 それは……彼女の父……鰐川ヒロシの死体を探すこと……話によると、このツョッカー病院のどこかに鰐川ヒロシの頭部が隠されているらしいのだ。

 着任早々ルリ子はこの病院内の隅々を探した……で、一番可能性が高いのは、やはり死体安置室だとふんだのである。

 だからこそ、死体安置室に関係ない人間が入り込んで中の物を持ち出さないように厳重に封印したのだ。

 それから、ルリ子は死体安置室を隅々まで探した……

 だが、見つからない。 

 10年もの間、探し続けてもヒロシの頭部は見つからないのだ。

 ならば、隠した本人に聞けばいいのかもしれないのだが、その隠した本人もすでにもう、この世にはいない……

 もはや、ルリ子自身で見つけるしか方法がないのである……

 そんな死体安置室のある階下から、うっすらと空気の流れてくる……

 ――おそらく誰かが死体安置室のドアを開けたに違いない!

 であれば、その誰かとは立花なのか?

 いや、それはあり得ない。

 というのも、過去、立花は拘束から何度か逃れて脱走を図っている。

 そして、死体安置室の開かぬドアに行く手を遮られルリ子に呆気なく捕まった。

 ならば、鍵はと探してみたのだが、安置室の鍵はルリ子がしっかりと首からかけている。

 それが分かっている立花が、今更、地下に逃げるとは思えない。

 ――ウ〇コ野郎が逃げたのは上! 屋上に違いない!

 それなのに、地下からわずかな空気の気配を感じるのだ。

 間違いなく死体安置室のドアが開いた証……

 ルリ子は首からかける鍵の存在を確かめるかのように胸に手を当てた。

 服の下にくっきりと感じるおうとつ。

 確かに、今、ルリ子は鍵を持っている。

 ならば、誰が安置室の鍵を開けたというのだろうか?

 スペアキー? そんな鍵の存在など、このツョッカー病院の院長から鍵を取り上げた時に聞いたこともない。

 いや、もしかしたら院長が自宅に隠し持っている可能性もないこともない。

 だが、その院長自身がこの病院に入ってこようとすれば、ルリ子が玄関先で金属バットを振るって追い返していたのだ。

 というのも、仮に院長が今以上に病院の経営にやる気を出してしまったら大変。

 新たな医者や看護師を雇い入れたりしかねない。

 そんなことになれば、病院内が荒らされてヒロシの頭部を探し出すことが困難になってしまう。

 だからこそ、ルリ子は患者たちから多額の金を巻き上げては院長に上納していたのだ。

 その金額、大金貨3枚、300万円……それが院長の毎月の給料である。

 もう、並みの病院の院長先生以上の収入だ。

 しかも、まったく働くことのない不労所得wwww マジでうらやましい!

 だからこそ、この状況に満足こそすれ、文句など言いようがないはずなのだ。

 ルリ子などは、その金を工面するために毎月の給料が0、まったくの無給なのである。

 だが、この病院に住み込んで働いているため、寝るところ、食うものには困らなかった。そして、何よりも、24時間、いつでもヒロシの頭部を探すことができたのだ。

 

 下に降りる階段を睨むルリ子。

 ビン子が連れ去られたことも心配だが、なによりも、誰かが死体安置室に入り込んだことに動転した。

 ――もしかしたら……お父さんの……

 まだ見つからぬヒロシの頭部を何者かが盗み出そうとしているのかもしれない。

 ヒロシの頭部にそれだけの価値があるというのだろうか?

 いや、かつてのヒロシはさえない親父であった。

 それほどの価値があるとは到底思えない。

 だが、それでも彼は生前このツョッカー病院に務めていた医者であったのだ。

 もしかしたら、その体は何かの利用価値があるのかもしれない。

 そう思うと、ルリ子はいてもたってもいられなかった。

「お父さん!」

 ルリ子は迷わず地下へと降りる階段をかけ降りはじめた。


 そしてその頃、玄関のロビーでは廊下を歩き始めたコウエンの耳にも「ビン子ちゃん!」という声が届いていた。

 当然、驚いたコウエンも廊下の奥へと走り出そうとしたのだ。

 だが!

 その時!

 背後の正面玄関より何者か達がドタドタとなだれ込んできたではないか。

 その数、5人!

 そして、先頭の一人がコウエンの肩をいきなりつかむと、無理やり力づくで引き留めたのである。

「動くな! NHKだ!」

 その勢いでコウエンは体勢を崩しそうになったが、何とか足を開いてこらえきった。

 さすがは万命拳を修行しているだけのことはある!

 そして、その勢いのまま、すぐさま背後へと振り返る。

 その視線の先にいたのは腰ほどまでに伸びた黒髪に将官用の制帽を身に着けた女性。しかも、細身の割に胸の軍服のボタンがはちきれんばかりの巨乳であった。

 その軍服から浮き出たボディラインからしても、彼女のスタイルが抜群にいいのが直ぐに分かる。

 分かるのだが、そのスタイルとは裏腹に、その表情はきつい! というか、怖い。

 眼鏡の奥に光る鋭い瞳、その瞳がジッとコウエンの顔を睨みつけていた。


 コウエンは背筋にぞくりとしたものが走るのを感じた。

 というのも、つい先ほどまで、この者たちの気配を感じ取ることができていなかったのである。

 ――いつの間に!

 おそらく、この状況からして、タカトやコウエンが病院にくるより以前から近くの物陰に潜んでいたに違いない。

 そして、外にいた最後の一人であるコウエンが建物内に入ったタイミングを見はらかって玄関へと突入してきたのだ。


 黒髪の女は手に持っている乗馬用の短鞭でコウエンの担ぐカゴをトントンと叩きながら、「おい! お前! コレはなんだ!」と、明らかに犯罪者が持っている物証を見つけた時のように勝ち誇った表情を浮かべていた。

 意味が分からぬコウエンは、「寺に持ち帰る食料です」と素直に答えるが、はやり、それで納得してもらえるわけはなく、「今すぐ! そのカゴを降ろせ!」という怒鳴り声に従い、渋々、荷を廊下の上へと降ろしたのだった。

 だが!その途端!

 黒髪の女の足が置かれたカゴを勢いよく蹴っ飛ばしたのだ。

 廊下に飛び散る穀物や野菜。

 さらに、黒髪の女の後ろに控えていた部下の女たちが、すぐさまカゴを持ち上げると中に入っていたものを全部ぶちまけた。

 それを確認した黒髪の女は短鞭でコウエンの顎を突き上げながら

「貴様! コレだけか! 隠し立てするとタダではすまんぞ!」と、なぜか激高している。

 だが、コウエンはこれ以外に持っているものといえば、いま身に着けている修行服だけ、「調べたければ好きなだけ調べればいい!」と、両手を大の字にひろげ、その体を突き出した。

 黒髪の女は顎をしゃくり部下に指示すると、4人の手が一斉にコウエンの修業服に手が伸びた。

 どうやら、その下にはしっかりとサラシが巻かれている様子。

 だが、サラシの上からでも、直に触れば体の凹凸は良く分かる。

 部下たちは、あれやこれやと探してみたが、どうにもお目当てのものが見つからなかったようで、黒髪の女に向かって残念そうに首を振ったのだ。

「お菊さん……コイツ……ブツどころか……アレも持ってないです……」

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