第4話 ブラックナース! 鰐川ルリ子!

 グー……

 また、タカトの腹が鳴る。

 だが、今しがた、「金など俺には必要ない!」と言い切った手前、腹が減りましたとは言いにくい。

 言いにくいのだが、我慢すればするほど腹は鳴く。

 グー……

 わき腹をクイッとよじって力を籠めてみるのだが……やはり……

 グー……

 腹の虫は収まらない。

「ま……まぁ、あれだよ……あれ……ちょっと飯が少なくなるだけだよ……ハハハ」 

 仕方なしに照れ笑いをするタカトは拳でバンバンと腹を叩きながら虚勢をはっていた。


 コウエンは腰手に手を当てあきれた視線でタカトを見つめる。

「君……ちゃんと食べているのか……」

 よくよく見るとタカトが身に着けているのは小汚いティシャツ。

 胸には大きくアイドルとおぼしき女の子がプリントされているようであるが、そのお肌はもうゾンビのようにボロボロと崩れていた。

 だが、こまめに洗濯だけはしているようで、かろうじて雑巾のような匂いはしないのであるが、かえって何度も何度も繰り返し着たことにより袖先からは擦り切れた糸が何本も吐きだされては風に揺れていた。

 ――どう見ても、こいつら……お金なんてないよな。

 ということは、先ほど盗まれたお金がないとなれば、着る物どころか、この先の食費だってままならないように思えてしまう。


 そんなコウエンの様子に気づいたのか、タカトはビン子を仲間に引き入れようと

「なぁビン子、大丈夫だよな」 

 と、振り向いた。

 とっさのことにビン子はびっくりするものの、その意図をくみ取ったようで、はにかみながら「うん」と答えたのであるが……

 だが、やっぱりこちらも……

 グー……

 と、腹が鳴る。

 もう、顔中を真っ赤にしたビン子はうつむくばかり。

 シャツの裾を固く握りしめながら引っ張って、無神経な空腹を隠すのがやっとだった。


 三度、あきれたようなため息をついたコウエンは肩からかごを下ろすと、中に入っていた食料を半分ほど取り出し、

「僕がもっているのをやろう。何かの足しになるだろう」

 頼まれてもいないにもかかわらず、それをタカトへと押し付けたのだ。


 だが、タカトはタカトで、コウエンの手ごとその食料を押し返した。

「こんなもん貰う理由なんてないし」

 そう、タカトにとってコウエンからモノを恵んでもらう理由など心当たりがなかったのである。

 そのうえ、目の前にいるのは禿げ頭、もといツンツルテンの坊主の粗末な服装からして、おそらく、かごの中の食料は寺にとって大切なものだということは、タカトにもすぐわかった。だから、

「あんたが困るだろう」

 と、すぐさま断ったのである。


 しかし、コウエンもコウエンで引き下がらない。

 手に持っている食料を無理やりタカトに抱かせると、空いた両の手を胸の前で合わせたのだ。

「僕からではありません。仏の御心みこころです」

 ニコっとほほ笑むその笑顔の美しい事といったらこの上ない。

 タカトなど、その笑顔に一瞬見とれ、ドキッとして頬を赤らめるほどであったのだ。


 目のやり場に困るタカト。

 ――おれはそっちの気は無いはずなんだがな……

 目の前の坊主が女であれば、この自分の内から沸き起こってくるムラムラとした感覚も分からなくもない。

 だが、目の前の坊主は男。

 女のように妙に顔立ちが整っているとはいえ男だ。

 というのも、胸がビン子並みにぺったんこなのだ。

 ――というか、大体、見た感じ16歳ほどの女の子が坊主頭にするか? 普通、しないだろ。

 タカトは自分の感覚を疑いつつも赤らめた顔を必死に誤魔化そうとコウエンとの話を終わらせようとした。

「分かったよ」

 タカトは食料を掴んだ手を降ろすと、ビン子の持っていたカバンをひったくった。

「ビン子! ちょっとこれ借りるぞ!」

「あっ! なんでよ!」

「貰った食料が運べないだろうが」

 そう、ビン子が肩にかけているバックにはタカトが今まで作ってきたくだらない道具が詰まっているのだ。

 確かにこの道具たち、一体、何の役に立つのか分からないのだが、タカトの道具オタクであるビン子にとってはかけがえのないものだったのだ。

 ――だって、もしかしたら銅貨1枚(10円)とかで売れるかもしれないじゃない!

 タカトは、そんなカバンの口を大きく開けるとコウエンから貰った食料を無造作に突っ込んだ。

「タカト! そんな入れ方したらタカトの作った道具が壊れちゃうよ……」

「これぐらいで俺の作った道具が壊れるかよ!」

 そう言い終わるとタカトはカバンを自分の背中に背負い、自分一人だけスタコラと歩き始めた。


 そんなタカトの態度にエンは少々むかついた。

 ――せめて、ありがとうぐらい言えよ。

 人からモノを貰ったら感謝の気持ちぐらいを伝えるのが常識だ。

 それがどうだ、コウエンのことを無視するかのように、先ほどから一人黙々と歩いているのだ。

 ――僕は仏に仕える身! こんな考えは良くない!

 ふつふつと泡のように沸き起こる苛立ちを振り払うかのようにコウエンは首を横に振った。

 だが、どうにも腑に落ちない。

 いつもタカトたちを見ているコウエンだから分かるのだ。

 ――確か……こいつらの家……逆方向だったよな……

 タカトが歩く方向はタカトたちの家とは真逆の方向、すなわち、蘭華と蘭菊が走って逃げた方向であったのだ。

 どうにもコウエンは気になるようで、タカトの後をカルガモのヒナのように間隔をあけてついていきはじめた。

 そして、横を歩くビン子にそれとなく尋ねるのだ。

「あいつは、一体どこに行くつもりなんだ?」


 だが、ビン子はニコニコと笑うだけ。

「秘密www」

 どうやら、ビン子はタカトが行こうとしている所に心当たりがあるようなのだが、それを教えようとはしない。

 

 そんなビン子の態度は、コウエンをさらに苛立たせた。

 ――コイツもか!

 分からないのは自分だけ? もしかして、自分だけのけものにされている? そんな感覚がコウエンの心を覆うのだ。

 ――だいたい、あの食料は僕のだぞ!

 良かれと思ってタカトに食料を施したにもかかわらず、どうして、こんな気持ちにならないといけないのだろうか。

 いまさらながら、食料をタカトに施したことを後悔し始めたが、

 ――いかん! いかん!

 と、ふと我に返ると、

 ――僕は仏に仕える身! こんなことで心を乱していては、まだまだ修行が足りないということだ。

 大きく深呼吸をすると、胸の前で合掌し静かに目を閉じるのであった。

 ――アーメン ソーメン ワンタンメン……アーメン ソーメン ワンタンメン……


 そうこうしているうちにタカトとビン子は一般街にある古びた病院の外門をくぐると、ズカズカと中庭へと入っていった。

 コウエンは不思議そうにその後をついていく。

 

 そこは、ほとんど手入れがされていないと思われる草ぼうぼうの中庭。

 その真ん中を土がむき出しの小道が走っていた。

 ゆるくカーブする小道の奥には三階階建ての建物が見て取れる。

 昔は真っ白だったと思われる壁肌は、すでに灰色にくすみ、ところどころひび割れていた。

 そんな建物に徐々に近づいていく小道は建物から突き出たひさしの下へと潜り込んでいく。

 おそらく雨をしのぐためのモノだろう。二階部分から突き出たひさしは建物の左右いっぱいに広がり、人三人分ほどが並んで通れるほどの幅を有していた。

 そんな無駄に大きなひさしを支えるためか、何本も大きな柱が並び立つ。

 時刻はまだ昼過ぎ。太陽は煌々と輝いている。

 だが、突き出したひさしのせいなのか、正面玄関のガラス戸から見る室内は薄暗く、まるで廃校のように人の気配を感じさせなかった。

 ギギッー

 タカトは油の切れた扉を押し開けると、一歩中に踏み込んだ。

 そこはロビーと言った少々大きな空間。

 右の壁にはこの建物の案内図といったところの張り紙がしてある。

 どうやら、それによると地上三階地下一階らしい。

 その二階に通じる階段とが目の前にそそり立っていた。

 しかし、タカトはそんなものに目をくれることもなく、こともあろうか中に向かって大声をあげた。

「頼もう!」

 静かな室内にタカトの声が反響する。

 しばらくすると目の前にそびえる大きな階段の上部から一つの足音がパタパタと降りてきたではないか。

 踊り場で向きを変えたのは白衣の天使。

 見たところ20代半ばといったところか。

 だが、そのはち切れんばかりの胸は白衣のボタンを引きつらせ、彼女のボディラインをくっきりと際立たせていた。

 もうね、どこぞの幼女がコスプレした偽物のOLとは全く違い、身長も160cmほどとちゃんとある。

 まさに!この容姿、ムフフな本に出てくるようなボンキュボンのお姉さんと言っても過言ではないだろう!

 だが、強いて欠点を言えば……顔が黒いのだ……

 黒人?

 いや、黒人というより黒ギャル。

 だが、まつげを強調した美しい瞳からしても、彼女が美人であることは間違いない。


 黒ギャルが白衣……黒ギャルがナースなのである!

 そう! 何を隠そう! ココこそが!

 あのブラックで有名なツョッカー病院だったのだぁぁぁぁぁぁ!


 ナースは一階の廊下に降り立つと、玄関先に立つタカトに対して見下すような視線を送った。

「また、お前たちか……ウ〇コ野郎どもが!」

 ウ〇コ野郎とな⁉

 確かにこのナース、ナスビのように顔は黒い。

 黒いのだが、スタイル抜群の美女である。

 そんなナースの口から「ウ〇コ野郎」とさげすむ言葉! 

 この女!どう考えてもヤバいやつ!

 だからなのか、その言葉を受けたタカトは身震いしながら目を潤ませていた。

 そして、どうにも耐えられなくなったようで、ついに顔を伏せてしまった。

 よほどのショック……それほどまでのショック……

 ついには上半身を傾け、視線を合わせないようにするのが精いっぱい……

 そして、ささやかな抵抗なのか、その言葉を遮るかのように両手を伸ばし懇願するのだ……

 や……やめてくれ……

 ……などといった、しおらしい言葉などではなくwww

 ――どう見てもご褒美じゃんwwwwでもって、

 ゆるみ切ったタカトの顔がよだれを垂らしてルリ子に向かって飛びだしていくと。

「ルリ子さん! オッパイもませてください!」ウヘヘヘwww

 だが、ビシっ! ウゲッ

 そんなタカトの言葉が終わるよりも早く、その頭はキレイな弧を描いたビン子のハリセンによってシバき落とされていた。

「成敗!」

 今や、ホールの床上にゴキブリのように這いつくばるタカトは虫の息……

 触角のようにのびたタカト寝癖がピクピクと揺れていた。

 まぁ仕方ない……目の前のナースに手を伸ばしてワシワシと……しかも、未遂と言えどもオッパイをもませろと言っている方がヤバいやつなのだwww

 というか、このナースの名前はルリ子というのかwww

 そう、鰐川ルリ子、このツョッカー病院 右病棟副院長付きのナースである。

 何を隠そう、やり手のナースなのだ。


 ビン子は床に転がるタカトに目をくれることもなく、傍らに落ちていた食料を入れたカバンを拾い上げるとルリ子に差し出した。

「ルリ子さん、これ、あの子たちのお母さんの食事に当ててください」


 ――あの子たちのお母さん?

 それをガラス戸の外で聞いていたコウエンはその言葉が気になった。

 どうやら、タカトとビン子は自分が渡した食料をこの病院にいる誰かに上げようとしているようなのだ。

 だが、その相手が誰なのか……それが言葉にあった「あの子たち」ということなのだろう。

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