第30話 友だちの話



 榊 沙織は、もう帰りたかった。



「……はぁ」


 あのあと、強引な天音子に押し切られる形でフラペチーノを奢られてしまった沙織は、小さく息を吐いて窓際の席に座る。天音子はそんな沙織の正面に座り、わくわくとした表情でストローに口をつける。


「……なるほど。これがフラペチーノですか。思っていた三倍、甘いですわね。でも、美味しいですわ! 沙織さんも、そう思いますわよね?」


「……そうですね」


 ちまちまとストローを吸いながら、沙織はそう言葉を返す。そんな沙織の言葉を聞いた天音子は満足そうに笑って、音がしないよう静かにカップをテーブルに置く。


「それで? 沙織さん。何か悩みがあるのでしょう?」


「……っ」


 見透かしたような言葉に、思わず沙織の体に力が入る。


「そう警戒しないでくださいまし。わたくし別に、エスパーではありませんわ。……ただ、沙織さんは昔から、うちの弟と仲良くしてくださっているでしょう? 言ってしまえば沙織さんは、わたくしの妹のようなもの。何か悩みがあることくらい、雰囲気で分かりますわ」


「……相変わらずですね、天音子さんは」


「当然、わたくしはお嬢様ですから」


 おーほっほっほ! と、高笑いを響かせる天音子。店内でそんな笑い方をされると目立って嫌だと思ったが、沙織はそれを言葉にはしない。


「……そういえば、三輪くん……ずっと学校を休んでるみたいですけど、大丈夫なんですか?」


 少し気になり、沙織は天音子の方に視線を向ける。天音子は気落ちしたような表情で、窓の外に視線を向けた。


「実は、少し前からずっと様子がおかしかったんです。でもあの子、わたくしが何を言っても、聞いてくれなくて……。まあ、あの子は強い子なので、自分のことは自分でどうにかすると思っていますけどね」


 それでもやはり、心配なのだろう。天音子の表情は優れない。今の沙織からすれば、三輪は落葉を傷つけた嫌な男でしかないが、彼女にとっては大切な弟なのだ。


 余計なことを聞いてしまったと、沙織は咳払いをして話題を変える。


「それでその……悩みというか、これは私の友達の話なんですけど、どうやらその子……好きな人がいるらしいんです。でもその子、今までそういう経験がなくて、なんて声をかけたらいいのか分からないみたいで……」


 沙織はそれで上手く誤魔化せているつもりだったが、『友だちの話』なんて使い古された常套句でしかない。流石の天音子も、沙織が自分の話をしているのだと、気がつく……


「なるほど、友人のことで悩んでいるだなんて、沙織さんはお優しいのですね」


 気がつくことはなく、沙織の言葉を真に受けてしまう。天音子は天音子で、少し価値観が世間とはズレていた。


「それでその子、今までその男の子にいろいろ酷いことを言ってしまっていたみたいで、一応は謝ったみたいなんですけど、そこからどうしたらいいのか分からないらしくて……」


「恋の悩みですわね。わたくし、そういう経験がないので、キュンキュンしますわ」


 真面目な顔で、うんうんと頷く天音子。沙織は少し頬を赤くしながら、ストローを吸う。


「それでその子は今、凄く困っているようなんです。どうやら夜も、あまり眠れていないみたいで……。その……天音子さんは、どうしたらいいと思いますか?」


 不安げに、天音子を見上げる沙織。天音子はずずっとフラペチーノを飲み干し、胸を張って言った。


「アタックするしかないですわ! 恋というのは攻めたもの勝ちだと、この前、少女漫画で読みました!」


「攻めるって言っても、何をすれば……」


「それはもちろん、デートに誘うんです! イベントは、起こるものではなくて起こすもの! 一緒に出かければ自然と話す機会が増えて、仲が深まるに違いありません!」


「でも、その誘い方が……」


「そんなの、当たって砕けろの精神で行くしかないですわ! 直接誘うのが難しいなら、メッセージでも構いません! ルールやマナーは大切ですが、一番大切なのは人が人を想う心ですわ! その方が真摯に相手を想っているのであれば、きっと悪い結果にはならないはずです!」


「……なるほど」


 天音子の迫力に、思わず頷いてしまう沙織。そうして、思わぬ形で始まった恋愛相談は、日が暮れるまで続くのだった。



 ◇



 古賀 琴音は、悩んでいた。



「はぁ……」


 落葉を家に泊めた同日の朝。落葉と違いちゃんと学校に登校した琴音は、けれど授業に全く集中することができていなかった。


「絶対、変な子だと思われた……」


 長年ずっと悩んで後悔していたことを、謝ることができた。落葉の優しさに甘えてしまった部分も大きいが、それでも落葉は許すと言ってくれた。


 だからこれからは、しっかり切り替えて2人で楽しいことをいっぱい積み重ねていく。落葉もきっと、それを望んでくれているはずだ。


 でも……


「あれは流石に、いきなりだったかな」


 好きだと言ったあとの落葉は、鳩が豆鉄砲を食ったような顔だった。本当に驚いた時は人の目はあんなに丸くなるんだと、琴音は初めて知った。


「後悔は……してない」


 でももう少し、伝え方があったかもしれない。また自分の気持ちばかり先行して、落葉の気持ちをおざなりにしてしまった。


「これから、どうしよ……」


 あのあと落葉は、逃げるように帰ってしまった。いろいろあって疲れてるだろうし、考えたいこともあるだろう。流石に今日の放課後、遊びに行こうと誘うのは迷惑なのは分かっている。



 でもじゃあ、いつなら迷惑にならないのだろう?



 明日? 明後日? 明々後日? ……早く、会いたかった。別にいきなり、告白の返事が欲しいだなんて言わない。自分は五年近く、想いを伝えることができなかったんだ。それなのに、落葉には早く答えて欲しいだなんて言うのは、わがままだと分かっている。


 だから今はそれはよくて、というか……理由なんてなんでもいいから、今はただ落葉に会いたい。会って話すだけでもいいから、ただ隣にいて欲しかった。


「……はぁ」


 結局、その日は授業に全く身が入らず、あっという間に昼休みになってしまった。


「…………」


 一応、スマホを確認するが、落葉からの連絡はきていない。きていたのは、妹の美海子からの『結局、昨日ヤッたの?』というメッセージだけ。


「あの子は、ほんと……」


 琴音は美海子のメッセージを既読無視して、そのまま立ち上がる。そして、『一緒にご飯しよ!』と誘ってくれた何人かの友人たちの誘いを断り、学食に向かう。


 琴音はいつも弁当を持参していたが、流石に今日は作っている余裕がなかった。……主に、精神的に。だから今日は、久しぶりの学食。


 琴音は手早く注文を済まして、親子丼が乗ったトレーを持って目についた席に座る。


「あら、ご機嫌よう、古賀さん。学食なんて、珍しいですわね?」


 スプーンで親子丼を口に運ぼうとしたところで、唐揚げ定食をトレーに乗せた天音子にそう声をかけられる。


「ご機嫌よう、天音子先輩。先輩こそ珍しいですね? 学食なんて」


 立ち上がり挨拶をしようとした琴音を首を振って静止し、天音子はそのまま琴音の前に座る。


「実はわたくし、今週はやってみたかったことをやってみようキャンペーンを実施中ですの。それで、前々から食べてみたいと思っていた学食に、来てみたんです」


「へぇ。先輩は相変わらずですね」


「無論、わたくしはお嬢様ですから。おーほっほっほ!」


 天音子は大きな高笑いを響かせるが、みな慣れたものなのか。誰も彼女の方に視線を向けたりしない。


「……あら? 古賀さんなにか、元気がないですわね? もしかして何か、悩み事ですか?」


「……やっぱり、分かります?」


 琴音は苦笑するように、小さく息を吐く。天音子は少し得意げに、えへんと胸を張った。


「わたくしこう見えて、視力は両目とも0.7ですから! 可愛い後輩が悩んでいるのを、見逃したりしません!」


「そんなによくはないんですね、視力。ちなみにあたしは、両目とも1.5です」


 琴音は上品な仕草で親子丼をスプーンで口に運びながら、少し頭を悩ませる。この先輩のことは、信頼している。しかしだからと言って、何でもかんでも話せるというわけではない。


 落葉との過去はもちろんのこと、告白したこともできればあんまり、知られたくない。


「実は、友達の話なんですけど……」


 そこで琴音の口から溢れたのは、そんな常套句。琴音は自分でも『なんだかなぁ』と思いながら、言葉を続ける。


「その子……好きな人がいるらしいんです。でもその人とは過去にいろいろあったみたいで、これからどう接していけばいいのか、悩んでるみたいなんです」


「なるほど、お友達のことを気にされていたのですね。古賀さんは相変わらず、お優しいですわね」


 琴音の言葉を全く疑った様子もなく、ふんふんと頷きながら、大きな唐揚げを頬張る天音子。琴音はそんな天音子の性格は知っているから、特に気にした風もなく続ける。


「それでその子……その、思い切って告白しちゃったみたいなんです。でも彼からは、まだ返事をもらえてないみたいで……。それで、どうしたらいいのか迷ってるらしいんです」


「恋の悩みですわね。わたくし、キュンキュンしますわ」


「実際、天音子先輩は、どうしたらいいと思います? やっぱりあんまりガツガツいくと、男の子は引いちゃ──」


「いえ、攻めるしかないですわ!」


 勢い余って、立ち上がってしまう天音子。しかしそれでもやはり、誰も天音子の方に視線を向けたりしない。琴音も全く、驚いた様子はない。


「攻める、ですか。その子、あんまりそういう経験がないらしくて、攻めるにしても何をしたらいいのか、よく分からないみたいなんです」


「だったら、デートに誘えばいいのです! 上品に座っていたら、男の子はこっちの気持ちを分かってくれる……なんて、そんなのは幻想ですわ! この前わたくし、少女漫画で読みました!」


「あ、先輩も読んだんですね。今、映画やってるやつですよね? それ」


「そう、それですわ! わたくし、あまりそういうのは観たことがなかったので、三回も劇場に足を運んでしまいました!」


「えー、いいな。あたしまだ、行けてないんですよねー。……じゃなくて!」


 琴音はごほん咳払いをして、スプーンをトレーの上に置く。


「結局あたし……じゃなくてその子、どうしたらいいと思います?」


「だから、デートに誘うんですわ! 結局、一番大切なのは人が人を想う心なのです! その方が真摯に相手を想っているのであれば、悪い結果にはならないはずです!」


「……なるほど」


 天音子の迫力に、思わず頷いてしまう琴音。そんな風にして、急遽始まった恋愛相談は、昼休み終了のチャイムが鳴るまで続くのだった。



 ◇



 そして、同日の夜。



 父親との電話を終えて困惑していた落葉のところに、琴音と沙織からメッセージが届く。細々とした内容は違ったが、最後の一文は2人とも全く同じものだった。



『今度の週末、デートに行きませんか?』



「……いや、どうしろって言うんだよ」


 いきなりなことにいきなりなことが重なった落葉は、しばらくどちらにも返信することができなかった。


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