第29話 相談



「あー、疲れた」


 小さく呟いて、自室のベッドに倒れ込む。慣れ親しんだ、いつものベッドの感触。でも、どうしてか今はそれが落ち着かなくて、意味もなくゴロゴロと転がってしまう。


 あのあと……古賀さんに告白されたあと、俺は何か言おうとしたのだが、それを遮るようにハイテンションな美海子ちゃんが部屋に入ってきて、結局うやむやになってしまった。


 それでそれから、古賀さんが朝ごはんを作ると言ってくれたのだが、俺は二人のご両親が帰ってきた時に何と言えばいいのか分からないと言って、手早く着替えて帰ってきてしまった。


 ……というか正直、逃げてきた。


「付き合ってください、か」


 古賀さんが俺に好意を持ってくれているのは、何となく分かっていた。でもそれが友人に向ける好意なのか、恋人に向ける好意なのか、俺には判別がつかなかった。……いや、わざとつけないようにしていたのかもしれない。


 偶然、再会した幼馴染。本心を曝け出せる数少ない相手。俺は彼女との関係が壊れてしまうのが嫌で、わざとそういう感情を先送りにしていたのだろう。


「古賀さんに、悪いことしたかな……」


 古賀さんの好意に、俺はまだ返事を返していない。何と答えを返せばいいのか、分からなかった。……いや、『分からない』というのが、嘘偽りのない今の俺の本心なのだろう。


 分からないから、どうしていいか分からない。古賀さんのことは好きだ。好きだけれど、じゃあ付き合うのか? と問われたら、簡単に『はい』と頷くことはできない。半端な気持ちで答えを返して、後で古賀さんを傷つけるような真似はしたくなかった。


「あー、くそっ」


 未だに目を瞑ると思い出す、榊さんの柔らかな唇の感触。……それと、昨日の古賀さんの温かな体温。昨日は結局、ほとんど眠れなかった。古賀さんは泣き疲れたのか、俺に抱きついたまま眠ってしまって、俺は朝方まで悶々とした気持ちで過ごすことになった。


 だから正直、寝不足で頭が回っていない。


「あー、学校行くのめんどくせ」


 別にサボったところで、俺を怒るような親はいない。勉強はちゃんとやってるし、教師の覚えも悪くはない……と思う。なので適当に仮病をしたところで、誰も俺を責めたりはしないだろう。


「でも流石に、サボるわけにはいかないからな。……はぁ。ほんと、古賀さんも榊さんも急なんだよな……」


 まあでも、人を好きになるというのは、そういうことなのかもしれない。俺だって前に榊さんに告白した時は、急だった。……いや、俺の中では理屈は通っていたのだが、榊さんからしてみれば急だと思ったに違いない。


「でもやっぱ、分かんねーよ」


 古賀さんと付き合うのも、榊さんと付き合うのも嫌ではない。榊さんとも古賀さんともいろいろあったが、一応、過去の気持ちに整理はつけられたと思う。……ただまあ二人とも、整理した瞬間に散らかすようなことをするから、こっちとしては少し困ってしまうだけで。


「あー、そうだ。結局、古賀さん誘うの忘れてたな……」


 サッカーを教えたお礼として、天音子さんから貰った遊園地のチケット。あとで古賀さんを誘おうと思って鞄に入れていたのを、すっかり忘れてしまっていた。


「まあ、また今度でいいか。……つーか、眠い。まだ……七時過ぎか。三十分だけ、寝よ……」


 ここでごちゃごちゃ考えても、きっと答えは出ない。俺は迫り来る睡魔に抗うことができず、そのまま目を瞑った。



「……で、この様か」


 目を覚ますと、空は茜色に染まっていた。30分だけと決めていたはずなのに、10時間くらい爆睡していたようだ。もう寝坊とか、そういう次元ではない。学校もとっくに終わっている時間だ。


「……って、電話だ」


 そこで珍しく、家の電話が鳴る。……もしかして、学校からか? とか思いながら、電話番号も確認せず、急いで受話器を上げる。


「はい、坂島です」


 俺がそう言うと、受話器の向こうから聞こえたのは、冷たい刺すような声だった。


「落葉か? 俺だ」


「……っ!」


 その声に、思わず体が固まる。聞き間違えるはずもない。その冷たい声の持ち主は……


「落葉、お前に少し話がある」


 俺の父親、坂島さかしま 紅葉こうようの声だった。



 ◇



 さかき 沙織さおりは、悩んでいた。



「……はぁ」


 今日、落葉が学校を休んだ。親しくしている友人たちにも何の連絡もきていないようで、メッセージを送っても既読がつかないらしい。


 心配している声もチラホラと聴こえてきたが、結局、また誰かとオールでもして寝坊したんだろうということで落ち着き、担任の教師には体調を崩したと連絡があったと、森たちが気を遣ってそう伝えていた。


「…………」


 隣の席に空いた、小さな空白。いつもそこに居るはずの彼。最近は何をしていても、彼のことばかり考えてしまう。授業を受けている時だって、気づけば彼の方に視線がいってしまう。


 真面目な顔で授業を受けたり、偶に眠そうに欠伸をしたり、退屈そうにペン回しをしたり。そんな彼を見ていると、ふわふわした気持ちになって、胸がドキドキと高鳴る。


 夜も、彼のことばかり考えてしまって、なかなか寝付けないことが多くなった。今だって授業中なのに、彼のことばかり頭に浮かぶ。……それと同時に、過去の自分の嫌味な態度を思い出し、どうしようもなく胸が痛んだ。


 彼がもし、自分と違う女性と付き合うことになったとしても、自分にそれを責める権利はない。そう分かっているけれど胸が痛んで、沙織はやっぱり授業に集中することができない。


「はぁ……」


 本日、何度目かのため息が溢れる。結局その日、落葉が学校に登校してくることはなかった。


「もしかして、風邪でも引いたんでしょうか?」


 心配だ。でもだからって、わざわざ家に様子を見に行く……なんてことをするのは、流石に気持ち悪いだろう。……いやでも、メッセージくらいは送ってもいいのかもしれない。


「…………」


 そう思うがしかし、スマホを持った沙織の指は動かない。どんなメッセージを送ったらいいのか、それが沙織には分からなかった。


「……帰りましょう」


 結局、沙織は文面を考えることができず、そのまま帰路につく。普段の沙織は寄り道なんてしないが、でも今日はこのまま家に帰るような気分でもない。



 久しぶりにカフェにでも行って、コーヒーでも飲んでみようか?



 そうすれば、少しは気分も晴れるかもしれない。ちょうどこの前、気になっていた小説を買ったところだ。


「偶には、いいですよね……」


 沙織は少しだけ胸を弾ませながら、駅前のカフェに向かう。


「あら? もしかして……沙織さんじゃありませんか?」


「あなたは……」


 そこですれ違ったのは、三輪みわ 幸三郎こうざぶろうの姉である三輪みわ 天音子あまねこ。彼女は優雅な仕草でスカートをつまみ、沙織に向かって頭を下げる。


「ごきげんよう、沙織さん。こんなところでお会いするなんて、奇遇ですわね」


「……こんにちは。天音子さん」


 沙織はあまり、天音子のことが得意ではなかった。昔からの知り合いではあるが、彼女とはあまり話が合わない。だから沙織は逃げるように一歩、後ずさる。


 天音子はそんな沙織の態度を見ても少しも気にした様子はなく、艶やかな金髪をなびかせ笑う。


「もしかして沙織さんも、そこのカフェに行くつもりでしたか?」


「いや、私は……」


「分かってます、分かってます。何か、新作が出たらしいですわね。フラペチーノと言うんでしたっけ? わたくし、普段は紅茶しか飲まないので、そういうのはあまり詳しくないんです」


「……そうなんですか? 実は私もあまり、詳しくなくて……」


「じゃあ、ちょうどいい機会ですわね。わたくし、クラスメイトの子たちが話しているのが、ずっと気になってましたの。ほら、行きますわよ?」


「ちょっ、私は──」


 天音子に手を引かれ、そのままカフェに連れて行かれてしまう沙織。昔から彼女は強引で、そういうところが沙織はずっと苦手だった。


「ふふっ、楽しみですわね」


 しかし、屈託なく笑う天音子を見ていると、毒気を抜かれてしまう。


「……仕方がないですね」


 沙織は小さくそう呟き、天音子に付き合うことを決めたのだった。


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