第25話 その日の夜

 その後、俺たちは水鼠の迷宮から立ち去った。

 気絶してしまった真嶋くんのことは、責任をもって俺が外へと運んだ。

 だが……そこから先は知らない。迷宮の入り口に放置してきてしまったからだ。


 そして――夜。

 俺はいつものように、アカネに料理を作ってもらっていた。


「じゃじゃーん! 今日はねっ、お赤飯炊いてみましたっ!」


 と、笑顔で言ってくるアカネ。

 俺はそんなアカネのことをじっと見つめて、


「……アカネさん、ありがとうございます」

「ううん、気にしないで? あたし、キミに手料理食べてもらうの、けっこう好きだしっ」

「そうじゃなくて……いや、料理もありがたいんですけど」


 俺は無意識のうちに、自分の左頬を撫でていた。

 先日、真嶋くんに殴られたときの痣が、まだそこに残っている。

 だけど――きっと俺は、明日から真嶋くんの嫌がらせから解放されるだろう。


「アカネさん。動画は……どうですか? 再生数、伸びでますか?」

「うんっ。もしかしたら、あたしの動画だと一番の再生数になっちゃうかもっ」


 そう。アカネはすでに、今日の出来事の動画をネット上にアップしていた。

 タイトルは、『【怒ってます】アカネは絶対にいじめを許しません』。

 その動画は、真嶋くんが俺にしてきた嫌がらせの数々をペラペラと喋るところから始まって、そしてアカネの身体を狙った犯行計画を口走り、そのままアカネに制裁される……という内容のものだ。


「それと、安心してね? 悠月くんの顔にはモザイクかけたし、名前とかFランクの話とか、キミを特定できちゃいそうなシーンにはピー音入れてあるよ? あと、キミのことを特定しようとしたら、アカネは出るとこ出るよっ! って強く言っておいたからっ」

「ありがとうございます。まあ、学院のみんなにはバレちゃうと思いますけどね」


 とくに俺のクラスメイトは、俺が受けてきた真嶋くんからの嫌がらせの数々を目の当たりにしている。

 アカネの告発動画を見れば、一発で被害者は俺だと特定できてしまうだろう。


「えへへっ。ねえ、どうかな? あたし、ちょっとはキミに恩を返せたかな?」

「……ちょっとどころじゃないですよ。アカネさんのおかげで、俺はもう二度と真嶋くんたちからの嫌がらせに悩まなくて済みます。これで明日からは、学院の授業に集中できる。……本当に、ありがとうございました」


 俺はアカネに向けて、深々と頭を下げた。


「やっ、やめてよ。キミはあたしの、命の恩人なんだよ? このくらい、協力して当然だよ」

「……それでも、です。俺ひとりじゃ、どうすることもできない問題でした。アカネさんには、感謝してもしきれません」

「そ、そう? ……えへへっ、そっか」


 アカネはやわらかく、そして嬉しそうに笑った。

 そんな彼女の、可憐な表情を見て……俺は。


(……ここまで、だよな)


 あの日、俺はたしかにアカネの命を救った。

 だが……俺とアカネの関係なんて、それくらいのものでしかない。

 超人気のダンジョン配信者であり、一部の層からはアイドル視されているアカネにとって、俺のような男と密会しているという事実はいろいろとマズい。


 それに……俺はもう、十分にアカネからの恩返しを受けた。

 リスクを背負うのは、もう、やめにしたほうがいいはずだ。


「……アカネさん。大事な話があります」

「えっ!? な……なに、かな?」

「俺たち――もう、会うのはやめるべきだと思います」


 俺が、はっきりと告げると。

 アカネは……ぽかん、と唖然とした表情になる。


「……え、?」

「アカネさんの目的は、俺に恩返しをすることだったんですよね? だとしたら――俺はもう、十分すぎるくらいに恩を返してもらいました」

「……っ、でも! あたし、キミに命を助けてもらって……っ」

「アカネさんは超人気のダンジョン配信者で、アイドルみたいな存在でもあります。そんなアカネさんが、俺なんかとこっそり会い続けるのは……さすがに、リスクが高すぎるんですよ」


 俺は真剣な声音で、そうアカネに話す。

 しかしアカネは、すぐには納得してくれなかった。


「……学院は、どうするの? あたし、キミのクラスメイトなんだよ……?」

「そこはアカネさんに任せます。ただ、今日の動画はすでにネットニュースにもなってますし、マスコミが学院に押し寄せてくる可能性もあります。そういうのを避けたいなら、退学するのが一番だと俺は思ってます」

「そ、っか。そう、だよね……」

「それに……俺は、嫌なんです。俺のせいで、アカネさんの人気に支障が出ることが。だから、この関係は今日で終わりにしましょう。俺たちは、ただのファンと配信者の関係であるべきです」

「…………………」


 すると、アカネは。

 俺に、言葉を返してこなくなった。

 しばらくしてから――彼女の唇が、ゆっくりと動く。


「ねえ、悠月くん……」

「はい?」

「悠月くんは……あたしの恩返し、迷惑だった……?」

「えっ……?」


 その瞬間だった。

 アカネの白い頬に――大粒の涙が、流れ落ちた。


「あ、アカネさん……? なんで、泣いて……」

「あれ……な、なんでだろっ。ご、ごめんねっ。すぐ、泣き止むから……っ」


 だけど。

 アカネの涙は、止まらなかった。

 拭おうとすればするほど、さらに多くの水滴が垂れていく。


「ごっ、ごめんね、悠月くんっ。あたし……すぐ、出てくから。本当に、ごめん……」

「っ、待ってください! 俺、アカネさんを傷つけたかったわけじゃ――」


 と――そのときだった。


 ずきり、と。

 俺の胸部に埋め込まれた、未界石が――、


「――ッ!? クソっ、なんでこのタイミングで……っ!?」


 しばらく味わっていなかった、未界石の疼き。

 それが今、唐突に発生し――俺の全身に、激痛が走った。

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