第16話 まさかの展開

 家に帰ると、当たり前のようにアカネがリビングでノートPCをいじっていた。

 彼女は俺に気づくと、にこっと可憐な笑みを浮かべながら立ち上がって、


「悠月くんっ、おかえ……、え?」


 しかし……彼女は、俺の顔の痣に気づいたのだろう。

 笑顔はすぐに消えて、驚きの表情に切り替わる。


「その痣、どうしたの……? もしかして……学院で、何かあったの?」

「……はい。まあ、ちょっとだけ」

「あっ……て、手当てしないとだよね。あたし、救急箱探してくるね……?」

「大丈夫です。あとで自分でやりますから」

「で、でも……」


 アカネはどこか納得のいかない様子で、ちらちらと俺を心配そうに見上げてくる。


「……悠月くん。どこで、怪我したの……?」

「今日、学院の授業でダンジョンに潜ったんです。そのときに魔物と戦闘になって、うっかりって感じです」

「……嘘。あんなに強い悠月くんが、そんなとこに怪我するなんて思えない」


 と、アカネは俺のすぐ目の前にまで近寄ってきた。

 ……顔が近い。それと、柑橘系の良い香りがする。俺は思わず、緊張から目を逸らしてしまう。


「……やっぱり。その痣、誰かに殴られたあとでしょ?」

「え?」

「しかも、魔装でだよね? やけどの跡もあるし……炎か雷の能力を持った魔装で、悠月くんの顔を殴ったやつがいる。違う?」


 アカネの声音には、怒気が含まれていた。

 天真爛漫な性格のアカネが見せる怒りの感情に、俺は少しだけ驚かされる。

 それに、俺の怪我の原因を見抜く観察眼。……さすがはプロのBランク探索者だ、てきとうな言い訳では通用しなかったらしい。


「悠月くん、教えて。誰にやられたの? 学院には、悠月くんよりも強いひとがいるの?」

「……まあ、わんさかいますよ。だって俺、Fランクの落ちこぼれなんで」

「それって、魔装を使えないフリしてるからだよね? でも……悠月くんって、魔装なんか使わなくてもすっごく強いじゃん」


 まっすぐに俺の目を見つめながら、アカネがそんなことを言ってくる。


「ねえ……お願い、悠月くん。ちゃんと、あたしに教えて? 誰に、どうしてそんなことをされたの?」

「それは……アレですよ。恥ずかしながら、クラスメイトとの喧嘩に負けちゃったんです」

「っ……喧嘩なら、なおさら悠月くんが負けるわけないじゃん」


 それは……そう、そうなのだ。

 断言できる。俺は、魔装に頼らずとも――真嶋くん程度の実力者なら、素手だけで完封が可能だ。

 だが、それができない理由が俺にはあった。


 じつは、俺は――手加減が、どうしようもないくらいに苦手なのだ。


 もし俺が真嶋くんと本気で喧嘩をしたら、おそらく酷い怪我を負わせてしまうことになるだろう。

 最悪の場合、彼の探索者生命を俺が絶ってしまうかもしれない。

 ……そんな事態は、さすがに避けたい。


 だから俺は、真嶋くんの嫌がらせに反撃せず、彼からの暴力を受け入れる日常を選んだのだ。


「……あのさ、悠月くん。もしかして……学院で、何か嫌な目に遭ってるの……?」


 アカネの潤んだ瞳が、俺を見上げてくる。

 だけど……クラスメイトからの嫌がらせに遭っている、なんて正直に言えるはずもなく。


「……アカネさんには、関係ないじゃないですか」


 そう言い放ってから――しまった、と俺は思った。

 アカネは俺を心配して、優しく寄り添おうとしてくれている。なのに俺は、つい冷たく突き放すような言い方をしてしまった。

 謝らなければ、と俺は口を動かそうとする。

 だけど――、


「そんな、言い方っ……あたし、悠月くんのことが、本当に心配で……っ!」


 アカネの瞳から、涙が垂れた。

 俺は、言葉を失ってしまう。


「――もういい。悠月くんがそのつもりなら、あたしにだって、考えがあるんだから」

「えっ……、あ、アカネさん――」


 アカネは荷物を手に取って、急ぎ足で俺の家から去ってしまう。

 そんなアカネの背中を見ながら、俺はため息をついた。


「……怒らせちゃった、か」


 その日の夜。

 アカネは、ダンジョン攻略配信を休んでいた。

 そして俺は俺で、アカネの料理を食べることができなかった影響か――数日ぶりとなる未界石の疼きに襲われて、嵐熊の迷宮へと発散しに行くことになった。


  ◇◇◇


 翌朝。

 学院に登校し、いつも通りの真嶋くんからの嫌がらせを受け流して。

 チャイムと同時に入ってきた霧下先生が、神妙な面持ちで教壇に立った。


「今日は授業の前に、急遽お前たちに説明しなければならないことがある。驚くとは思うが……この件は、絶対にSNSなどで拡散しないように。いいな?」


 なんだろう、と思った。

 霧下先生はいつもクールな教師だ。だがその顔には、珍しく冷や汗が浮かんでいる。これは……本当に、只事ではないのだろう。


「それでは……どうぞ、入ってください」


 ごくりと固唾を飲み込んで、俺を含むクラスメイトたちが教壇に注目する。

 すると、その直後――、


「――はいはいっ! あたし、今日からこのクラスでお世話になることになった、転入生でーすっ!」


 ガラガラと教室のドアが開き、ひとりの女子生徒が入ってきた。

 可憐に整った顔立ち、おしゃれに改造された制服、そして……ポニーテールの、赤い髪。

 彼女は教壇に立つと、可憐にウィンクをして、


「日向朱音っていいます! みんな、よろしくね?」


 瞬間……、

 クラス中で、驚きと歓喜の混じったような叫び声が上がった。

 想像すらしていなかった展開を前にして、俺は……、


「な……なんで、アカネが……?」


 ぽかん、と間抜けに口を開いて。

 俺は、唖然とすることしかできなかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る