第10話 恩返し……?

「――それでねっ、アカネももうダメだーって思ったんだけど……そしたら、天井から岩が落ちてきたの! しかもその岩、先っちょが剣みたいに尖ってて――」


 アカネの、元気いっぱいな雑談の声が聞こえてくる。

 俺は、そんなアカネの配信を……目の前で、じっと静かに見ていた。


 ――どうしてこうなったんだ、と改めて思う。


「で、結局レッドドラゴンは、そのまま動かなくなったの! やっぱり、アカネって運がいいよねっ」


 時刻は現在、朝8時。いつもなら、アカネがダンジョン攻略配信を行っている時間だ。

 しかし今日は、事情が事情である。転移トラップにかかってしまったアカネは、ついさっきまで消息不明者の扱いを受けていた。

 アカリスたちはもちろんのこと、多くの人々がアカネを心配し、そして一部の探索者たちはアカネの救助隊を編成したりもしていた。


 そんなアカネが――今、俺の家で配信を行っている。

 この配信のタイトルは、『【謝罪】アカネ、生きてます。ご心配をおかけしました』という真面目なもの。

 アカリスたちに向けた生存報告、そして転移トラップの先で何が起きたのかを説明するための枠というわけだ。


「……うん、そうだよね。みんな、心配してくれたよね。本当に、ごめんなさい」


 深々と頭を下げるアカネ。

 コメント欄には、アカネの生還を喜ぶ声に混ざって、彼女の迂闊な行動を非難するような声も見える。

 これはアンチの仕業ではなく、アカネを心配してのコメントだろう。


「アカネも、まだまだ実力不足だったってことだよね。Bランクの探索者になれて、ちょっと調子に乗っちゃったんだと思う。すごく、今は反省してます。すみませんでした」


 アカネの瞳が潤む。

 転移トラップにかかったときの恐怖を思い出したからなのか、それともアカリスたちへの申し訳なさから来る涙なのか――それは、俺にはわからない。


「でも――心配しないでね、みんなっ。アカネ、配信をやめるつもりはないからっ! これからも元気いっぱいに、楽しい配信をやってくつもりだよっ!」


 そう言うとアカネは、明るい笑顔を浮かべて、


「ということでっ、今日の配信はここまで! アカネ、今日はダンジョン管理局にいろいろ報告しに行かなきゃいけないから、夜配信はできないかも。でも明日の朝は、いつも通り朝活するつもりだよっ! みんな、よかったら見に来てね?」


 ぱちり、とウィンクをするアカネ。

 それを配信越しではなく、直に浴びてしまった俺は……どきり、と心臓が高鳴った。

 アカネの可憐な顔立ちが目の前にあるのだという事実を、改めて意識させられる。


「え? アカネが今、どこで配信してるのかって? うーん、そうだなぁ――」

 

 と、コメントを読んだのか、アカネが思案するようなポーズを取る。

 そして彼女はほんのりと頬を赤らめて、カメラの向こう側に座っている俺のことを見た。


「――アカネがすごくお世話になった、憧れてるひとの部屋にいるのっ。それじゃ、おつアッカーっ!」


 ふりふりとカメラに手を振りつつ、遠隔操作で配信を終了させるアカネ。

 ふう、とアカネは息をついて、


「ごめんね、悠月くん。お部屋、借りちゃって」

「いや、俺はいいですけど……それにしても、なんでこんなことに……」


 ふと俺は、三時間前のことを思い返す。

 赤竜の迷宮を抜け出したときに、アカネは俺に「恩返しをさせてほしい」と頼んできた。

 しかし俺はそんなアカネの提案を断り、逃げるように電車に乗って帰宅したのだが……驚くべきことに、アカネは俺をストーキングして、なんと俺の家に着いてきてしまったのだ。


 キミに恩を返すまで帰らない、などと言い張ってきたアカネを、しぶしぶ俺は家に招き入れて――今に至る、というわけである。


「それじゃ、配信も終わったことだし。悠月くんへの恩返し、始めてもいい?」

「……だから、べつにいいですって。俺、そういうつもりで助けたわけじゃ――」


 と――アカネの白くて細い指が、俺の唇を塞ぐように添えられた。

 突然の接触に、俺は緊張と困惑を一気に感じる。


「恩を返さないと、あたしの気が済まないの。だって、キミは――あたしの命を救ってくれた、ヒーローで、王子様なんだよ? そんなひとに、何もできないなんて……そんなの、やだよ」


 アカネの綺麗な瞳の淵に、小さい涙の粒が浮かんだ。


「あたし……キミのためなら、なんだってするよ? お金がいいならたくさん払うし、それで足りないなら……カ、カラダとかでも、いいよ……?」

「――はあ!?」

「だって、その……男の子って、そういうセンシティブなこと、好きなんだよね? あたし……悠月くんにだったら、何をされても嫌じゃないよ?」

「いや、いやいやいやっ……」


 甘く囁いてくるアカネの言葉に……一瞬だけ、頭の中が真っ白になる。

 だけど俺は理性を保つために、こほん、と咳払いをしてから、


「……アカネさん。そういうことは、気軽に言わないでください。もし俺がその気になって、ここで押し倒されでもしたらどうするんです?」

「そういうのが、いいの? なら……乱暴にしても、いいよ……?」

「っ、だから――というかっ、そもそも俺みたいな男の家にノコノコと上がってる時点で、配信者としてはアウトです。誰かに見られて、拡散でもされたらどうするんですか」

「そこは、ほら。あたしも探索者だから、潜伏技術には自信あるもん。今日もぜったい、誰にも見られてないよ?」

「そういう問題じゃないんですよ。それに、さっきの配信だって――」


 と、俺の説教を遮るようなタイミングで。

 ぐううぅ……と、俺の腹が大きい唸り声を上げた。


「あっ……」


 瞬時に、俺は自分の顔が熱くなっていくのを感じる。

 一方のアカネは、そんな俺のことをまっすぐに見つめながら、


「ふふっ。ねえ、悠月くん。あたしの三大特技って、なんだか知ってる?」

「え? ええっと……」

「楽しいダンジョン配信をすること。可愛いオシャレをすること。それと、あと一個が――」


 えへへ、と。

 とても可憐な笑顔を、アカネは浮かべて、


「――美味しい料理を作ること、だよ?」

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