第8話

「私が、負けた……!? そんな……叶、そんなに私と酒呑童子のコーヒーには違いがあったというのか!?」

「うん。みなちゃんのはね、ただ単にコーヒーの粉と砂糖を溶かして作ったコーヒーまがいのもので、春臣さんのはしっかりとお客さんに出せるレベルのコーヒーだった。なんなら、前のバイト先のマスターよりも美味しいかもしれない」

「はっはっは、そう言ってもらえるのは嬉しいが、それはちょっと申し訳ないな」



 春臣さんが笑いながら言う中、みなちゃんはまだ信じられないといった顔をしていた。



「叶、ちょっとそのコーヒーを飲ませてもらってもいいか?」

「うん、いいよ。はいどうぞ」

「ありがとう」



 みなちゃんは春臣さんが淹れたコーヒーを私から受けとると、意を決した様子で一口飲んだ。すると、その顔は安らぎに満ちたものに変わった。



「美味しい……叶が言うように、しっかりと甘さと苦味があり、飲みやすさすら感じる。インスタントコーヒーだけでここまでの味になるのか?」

「なるぞ。今回は淹れ方を工夫したが、そういう一手間でインスタントコーヒーでもだいぶ美味くなるんだ。こんなのを知ったら、他人を傷つけたり物を奪ったりしていい気になっていた自分がバカらしくて仕方ない。そんな事をしてる暇があれば、この味よりも更に上の味を追い求めたくなるからな」

「酒呑童子……」



 みなちゃんが春臣さんを見つめていたその時、緊張の糸がプツリと切れたのかみなちゃんの体がぐらりと揺れた。



「みなちゃん!」



 慌てて私はみなちゃんの元に向かおうとしたけれど、私とみなちゃんの間にはカウンターがあって隔てられている。みなちゃんが倒れてしまう。床にぶつかって怪我をするみなちゃんの姿を想像しながら目を瞑っていたけれど、いくら待ってもそれらしい音は聞こえず、私は恐る恐る目を開けた。



「大丈夫か、光よ」

「え……」



 目の前では春臣さんが優しい顔をしながらみなちゃんの腕を掴んで支えていた。そんな少女漫画のワンシーンみたいな光景の中、みなちゃんの顔もどこか乙女になっていた。



「あ、これは……」

「どうした、叶?」

「いや、これはみなちゃん的には複雑な事になるなあと」

「ほーん?」



 黒兵衛が不思議そうにする中、春臣さんはゆっくりとみなちゃんの腕を引き、もう片方の手で肩を押さえながら体勢を整えさせた。



「しゅ、酒呑童子……」

「叶の親友に怪我をさせるわけにはいかんのもそうだが、お前のように見目麗しいおなごが傷つくのは俺としても許せんからな」

「わ、私が見目麗しい……?」

「ああ。鬼である俺に食って掛かるところやその外見から一見凛々しさが目立つかもしれないが、その内面の美しさや鈴のような声は並みのおなごでは到底敵わないと思っている。源の名を持つ者として俺に挑むのはいいが、今はまだ若く未来があるのだからそのような事など考えずに恋人や友垣を作って幸せな人生を過ごすといい。お前にはその権利があるのだからな」

「あ……」



 春臣さんの言葉を聞いて声を漏らすみなちゃんの周りにうっすらとハートが見えた気がした。これは間違いない。やっぱりみなちゃんは春臣さんの事を好きになったのだろう。



「なんというか、これは……」

「ふふ、現代的に言えばチョロいって言われるタイプの子なのかもしれないわね。けれど、普段はしっかりしている子なんでしょう?」

「はい。春臣さんの容姿がみなちゃんにとってドストライクなのもあって落ちただけで、普段はそんなに惚れっぽい子ではないですし、むしろ同性の子達から惚れられている立場ですよ」

「そうなんだ。たしかに女の子から好かれそうな感じがする」

「だよね」



 私達女子組が話していると、それを聞いていた黒兵衛が不思議そうな顔で秋風さんに話しかけた。



「秋風、アイツらの言ってることわかるか?」

「俺の知ったことではない。俺には関係ない事だからな」

「お前さんも相変わらずだねえ」



 黒兵衛はやれやれといった様子で首を横に振り、秋風さんはふんと鼻を鳴らした。そうしてさっきまでの勝負の雰囲気から一転して和やかな雰囲気になってきた時、私は壁掛け時計に目を向けた。



「あ、もうこんな時間。そろそろ帰らないと」

「お、そうかい。そんじゃあ気を付けて帰るんだぞ、叶」

「うん。あ、待ってた時の注文品のお会計まだだった」



 私がお財布を出そうとしていると、黒兵衛はニッと笑いながら首を横に振る。



「今日のお代はいい。今回はうちの味の体験をしてもらったと思ってくれ」

「でも、ほんとにいいの?」

「おう。光にもまた来て欲しいって言ってくれ。人間の客は珍しいからな」

「うん、わかった。それじゃあいこうか、みなちゃん」

「え……あ、ああ……」



 我に返ったみなちゃんが少し名残惜しそうに頷く。そしてみなちゃんがカウンターから出てきた後、私達はみんなに挨拶をしてからお店を出たけれど、みなちゃんの顔はまだ乙女な感じで、目にはうっすらハートが浮かんでいたような気がした。

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