第3話 合格通知

 この半年ほど寝る間も惜しんで猛勉強したという自負、そして子猫を見殺しにせずに済んだという安堵のおかげで、俺は落ち着いて面接を受けることができた。そして夕方六時、合格の通知を受け取った。


 やった。

 さらば社畜生活。


 スマホを握りしめ、合格の喜びに浸った。春からはまた学生に戻れる。今度は手を抜かずにやろう。そしていい修論を書こう。


 恥ずかしい話だが、学部生の頃は要領よく単位を取ること、ガクチカに書ける経験を充実させることに力を入れていて、勉強の方はさっぱりだった。そんな俺が卒論を書く頃になって研究のおもしろさに気付くとは、自分でも意外だった。


 所属していたのはK大学経済学部の中では楽だと評判のゼミだ。毎週のゼミ活動はテキストの輪読と出てくる数式の解説が主で、数学が得意な俺にとっては楽だった。これまで取っていた講義と同様、適当に流すはずだった。ところが経済的な事象を数字で表すことができるというのは存外おもしろく、気付けばゼミの後たまに、指導教官の石井先生の部屋に質問に行くようになっていた。石井先生の説明は丁寧で、時間のある時には類題を出して解かせたりもしてくれた。講義やゼミではほとんどやる気を見せないが、こうして一対一になると、先生はとても熱心なのだった。


 そんなわけで、卒論のテーマもけっこう本気で選び、石井先生に報告すると、「笹井さん、おもしろいテーマを選んだね」と俺の研究計画を簡単にまとめたA4のプリントアウトから目を上げてほほ笑み、俺は「お?」と思った。

 講義もゼミも表情をほとんど変えず淡々とこなす――そのせいで三十代半ばという実年齢より老けて見える――石井先生が、自分の書いたテーマに興味を示して笑ったというのは、なんだかくすぐったく、そして嬉しかった。今思えばあの瞬間が、こうして大学院を目指す礎となったのだろう。


 大学に戻ることについては、早いうちに石井先生に相談していた。先生の返事は、「やりたいことはやった方がいい。笹井君は研究者に向いていると思う」で、俺の背中を押してくれた。

「石井先生の元でまた学びたいと考えています」

 そう俺が言うと、先生は困ったような顔で笑った。

「とても嬉しいけど、できればそれは避けた方がいいかな。もっと力のある研究者がいる。彼らのうち誰かがいいと思う」

 そうして、何名かの研究者の経歴を手早くプリントアウトし、俺に渡してくれたのだった。



 朝の彼女からSMSが届いたのは、石井先生の研究室に立ち寄ってH大学大学院合格の報告を済ませて構内に出たところで、俺は銀杏の木の下に立ち止まった。

 非通知でかけていいと伝えたのに、これでは電話番号がわかってしまう。俺を信用してくれたということなのだろうか。


 連絡が遅くなってすみません。

 猫ちゃんは今、私の部屋で眠っています。

 お返ししたいのですが、何時ごろ、お会いできますか?

 

 三十分後でどうですか。

 場所はゴミ収集所で。


 わかりました。

 七時半に待っています。

 それとお金なんですが、二万三千円かかりました。


(二万三千⁉)


 俺は目を疑った。せいぜい数千円だと思っていた餌代とホームセンターへのタクシー代の他に、子猫を入れるケージなどの備品まで買ったのだろうか?

それにしても高過ぎやしないか?

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