第3話
花屋の朝は早い。
花市場に仕入れに行くときは朝3時には起きなくてはならなかったが、それは盆や正月前に集中する。それでもネット注文で調整はするが。
大体はネット注文で事足りる訳だが、花屋ではネット注文した花を取りに行く作業があるのだ。
その為、店が開く朝9時前までに取りに行かねばならず、朝食は帰宅してからと決まっている。
竹久と二人車に乗り込み花市場に向かい、指定されている場所での花の受け取りとなり、ハイエーナの中は花でいっぱいになる。
と、同時に有ケ谷と門馬もハイエーナでやってきて同じように指定された場所で花の受け取りとなるのだが、車は改造している為二段置きも出来るが、鉢物を仕入れる時は基本的に二段置きになる。
沢山の花を入れ込み、門馬たちも花を積み込み、店まで帰るのだ。
「良い花が仕入れられたな! これで寂しくなった店も美しい花々で賑やかになる」
「そうですね、まだ時期的なものですが、シンビジウムやシクラメンが多めでしたけれど、贈り物には素敵なお花ですものね!」
「竹久も悪いな、朝早くから手伝って貰って」
「いえ、前の職場ではもっと早かったですし、寝るのもとても遅かったですから、長瀬さんのお店は働きやすくて楽しいです」
「そうか。明後日の木曜はスーパーに二人で出かけるか?」
「お願いします。そろそろお米が無くなりかけているので」
「解った。他に欲しいのがあったら色々買っていこう。君は時短料理を木曜に一気に作るだろう?」
「献立が決まっていると無駄が省けますから」
「君は良い奥さんになると思う!」
「離婚歴のある私を嫁に貰う男性何ていませんよ」
「そうか? 貰い手が無かったら俺が貰おう」
「冗談が上手いですね」
「ははははは!」
冗談ではないのだが、その内本気にして欲しいところだ。
「君はよく働いて、気が利いて、優しい女性だと思っている。あまり頑張りすぎないように、気を張りすぎなくても良いんだぞ?」
「でも、今までそうやって生きてきましたから」
「少しは甘えると言う事を覚えたほうがいい」
「難しいです」
「なら、俺が甘えさせようか? 弟がいるから甘えさせるのは得意だ!」
「ふふふ。長瀬さんはたまに不思議な事を仰いますね? 甘えると言う事に慣れてないんです。そう言う世界で生きてこなかったので」
「では、俺の好きにしていいと言う事でいいだろうか」
「困惑はするかもしれませんが、それで長瀬さんの気が晴れるのでしたら」
「言質は取ったからな! これからは甘えさせよう!」
「ふふふ、お手柔らかにお願いしますね」
そう言って嬉しそうに照れ笑いする竹久に胸がキュッとなる。
甘え方を知らない彼女の為に、まずは甘え方を教えていく事からスタートしよう。
褒められ慣れていない彼女の為に、ドンドン褒めて行こう。
そんな事を思いながら店に到着すると、俺と竹久はラッピング作業をし、門馬たちは花を荷台から降ろしていく作業を進める。
今日は沢山買った。
苗物もそうだが、鉢物も多かった。
お正月の間に売れてしまったのだが、此処まで花が無くなることは早々今までなかった。それもこれも、竹久が客の要望を事細かに知っていると言う事でもあるのだが、ラッピングした花々が並ぶと店も賑やかになる。
今日は苗ものを中心にスーパーに卸す日だが、余った花で鉢植えを作り、それも客が来ては飛ぶように売れていた。
竹久は働き者だ。元務めていたナズハ生花店でどれだけ酷使されていたのか想像したくは無いが、笑顔で仕事をしてくれる彼女には感謝しかない。
こんなにも尽くしてくれる彼女に、少しはお礼がしたくなるのは当然だろう。
外はまだ寒いだろうに鉢植えを作り、そうやって売りに出しては売り上げを伸ばしてくれる彼女には本当に感謝だ。
昼になる頃にはある程度作り終えたらしく戻ってきたが、指先は寒さで真っ赤になり、ハンドクリームを塗りこんで息をあてて温めていた。
「あれ、竹久さんホッカイロとか持ってないの?」
「ええ、前のお店では使ってはならなかったから」
「俺2つあるから1つ上げるよぅ……そんな痛々しい手にしていたら駄目だよぅ」
「ありがとう有ケ谷君」
そのやり取りを聞いて、今度ホッカイロを買ってやろうと心に決める。
寒さの厳しいこの時期でも冷蔵庫の掃除や汚れたバケツの掃除だってしてくれるのに、気が回らなかった自分が嫌になるが、挽回は出来る筈だ。
「竹久、俺の使っているホッカイロを夜に幾つか渡すから、木曜一緒に買いに行こう」
「ですが……まだお給料入っていませんので大丈夫です」
「必要経費だ」
「……ありがとう御座います」
柔らかく笑顔を見せた竹久に胸がギュッと締め付けられる。
もっと大事にせねばと思うのに、どうにも上手くいかない。
囲ってしまえれば大事にできるのに、それを彼女はよしとはしないだろう。
彼女は仕事が好きだ。それが解るからこそ……歯がゆい気持ちになる。
まだ出会って1ヵ月位しか立っていないのに、彼女の存在は俺の中でとても根深く根を張り、大きい花として成長していた。
咲かせていいのか、咲かせてはいけないのか解らない。
心の中にあるこの花に名をつけていいのかさえも分からない。
ただただ――大事にはしたい。
今日の仕事が終わるといつも通り竹久はマンションに入り料理を作る。
俺は富雄と他愛のない会話をしながらゴミを出し、ふと富岡は鉢植えを見てフッと笑みを零した。
「良い従業員が入ったんだな。綺麗な鉢植えだ。それにラッピングもお前だけじゃないだろう?」
「ああ、実に素晴らしい従業員を雇ってな」
「大事にしてやるといい。センスも良いしナズハ生花店の竹久を思い出すようなセンスの良さだ」
富岡にはまだ竹久を俺が保護している事は伝えていない。
だが、ラッピングの癖や色合いから、なんとなく察しているのだろう。
「ナズハ生花店は、このままいけば二年もせずに潰れるだろう。躍起になって居なくなった竹久を探しているが、警察に届け出る事もしていないようだ」
「そうか」
「見つかり次第すべての責任を彼女に押し付けて借金をそのままにドロンするつもりらしい。彼女は何のために生きてきたんだろうな。もし竹久を見つけたら、俺なら真っ先に事情を説明して嫁にするがな」
「契約の嫁か?」
――契約結婚。
確かに白い結婚にはなるだろうが、その手もあったかと思い至る。
それに、契約結婚なら彼女も納得はしてくれそうだ。
「ただ、ナズハ生花店とやり合う事にはなるだろうが、嫁に貰っていたら最早どうすることも向こうは出来ないからな。地獄へ行くなら勝手にあちらが行けばいいだけだ」
「そうだな、全く持ってその通りだ」
「長瀬」
「なんだ」
「もし、竹久を雇っているのなら早めに手を打って置け」
「……そうしよう」
長年この仕事を続けてきた富岡が気づく程、彼女の作ったものと言うのは解りやすいのだろう。
ナズハ生花店の話は竹久にすることに多少の抵抗はある。
だが、契約結婚と言う言葉は魅力的だ。
彼女がよしとすればだが――せめて様子を見てナズハ生花店の話をしようと思った出来事だった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます