第2話
竹久との出会いは忘れられない。
着の身着のままという姿で「ここで雇って頂けませんか!」と何度も頭を下げていた。
最初対応したのは門馬だったが、俺が出てくると必死に頭を下げていた。
指を見れば花屋で働いている手をしていた。
緑で染まった指の汚れは中々落ちることは無い。
酷使した手だった。
『君は花屋の経験は?』
『あります!』
『なら雇おう。まずは着替えをしてきて貰えるだろうか。風呂場には案内しよう。家を荒される訳にもいかないから様子は見させてもらうが』
『ありがとう御座います! ありがとう御座います!』
そう言ってポロポロと涙を零しながら俺のあとをついて来て、シャワーを浴び出てきた姿に驚いた。
とても――綺麗な女性だった。
家の花屋【Ideale】(イデアーレ)とはオペラから付けた名前だが、【理想の女】と言う歌だ。
正にそれに相応しい姿をしていた。
無論、俺にとってはだが。
『その様子だと住む場所もないだろう。家で正社員として雇うついでに、此処でルームシェアをしていいから料理や掃除も担当してもらえるか?』
『住み込みで働かせて頂けるのですか!?』
『嫌ならいいが?』
『何から何までありがとう御座います……精一杯務めさせて頂きます!』
俺に媚びない姿も魅力的だったが、仕事への情熱のある人だった。
当時クリスマスシーズンに入ろうかと言う忙しい時期で、花屋はてんてこ舞いだった。それでも店に入って業務用冷蔵庫に貼っている31日までの予定表を見ると直ぐに理解したのか、報連相をシッカリと守り花を組み始め、その動きはとても早かった。
玄人の動きだった。
押していた配送時間までには間に合い、次にアレンジ注文も即座に作り納品も終了させることが出来てホッとしていると、『次は何を作りましょう!』と足りてない花を作った上で指示を仰いできた。
お陰で売り上げは今までになく伸びて、弟が驚いた程だった。
正月、弟にも事情を話し、彼女を家で雇ったことと、一緒にルームシェアしていることを伝えると「良いではありませんか」とホクホク笑顔だった。
売り上げに貢献したことが評価されたのだろう。
基本的に花屋に休みは無いが、家の花屋は木曜日が休みだ。
土日は花を入れ終われば昼には終了する。
気楽な花屋生活といっていいだろうが、そう言う働き方をしていると聞いた時の竹久はとても驚いていた。今まで休みなく毎日働いていたらしく、休みが貰えるとは思っていなかったようだ。
それなのに給料は良いのだから驚くのも無理は無いが。
だからこそ少数精鋭で花屋の仕事をし、稼げるときにガッツリ稼ぐと言うのは大事なことだ。
更に言えば、複数スーパーでの卸しがある為、定期的収入には困らない。
葬儀社と提携すればもっと入るだろうが、そこまでするつもりも毛頭ない。
客から頼まれればスタンドや花は持って行く程度だ。
その際の引き取りは俺が行う。
そこに竹久が加わる形となった。お陰で終わりのスピードも速く、俺としても重宝している人物の一人になるのに、そう時間は掛からなかった。
性格も申し分なく、心根の優しい女性だった。
目立つ花ではないが、様々な花に寄り添うカスミソウのような女性だと感じ取ることが出来た。今では無くてはならない従業員、そして俺の生活にもなくてはならない女性になっていった。
彼女の過去は彼女が喋る日が来たら聞こうと思っている。
今はまだ話す時ではないのだろう……彼女からはかいつまんだ話しか聞いていない。富岡から詳しく聞いてしまってはいるが、ソレはソレだった。
「今日はカブの中華スープにカブと豚肉の餡かけか」
「ええ、季節物ですからきっと美味しいと思って産直野菜から門馬郎さんに頼んで買ってきて貰ったんです。餃子は手作りしていたものを冷凍していたので少しお出ししています」
門馬には買ってきて欲しいメモを渡してこうやって必要な物をスーパーで買ってきて貰う事も多い。
竹久がこの辺りにまだ詳しくないと言うのもあるが、直ぐにご飯にしたいと言うのも大きいだろう。
木曜と土日は一緒に買い物に行くことも多いが、一週間分買うのは中々に難しい為、足りない分を買ってきてもらうと言う感じだが助かっている。
風呂から上がり出来立てのご飯を食べて、食後はコーヒーメーカーで珈琲を入れて貰ってホッと一息を突く。
一日の流れとしては最高の終わり方だ。
とはいえ、ネットでの仕入れや伝票整理がある為、食後は直ぐに仕入れを始めると夢主は洗い物を済ませてから風呂に入る。
まだ彼女の部屋にはベッドと小さな机くらいしかないが、これから少しずつ給料を貰って増やしていくのだと語っていたのを思い出すと、最初こそ少し疑っていた自分が少し恥ずかしくなる。
女性ゆえに買うものも多いだろう。
少しでも役に立てればと、正月に小さな机と化粧用のスタンド鏡をプレゼントするととても喜んでくれたのを思い出す。
薄い化粧しかしていない彼女だが、それでも十分なほどに綺麗な顔をしていて、その内お金を貯めてからここでの新生活を心穏やかに過ごして欲しいとさえ思ってしまう。
何れ好きな人が出来てここを去るその時までは――。
そう思うと胸がズキリと痛むが、彼女への気持ちが芽生えたのはつい最近だ。
実る事のない想いだと解っていても、好きと言う気持ちは抑えが効かない。
それを出来るだけ表に出さないように、秘めた気持ちを少しずつ成長させ、何時かは枯れてしまうのだろう……。
だがもし枯れずに己のものになってくれるのなら――。
その時は、何よりも大事にしようと思える女性だった。
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