マンモス校と事件の種火

 我が『サンコー』は一応進学校を名乗っているが、休み明け初日から授業を詰め込むほど、バリバリのハードコアってわけでもない。

 退屈な始業式とホームルームが終われば、正午前には解放される。


 だが、俺の在籍する1年C組には、他クラスにない大きな話題があった。

 季節外れの編入生の登場である。

 帰国子女。金持ち。おまけに美少女。

 そんなのが急に現れたものだから、過ぎ去る夏への哀愁も学業再開の気怠さもどこぞへ吹き飛んでしまった。


「ねぇ、姫崎さん。この後予定ある?」

「クラスのみんなでカラオケ行くんだけど、よかったら親睦会を兼ねて一緒に行かない?」


 ホームルームが終わった瞬間から、唯愛はクラスメートに囲まれている。

 うちのクラスは派閥のないフラットな雰囲気だから、自分から付き合いを避けるどこぞの変人でもない限り、学友には事欠かないはずだ。

 ちょうどいい。放課後の唯愛の面倒はクラスメート諸君に任せて、俺はさっさと帰るとしよう。

 まだまだ残暑が厳しいし、昼飯は軽くそうめんでも……。


「ごめん、今日は友達と先約があるんだ」

「えー、そうなの、残念」

「てか、姫崎さんこっちに知り合いいるんだね」

「誰? うちのクラスの人?」

「うん、昔からの付き合いで……あ、待って竜司!」


 唯愛の呼びかけに、教室に何とも言えない空気が満ちた。

 クラス中の視線が俺に集められる。


『え、まさかの三善君?』

『なんで三鷹の狂犬と? どういう繋がり?』

『まさか、入学早々良からぬことに巻き込まれてるんじゃ』

『もしそうなら、俺が姫崎さんを守護まもらないと……』


 困惑と好奇の入り混じったヒソヒソ声。

 それを物ともせずに、唯愛が俺の元に歩いてくる。


「どこ行くのさ、竜司。放課後は学校を案内してくれる約束だったでしょ」

「いや、誘われてんだからそっち優先しろよ」

「友情は追々温めておくから、今日のところは付き合ってよ。……ちょっと、気になってることがあるんだ」


 ニヤリと笑う唯愛に、ヒヤリとする背中。

 本能が警鐘を鳴らす。

 経験上、この顔をした時のこいつに付き合うと、大抵ロクな目に合わない。


「いや、やっぱ断わ……」

「バイト代とは別に、特別手当も出すから」

「マジっすか!」


 なんて、コソコソとやり取りしていると、一人の女子生徒が「あ、あの」と、教室の全員を代表するように手を挙げた。


「二人は、どういう関係なの?」


 そう言われてもなぁ。

 雇用主とその従僕。

 なんて馬鹿正直に答えたら引かれそうだし、実家の関係から説明するのも冗長な気がする。

 まぁ、ここは無難に幼馴染とでも……。

 と、考えを巡らせる俺の隣で。

 ふふん、と得意げに胸を張った唯愛が、高らかに言い放った。



「彼とは、将来を約束した仲なんだ」



―――


「お前よぉ……ちったぁ穏やかな学校生活を送る気はねぇのか」


 職員室や事務局、特別教室などが集まる『本館』の、学生食堂。

 午後練前のエネルギー補給に来た運動部に混ざって、俺と唯愛は昼食を摂っていた。

 隅の方に陣取ってるのは、例の爆弾発言が理由だ。

 あの直後、俺はこの馬鹿女の首根っこを掴み、逃げるように教室を後にした。

 驚くクラスメイトたちの絶叫の圧は、今も背中に残っている。


「意味深な言い方しやがって。みんな困惑してたじゃねぇか」

「なんで? 嘘は言ってないでしょ」


 ラーメン(※一人前)に餃子定食(※ライス・スープ・杏仁豆腐付き)を合わせた、なんともハイカロリーなオリジナルセットをもしゃもしゃしながら、唯愛は答える。


「昔、約束したじゃないか。『大人になったら執事にしてあげる』って」


 ほな、そう言わんかい。

 いや、どのみち周りからしたら意味不明か。


「……で、これからどうすんだ。『気になること』があんだろ?」

「あ、それは後回しでいいよ」


 唯愛はそう言うと、レンゲを口に咥え(お嬢様にあるまじきはしたなさだが)、学生カバンを漁り始めた。


「まず、学校の中を一通り回っておきたいんだ」


 取り出されたのは、コピー紙で作られた中綴じ本。


「それは?」

「『新聞部』が新入生向けに毎年発行してる、部活紹介のガイドだよ。知らないの?」

「生憎、入学当初は3年をバイトに捧げるつもりだったもんで」

「もったいないなぁ、せっかく部活が盛んな学校に入ったのに。ほら見て、非公認の同好会まで数えたら、100は軽く超えるよ」


 五十音順で並べられた索引には、有名無名・規模の大小を問わず、多くの部活名が書いてあった。

 野球部が硬式と軟式で両方あるのは序の口。

 競技の前身に当たる『クリケット部』まで揃ってるのは、なかなか珍しいんじゃないだろうか。


 他には、『ポエトリーリーディング部』や『フリースタイル研究会』といった新興コンテンツのクラブに、『闘鶏同好会』『新時代ホビー開発部』などの他校ではお目に掛かれない奇抜な名前が目立つ。

遊部あそぶ』に至っては、完全におふざけだろこれ。

 それでも3月末集計で、20人以上が在籍してるあたりに、『サンコー』の自由……というか、アナーキーな校風がよく現れている。


「で、興味のあるクラブは見つかったか?」

「特には」


 何じゃい。

 白けた俺を見て、唯愛が肩をすくめる。


「クラブそのものに興味はないけど、ボクのやりたいことをするための準備として、一通り覗いておく必要があるんだよ」


 やりたいこと? 何のこっちゃ?

 首を傾げる俺をよそに、唯愛は「ごちそうさま」と手を合わせると、補助ステッキを手に立ち上がった。


「栄養補給完了。さぁ、行こうか竜司」

「その前に自分で食器を片そうな、お嬢様」


―――


 それから3時間ほど、俺は校内散策に付き合わされた。

 唯愛はどのクラブも興味深そうに見学し、部員たちにあれこれ質問していたが、あくまで冷やかしに留めている。 

 どうやら、本気で部活を始めたいわけではないらしい。


 こいつが興味を持つのは、活動内容よりもどんな人間が在籍しているか、他のクラブとの関係性はどうなのか、といった人間関係にまつわるものが多い。

 そうして時々愛用の革手帳を開いては、熱心にメモを取るのだ。

 しょーもない情報ばかりに思えたが、本人曰くどれも大事なことらしい。


 校内散策の方法も、また独特だった。

 少子化問題とは無縁のマンモス校である『サンコー』には、その規模に相応しい広大な敷地と、数多くの施設がある。


 普通科用の校舎が3棟。

 情報・システム系の設備が用意された専用の校舎が2棟。

 体育館や室内競技場は、用途別にいくつも作られている。


 運動場も、体育で使うメインのグラウンドの他、硬式野球場やテニスコート、サッカー場などといった、主立った運動部の競技場も全て網羅されていた。


 唯愛は、それらも全部見て回りたいとほざきやがった。

 しかも、肝心の部活にはほとんど目もくれず、競技場の設計や、どの道がどこに通じているのかといった、何の役に立つのか分からないことばかりを調べている。

 厳しい残暑の中、長時間付き合わされている身としては、疲労感が溜まる一方だった。


\ピンポンパンポーン/


『先週の日曜日に井之頭公園の池を使ってトライアスロン大会を開いた生徒は、至急職員室まで来なさい。繰り返します……』


\ピンポンパンポーン/


『業務連絡、業務連絡。富永先生、先生の自家用車に勝手にニトロを積んだ生徒が判明しましたので、職員駐車場までお越しください。繰り返します……』


\ピンポンパンポーン/


『学園創始者の肉声データを加工した耳かきASMRの制作、および拡散に関わった情報科の生徒は、いい加減名乗り出なさい! 明日までに職員室に来なければ【AI技術研究会】の部室に強制捜査に入りますよ!』


 うるせぇなぁ……。


 まるで祭りか抗争かといった騒がしさだが、これこそ我が『サンコー』の平均的な放課後風景である。

 ていうか、最後の校内放送に至っては、犯人の目星ついてんじゃねぇか。野放しにするな野放しに。


「うーん、そこかしこから漂うトラブルの香り……たまらないねぇ」


 うちのお嬢も、何故か嬉しそうだし。


「で、次はどこ行くんだ?」


 意気揚々と歩く唯愛の頭上に日傘を掲げながら、俺は尋ねた。

 こいつは好奇心が刺激されると、その他のことが疎かになる。

 この陶磁のように白い肌を守るには、付き人が気を配らないといけない。


「見ておきたいものは、ひとまず見終わったかな。最後に一つだけ付き合ってよ」


 そう言って唯愛はスタート地点の本館に戻った。

 今度は食堂には寄らず、二階へと上がる。


「お、竜司と姫崎さん」


 そこで鉢合わせたのは、うちのクラスの担任。大道寺ことダイさんだった。


「意外なとこで会うと思ったら、姫崎さんに校舎を案内してあげてるのか。感心感心」

「ダイさんこそ、こんなとこで何やってんだ? 職員室は一階だろ」

「これだよ、これ」


 俺の問いに、ダイさんは目の前の部屋を親指で差した。

 扉の上のプレートには『生徒指導室』とある。


「へぇ、こういうのに立候補するタイプなんだ。なんか意外」

「違うって。うちの学校、生徒指導は月替わりの当番制なんだよ」

「うわ、メンドそう……てか生徒指導って、どんなこと仕事するんだ?」

「基本は放課後に校内を回って、トラブルが起きてないか確認したり、過度に風紀を乱すと判断された私物を探して没収したり、とかだな。熱心な先生は休日も顔を出すらしいけど、俺は絶対しない。何故なら面倒だから」


 鍵を刺して、ガラリと引き戸を開ける。


「お前も変なことに巻き込まれんなよ。ただでさえ悪目立ちするんだから」

「放っとけ」


 はっはっはと笑い、ダイさんは『生徒指導室』に入っていった。


「竜司は、大道寺教諭と仲が良いのかい?」


 3階に続く階段に足を掛けながら、唯愛が問う。

 歩行に支障が出るほどの障害はないとのことだったが、足取りは随分と慎重だ。

 話題を振ったのは、居たたまれなさそうにしている俺に、気を遣ったのだろう。

 足並みを揃え、腰の辺りにそれとなく手を添えながら、答える。


「入学してすぐに、ダイさんが車の鍵をなくしたことがあってさ。成り行きで探すのを手伝ったら、妙に気に入られちまって。それ以来、色々目を掛けてもらってんだ」

「竜司らしいね。普通、そんなの適当な理由つけて逃げるでしょ」

「……嫌なんだよ、あとで後ろめたい気持ちになるのが。飯は美味しく食べたいし、寝つきも気持ちいい方が良いからな」

「そもそも普通の人は、そこまで気に病まないんじゃないかな。……さぁ、着いたよ。お目当ての部屋だ」


 唯愛が足を止めたのは、とある部屋の前だった。

 両脇を『調理教室』と『被服教室』に挟まれた『家庭科準備室』。

 扉には『【パペット研究会】部室(月・水・金)』と書かれた紙が貼ってある。


「また随分とマイナーな……。お前、こういうのに興味あんの?」

「いや、全然」


 バッサリ切り捨てて、唯愛が扉をノックする。


「はーい、どちら様?」


 中から顔を覗かせたのは、メガネをかけた女子生徒だった。


「えっと、一年生、でいいんだよね。もしかして見学?」


 学年ごとに色の違う上履きを確認して、女子生徒が問う。


「いえ、ちょっとお話を伺いたいだけです。……今朝の揉め事について」


 あぁ、思い出した。

 この女子生徒、始業式の前に見た顔だ。

 ってことは、あれか。揉め事ってのは、ガラの悪そうな連中と廊下で口論してた件か。

 何でそんなことに首突っ込もうとしてんだ、こいつは?


「えっと、貴女は……?」


 女子生徒も俺と同じ感想を抱いたのだろう。

 穏やかな声音に警戒と困惑を滲ませつつ、尋ねる。


 それに対し、唯愛はよくぞ聞いてくれましたとばかりに「ふふん」と鼻を鳴らした。

 手にした補助ステッキを、ミュージカル女優の様に軽快な手捌きでくるりと回し、リノリウムの床を叩く。


「通りすがりの、トラブルマニアですよ」


 何故にキメ顔?

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