新生活と三鷹の狂犬

【三鷹の森学園高等学校】


 通称、『サンコー』。

 東京都武蔵野市に古くからある、いわゆるマンモス校だ。

 全校生徒は5000人超と、全国でもトップクラスの生徒数を誇っている。

 学力水準は比較的上の方で、受験倍率も高い。


 人気の理由は、緩く設定された校則だろう。

 勉強のできる高校ほど校則が緩い、なんてのはよく聞く話だが『サンコー』の場合はそれが行き過ぎている。

 ぶっちゃけ、落第さえしなければオールオーケー。

 そんなスタンスだから、度の過ぎた悪ふざけやイジメ、その他警察のご厄介になる様なことでなければ、大抵のことは許される。その分テストは難しいけど。


 そのため、風変わりなクラブ活動だったり、想像もつかない様な悪ノリをする輩が多く、校内トラブルには事欠かない。

 良く言えば、活気に満ちた気鋭の学び舎。

 悪く言えば、おふざけの過ぎる騒がしい箱庭。

 周辺住民には『サンコー動物園』なんて呼ばれてもいるらしい(新聞部調べ)。


 それが、俺がこの春から通っている母校。

 唯愛が、日本での日々を過ごすことになる高校だった。


「失礼します」

「しゃーす」


 唯愛と再会した翌日、夏休み明けの9月1日。早朝。

 一足早く登校した俺たちは、職員室を訪れていた。


「君が姫崎さんだね。話は聞いてるよ。今日からよろしく」


 俺たちが訪ねたのは、担任の大道寺だった。

 ボサボサの髪に、傾いたメガネ、明らかにアイロンをサボっているヨレヨレのシャツと、冴えないアラサー男性の見本のような教師である。

 人柄は良く、いい意味で教師らしくない『抜け』感も相まって、生徒の人気は高い。

 大人というよりは、話の分かる近所のお兄さんくらいの距離感で親しまれている。

 愛称は『ダイさん』。


「お父さんから理事長に『脚の悪い娘の介助役として、三善竜司君と同じクラスに入れてやって欲しい』と直接要望があったとかで、俺のクラスで面倒見ることになったんだけど……一体どういう関係なん? 君ら」


 ダイさんが説明を求めて俺を見る。

 そりゃ、興味も湧くだろう。

 大富豪のご令嬢と、ヤンキー崩れの一般学生。

 この点と点は、普通繋がらない。


「こいつは俺の昔馴染みで、親父さんから面倒見るよう頼まれたんだよ。まぁ、バイトみたいなもんだ」

「ふぅん……しかし、姫崎さんも変わってるね。聞けば、米国あっちのミドルスクールでは神童と呼ばれてて、大学への飛び級も視野に入ってたらしいじゃないか。それがまたどうして、飛び抜けて偏差値が高いわけでもない我が校に来たんだい?」


 え? 飛び級? マジで?

 目を丸くする俺の前で、唯愛は肩をすくめ、曖昧な苦笑を浮かべた。


「こちらの方で、やり残したことがありまして」


 それ以上の説明はせず、唯愛は最後にもう一度挨拶をすると、職員室を去って行った。


―――


「何なんだよ、やり残したことって」


 始業式の行われる講堂へ案内する道すがら、傍らの唯愛に尋ねる。


「ん?」

「さっき、ダイさんに言ってただろ」

「あぁ、あれ? 別に、大したことじゃないんだけど」


 唯愛がその場で立ち止まり、スカートの裾を摘まんで広げる。

『サンコー』では制服の改造が黙認されていて、生徒はみんな大なり小なり制服をイジっている。そのせいで、校内を歩いていてもあまり統一感を感じない。

 とはいえ、唯愛は登校初日。

 今のところは、夏用のブラウスとチェックスカ―トといった、シンプルな組み合わせである。


「どうかな」

「どうって?」

「制服姿。可愛いでしょ」

「……まぁ、似合ってはいるけど」


 素直に認めると、唯愛は「ふふん」と薄い胸を張った。


「これでも乙女だからね。おしゃれな学生服っていうのに、人並みの憧れがあったんだ」

「は? そんな理由で、飛び級の話を蹴ったってのか?」

「ダメかな。大学はどのみち通うことになるんだし、それなら今しか味わえない時間を楽しんだ方がいいじゃない」

「……そんなもんかぁ?」

「そんなもんだよ」


 どうにも、煙に巻かれた気がする。

 何か別の事情があるとは思うが、これ以上は訊いても無駄だろうな。

 ともかく、今はこの変わり者のお嬢様を、さっさと講堂に届けるとしよう。

 そう思って、再び歩き出そうとしたところで。




「もう、あんたらマジでしつこい! いい加減にしてよ!」




 女の甲高い怒声が、廊下中に響き渡った。

 地味な印象の女子の一団と、派手な見た目の男女の一団。

 外見通りの二陣営に分かれた数人が、昇降口の辺りで睨み合っている。


「言ったでしょ、あの話はもう流れたの。いつまでも絡んでこないでよ」


 派手陣営の女子生徒が、腰に手を当て高圧的に言い放った。


「あ、あんな一方的に言われても困るわよ……っ」


 地味陣営の女子も負けてない。

 目はキョドっているが、それでも食い下がる。


「うちは、そっちの要望どおりに、サンプルまで作ったのっ。せめて、その分の製作費は払ってもらわないと……」


 ガンッという鈍い音が響く。

 派手陣営の男子の一人が、壁に拳を打ち付けた音だ。


「それは! こっちの納得のいくものができたらって話だっただろ!」

「そ、そんなの事前に聞いてない……」

「言ったよ! お前らが! 話をきちんと! 聞いてなかっただけだろうが!」


 短く区切った言葉に合わせて、男子生徒が壁を叩く。

 あからさまな恫喝に、地味陣営はたじろいでしまった。

 ……朝っぱらからメンドくせぇなぁ。

 騒ぎは避けたいが、迂回はかなりの遠回りだ。仕方なく、声を掛けることにする。


「すんません。んなとこで騒がれると、迷惑なんスけど」

「あぁ? んだよ、外野は黙ってろよ」


 俺が声をかけると、男子生徒の一人が早速ガンを飛ばしてきた。

 が、目が合ったところで「げっ」と声を上げる。


「お前、『三鷹の狂犬』……」


 どうやら、俺の悪名を知ってるクチらしい。

 なら、有効活用してたまには元を取らないとな。


「悪ぃんだけど、早いとこ解散してもらえません? 通れねぇんで」

「……ちっ」


 少しの睨み合いの末、男子生徒は仲間たちと渋々撤収していった。


「あ、ありがとうございましたっ」


 手短に礼を言って、地味陣営も慌ててその場を去っていく。

 いや、そんな逃げるようにいなくならなくても……。


「……『三鷹の狂犬』?」


 軽く肩を落とす俺の後ろで、唯愛が首を傾げる。


「まぁ、あれだ。若気の至りってやつ」


 中学に上がって一人暮らしを始めた俺は、荒れた生活を送っていた。

 今にして思えば、執事見習いとして兄貴から直接仕込まれた格闘技を、くだらない争いの道具として使うことで、反発してみせたかったのかもしれない。

 売られた喧嘩を片っ端から買っていき、敵を叩きのめして粋がる毎日。


『一人でも強く生きていく』という言葉の意味を履き違えたことに気付いた時には、俺は周りから『狂犬』と呼ばれ、避けられる存在になっていた。


 高校に入ってからは心機一転、友達でも作って青春を謳歌しようと思ったりもしたが、初日の顔合わせの時点で噂は既に広まっており、腫物を触る様な扱いに秒で心が折れてしまった。

 以来、現在までボッチライフ継続中。


「狂犬かぁ。真面目だった頃の竜司を知ってるだけに、いまいちイメージができないかも。そんなに有名だったの?」

「西は武蔵境、東は高円寺まで」

「中央線で6駅圏内かぁ……」


 しゃーねーだろ。

 中坊の移動手段は、基本チャリなんだから。

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