第4話 夏休み、八月。妹に彼氏ができた

「おにーちゃん、シュークリーム食べる?」


 夏休みもまだまだ前半の八月頭、昼食前なのにバニラの甘い匂いがしてくると思ったら、台所で妹がシュークリームを作っていた。ホーロー鍋からカスタードクリームをスプーンでよそって、焼き上がったシューの中に詰めている。ウキウキした表情で鼻歌でも出てきそうだ。


「どうしたんだよ朋美、機嫌いいじゃん」

「えへっ、実はね、」


 白いワンピースにエプロン姿の妹は、にやけた表情で俺の顔を見てきた。なんだか嫌な予感がする。俺は卓上のシュークリームを一つ取って口にいれる。クリームがほんのり甘い。


「告白されちゃったの!」


 一瞬頭が真っ白になる。息を呑んでしまい、しばらく経ってようやく言葉を吐く。


「まじ……で…」

「うん。両想いだったの」


 朋美は白いワンピースに包んだ身体をくねくねさせながら、顔を赤らめてうなずいた。

 俺の口から、まだ暖かいカスタードクリームがどろっと流れ出てくる。


「もしかして、その恰好……」

「うん、これからデート! えへっ」


 思わずがっくりと膝をついてしまった。人生最大の衝撃が頭を駆け巡り目がくらむ。

 口では妹の好きにさせてやりたいと言っても、やっぱり本音は違うのだ。

 そこに追い打ちがやってくる。


「おにいちゃんの選んでくれたこの服、彼の好みにストライクだったんだって。えへへ」

「まじで! ロリコンじゃんそいつ」


 デレっと惚気てくる妹に思わず叫んでしまった。

 妹はエプロンを外すと、置いてあった麦わら帽子をかぶって、その場でくるっと回る。


「おにいちゃん、どうかな、えへっ」


 ふんわりとしたノースリーブの白いサマーワンピースが、風をはらんで妹の華奢な身体つきを引き立てている。帽子をぐるっと巻いた水色のリボンが可愛らしい。左腕に軽く巻いた同色のアクセがワンポイントになっている。


 こんな可愛い妹を他の男に取られるだなんて、俺は前世にどんな罪を重ねたのだろう。

 俺は呆然としながらも、まだ暖かいシュークリームをもう一つ手に取って機械的に口に押し込む。


「それ、おにーちゃんにお礼だから、好きなだけ食べていいよ。おかわりもあるよ」


 妹の浮かれた声を聞きながら、頭の中にとりとめのない想いがグルグル回る。妹の親友の子に悪いことをしたなと漠然と思う。

 さっき甘いと思っていたシュークリームの味は、もう判らなくなっていた。

 

 ◇


 ウキウキと家を出て行く妹を呆然として見送った後、俺は自室のベッドの上で天井の模様を眺めていた。


 飲み込んだシュークリームが喉に詰まって息が苦しい。読もうと楽しみに積んでいた妹ラノベを開いても、活字の上を目がただ滑っていく。

 自分の妹に彼氏ができることがこんなにも辛いだなんて、いままで想像したことすらなかった。男と一緒に楽しそうな妹の姿を想像するだけで、胸が苦しくなってくる。もう死にそうだ。誰か助けてくれ!


 ピロン♪


 枕元から着信音が聞こえてきた。寝ころんだままスマホを手に取る。画面に表示されていたのは犬のアイコンとメッセージ。


(絵里)今日、会えないかな


 思わず驚いてベッドの上に立ち上がってしまった。もちろん彼女を忘れていたわけでもないのだけど、本当にメッセージを送ってくるとは思っていなかったのだ。


 手から滑り落ちそうになったスマホを握りしめ、顔認証を解除して二秒で「うん! 大丈夫」と返事を打つ。

 妹に捨てられて灰色になった心の中に光が広がってくる。ベッドに立ち尽くしたまま、ピロンと追加で送られてくる待ち合わせ場所に、即座に了解のスタンプを返す。


 そうして俺は、妹から無理やり頭を切り替えて、どんな服を着て絵里さんに会いに行こうかと頭を悩まし始めた。



 ・ ・ ・ ・ ・



 結局悩んだものの、ジーンズとTシャツという普段の恰好になってしまった。それでもなるべく新しいTシャツを選んで、財布の中身も確かめておく。


 八月の日射が道を急ぐ俺を照りつけてくる。ゲーセンに入るや否や、一息ついてぐっしょりとした汗をハンカチで拭く。冷房の風が火照った肌に心地よい。高校生ぐらいのカップルの声がキャッキャと聞こえてくる。

 ぬいぐるみの並ぶクレーン機の間を抜けて、きょろきょろと見回しながら店内を歩く。


 クリーム色のサマードレスに淡い緑のカーディガンを羽織った女性が、暗がりに佇んでいるのが目に入ってきた。俯いた顔がゲーム機のモニターに照らされていて、長く黒い髪はLEDの光を反射している。

 見覚えのある顔に、俺は遠慮がちに呼びかけてみる。


「絵里さん」


 俯いていた顔を上げた彼女は、前とは少し雰囲気が変わっていた。


「ゆう君、来てくれたんだ」

「連絡ありがとう、絵里さん。元気だった?」


 ラインの名前は本名の「すぐる」でなく「ゆう」になっている。高校の友達からはそう呼ばれることが多いのだ。

 彼女は微かに顔を傾けて、俺の問いかけには答えずに、壁際に光る自販機を指した。


「外は暑かったよね、アイスでも食べようよ」


 俺がうなずくと、彼女の口元がようやく緩む。

 絵里さんはレーズンバタークランチを選び、俺はチョコミントのボタンを押す。出てきたコーンのアイスを手に持って、隅のベンチに並んで座る。


 彼女は俺に視線を向けてこない。その目はクレーン機で遊ぶカップルをじっと見つめている。声を掛けずらい。しばらく二人で黙ってアイスを食べる。

 ピンクの舌先がアイスを舐め取るのを横目で見ていると、彼女は俺に目を合わせないままで唐突に話しかけてきた。


「あのさ、ゆう君」

「なんですか?」


 つい敬語で聞き返してしまう。

 彼女はくるりと顔を向けてきた。そして俺の目を見て尋ねてくる。


「私って、女として、魅力ないかな」

「いや、そんなことないっていうか、全然、ぜんぜん! 魅力あります!」


 俺を見る彼女の瞳は前と変わらずきれいだったけど、目の縁が少しだけ赤く腫れぼったくなっていた。

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