月が、綺麗だったんだ

碓氷澪夜

再会

「あ」


 夜のコンビニ。

 近くでなにかを見つけたような声が聞こえ、私は目の前のアイスコーナーから視線を上げた。


 冷凍庫を挟んで向こうに、まっすぐ私を見てくる人がいる。


「……あ」


 誰かと思えば、琉唯るいだ。

 憎たらしいくらい、奴は昔のまま。


「よ」


 琉唯は、右手を挙げて、また一文字を音にした。


「……よ」


 なんだ、この一文字だけのやり取りは。

 久々に会えば、こんな距離感になってしまうのだろうか。

 妙に気まずい空気に、なんだか笑えてくる。


依茉えま、決まった?」


 琉唯はどうやら、もうレジに向かうところらしい。


 この声かけ、懐かしいな。


「あれ、いいんですかー?」


 見失いかけていた距離感は、瞬間的に戻ってきた。


 私はにやりと笑みを浮かべる。


「久々に再会した記念ってことで」

「やった」


 私はソーダ味の棒アイスを取り、琉唯とレジに並ぶ。


 琉唯は店員さんにタバコの番号を言い、それとアイスの代金をスマホで支払った。

 高校卒業以来会っていなかったから、琉唯がタバコを買うような大人になっていることが、違和感でしかない。


「どした?」

「ううん、琉唯もオジサンになったんだなって思って」


 私は言いながら、アイスを取ってレジを離れる。


「はあ? まだ二十四だから。ってか、依茉も同じだろ。そんなこと言っていいのかよ。なあ」


 隣に立った琉唯は、意地の悪い顔をしている。

 私はその先を言わせないという意味を込めて、睨みつける。


「……冗談でーす」


 そして私たちはコンビニを出た。

 家が同じ方向にあるため、そのまま並んで夜道を歩く。


 夏は終わったはずなのに、まだ生ぬるい風が吹いている。

 なんとも不快な風。

 秋になったんだから、涼しい風が吹けばいいのに。


 まあ、過ごしやすい夜だったらアイスを買いに行かなかったし、そうしたら琉唯に再会しなかったから、あまり文句は言えないけど。


「じゃ、ゴチになります」

「どーぞ」


 私は袋を開け、アイスを取り出した。

 お行儀悪いのはわかっているけど、外で、それも人のお金で食べるアイスは美味しい。


「こんな夜中にアイスとか、太るんじゃね」

「うるさいな」


 琉唯は乾いた笑いを零しながら、タバコを一本取り出した。

 そしてタバコを咥えるその姿が、アイツと重なった。


 琉唯に気付かれる前に視線を逸らす。


「……歩きタバコはやめときなよ」


 アイツのことなんて思い出したくなくて、私はもっともらしいことを言った。

 本当は、こんなことを言う優等生キャラじゃないんだけど。


「だな。あー……俺もなんか買えばよかったわ」


 急な真面目キャラには触れず、タバコをジーパンの後ろポケットに仕舞い、空を仰いだ。


 私はまた、一口齧る。


 人が一人入れるほど離れてはいないけれど、近すぎもしない、私たちの距離。

 その間を、再び生ぬるい風が通った。


「てか、マジで久しぶりだよな。いつ以来だっけ」

「高校卒業以来じゃない? 二十歳の集いでは会ってないし、その後の同窓会は、琉唯がサボったから」

「サボったとか人聞きの悪い言い方するなよ。あれ、強制じゃなかったろ」

「……そうだけど」


 私たちはたまに連絡するくらいで、わざわざ約束して会ったりしない。

 だから、約束をしないで会って、近況報告ができる同窓会はサボってほしくなかった。


「なに? もしかして依茉、俺に会いたかったわけ?」


 でもこんなことを言ってくるから、正直に言う気も失せるわけだ。


「……違うし」

「相変わらず素直じゃないなあ」


 琉唯はケタケタと笑う。


 いつだって、私のちょっとした強がりみたいな言葉は、琉唯に見透かされる。

 どれだけ取り繕っても、今みたいに「素直じゃないなあ」って笑ってくれる。


 だから、琉唯の隣は気を張らずにいられて、居心地がいいのかもしれない。


「そういや、依茉ってこの辺で就職してなかったよな。転職でもした?」


 明日は平日で、仕事があるのに地元に戻っているのだから、気になるのは当然だろう。

 でも、可能なら触れてほしくなかった。


「いや……ここから電車で通勤してる。なんと、片道四十分」

「うわ、大変そう」


 そうだよ、大変なんだよ。

 田舎で、電車で通うなんて。

 私だって、正気の沙汰じゃないと思ってる。


 でも、そうするしかなかったんだよ。


「一人暮らしは? してなかったっけ」

「んー……してたけど……」


 琉唯の質問に、曖昧に返す。

 琉唯が疑問を抱いているのは、顔を見なくてもわかった。


「いつ、こっちに戻ってきたん?」

「二週間くらい前」


 最後の一口になったアイスを、一気に口に入れた。

 木の棒だけが残り、それが“ハズレ”であることを知ってしまった。


 こんなの、子供だましってわかってるのに。


「……ハズレだった」


 自分でもびっくりするくらい、ショックを受けていた。


「日頃の行いが悪かったんじゃね」


 いつもだったら、流す言葉。


 でも今は、変に重く受け取ってしまった。


「てか、結構最近戻ってきてたんだな」

「……まあね」


 戻ってきた理由。

 それを言うのは、抵抗があった。


 だからさっきから言葉を濁しているわけだけど。


 でもどうせ、琉唯は聞いてくる。

 だったら、先に言ってしまおう。


「……彼氏と同棲してたんだけど、捨てられてさ」


 空気で、琉唯が戸惑っているのがわかる。

 私だって、急にこんな話をされたら、なんて言えばいいのか迷う。


「ほら、私って日頃の行いが悪いみたいだし?」


 さっきの琉唯の言葉を、あえて使ってみたけれど。

 琉唯は苦虫を噛み潰したような顔をしている。


 ここで笑っているのは、ただの強がり。

 笑わないと、心が壊れそうで。


 だからお願い。

 琉唯も、笑ってよ。


 そんな、可哀想な子を見るような目をしないで。


 琉唯の視線から逃げるように、私は足元に視線を移した。


「……他に好きな人ができたからって、部屋追い出されて。でも、すぐに家なんて見つかるわけないし、とりあえず実家に戻ったのが、二週間前」


 親にも、友達にも言えずにいた、アイツの話。

 雰囲気に流されてしまったのか、気持ちに整理がついたのか、それとも一人で抱えきれなくなったのか。


 自分でもどれなのかわからないけど、ゆっくりと話していく。


「お互い仕事してるとね、すれ違う時間が増えるの。で、少しずつ気持ちに余裕がなくなっていって、家の中の空気なんて最悪」


 お互いに尊重し合うことが、徐々に減っていった。


『ご飯できてないのかよ』


 いつの間にか、私がご飯係。


『部屋が綺麗じゃなかったら、休んだ気がしない』


 いつの間にか、私が掃除係。


『今日は疲れてるから、もう寝るわ』


 私たちの時間は、作られない。


 私だって、休みたかった。

 甘えたかった。


 でもそれを素直に言えないのが、私のよくないところだった。

 強がって、一人でも平気、みたいな態度を取って。


 本当、バカみたい。


「だから……別れるのは、時間の問題だったんだよ」


 お互いに、好きあっていないことはわかってた。


 でも、別れたら当然、同棲は解消されて。

 そうなれば、面倒ごとが増えてしまう。


 だったら、少しくらい耐えよう。


 そう、思ってたのに。


「でもまさか……ほかに好きな人ができたって言われるとは、思わなかったなあ」


 アイツに別れたいって言われたとき。


 ああ、本当に終わりなんだ。

 やっと、終われるんだ。


 そう、同時に思った。


 琉唯はまだなにも言わない。

 ただ黙って、私の隣を歩いている。


 どんな顔をしているのかは、もう見れなかった。


「最後にね、俺はもっと甘えてほしかったって言われてさ。だよねって思った」


 若干冷たくなった風が、頬を撫でた。


 最後の最後で聞かされた本音。

 あんな環境で、どうやって甘えればよかったのか、皆目見当もつかないけど。


「甘えベタな私じゃ、ダメなんだなあって」

「ダメなわけあるかよ」


 琉唯は力強く否定した。

 急に遮られて、少しだけ驚いてしまった。


 琉唯の目は、まだ悲しい色をしている。

 その中に、ひっそりと怒りが潜んでいるような気がした。


「依茉はダメじゃない。そいつの見る目がなかっただけ」


 琉唯の言葉がストレートすぎて、なんだか泣きそうになってしまう。


 何枚もの絆創膏を貼って誤魔化していた心に傷に、それは酷く染みた。


「素直じゃないのも、甘えベタなのも、頑張りすぎるのも、全部、依茉を表すものじゃん。依茉からそれ取り上げたら、それ誰?って感じだし。てか、なにも残らなくね」

「……待って、貶してない?」

「バレた?」


 正直すぎる言葉に、思わず琉唯の左肩を叩いた。

 琉唯は痛がるフリをして、その姿に気付けば笑みをこぼしていた。


 こんなにも自然に笑えたのは、久しぶりだ。


「……依茉はさ、まだソイツのこと好きなの?」

「どう、だろう……違うと思う。ただ、四年って時は重いよ」


 空を見上げると、雲が流れ、月が顔を覗かせた。

 半月でも満月でもない、中途半端な形が、目を引く光で空に浮かんでいる。


 大学を卒業するまでの二年。

 旅行に行ったり、お泊まり会したり。

 私にとっては新しいことばかりで、楽しかった。


 就職してからの二年。

 すれ違うことは多かったけど、誰よりも一番近くで過ごしてきた。


 気持ちは見失ってしまったけど、アイツがいない日は想像しなかった。


「……重いんだよ」


 月を見つめて、私は改めて、静かに言った。


 私たちの間に、沈黙が流れる。

 風が草木を揺らす音が心地よい。


「ありがとね、琉唯。少しだけ楽になった気がする」


 琉唯からは言葉が返ってこない。


 そんなに困らせるようなこと、言ったかな。

 いや、そもそもこの話題が困らせる原因か。


「……なあ、依茉」


 すると琉唯は、緊張感が漂うような声で、私の名前を呼んだ。


「ん?」


 対して、心が軽くなった私は、気の抜けた声を返す。


「月が……綺麗、だな」


 琉唯に言われて見上げると、月は雲で隠れている。


 というか、琉唯は月を見ていない。


 ああ、知らなかったな。

 琉唯が文学的なことを言うなんて。


「……うん。月、綺麗だったんだよ」

「……そっか」


 ありがとう。

 ごめんね。



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