第6話 推しの中身と一泊することになりました⑥
せっかく湯を張ってくれたことだし、入浴はした。
とてもいい湯――と言いたい所だけど、さっきまで推しがシャワーを浴びていたんだなと思うと落ち着く訳もなく、極力鏡の傍に置かれたものに視線を向けず天井ばかり見ていた気がする。長時間天井のライトに視線を固定し過ぎて、風呂を上がることには目がチカチカしていた。
心拍数が明らかに早いのは風呂上りだからという理由だけでじゃない筈なのだけど、感情のベクトルとしてはドキドキと言うかハラハラに近かった。お隣さんには入浴の許可を貰っていても何だかとてつもなく悪いことをしているような気がしてしまう。
推しと接触できた喜びよりあまり突飛な展開に困惑している気持ちが強すぎて感情の動きが恐ろしく抑制されている。思えば彼女に出会ってからずっと首を傾げている気がする。
きっと数日経ったぐらいで今日の事を思い出して「うわあああああああ!!」ってなるんだろうなぁと何となく思う。
僕はタオルで濡れた体を拭くと、嫌々ながらも入浴前と同じ衣類を着る。せめてもの抵抗にパンツだけはひっくり返して反対で履いた。当然のごとく用意してくれた着替えでは見てみないフリ。後で面倒な事にならないために指紋は絶対つけない。
……さて、後は寝るだけなのだけど一つ問題がある。ベットが一つしかないため、誰か一人地べたで寝る必要があるということである。
まぁ、泊めて貰っている身分でベットまで欲張ろうなんて気は更々ない。だがお隣さんの言動的に一緒のベットで寝る気なんだろうなぁ……ってことは何となく想像できる。
流石に今は女と思わていたとしても密着すればバレ……ってそもそも騙そうとしてないんだけどな。あっちが勝手に勘違いしているだけで。
カミングアウトするにしても、もう少し落ち着いてからの方が彼女のメンタル的に宜しいかと思われる。
「お風呂ありがとうございました。…………って」
風呂場から出ると、ベットで横になっていたお隣さんがスヤスヤと眠っていた。電気もテレビもつけっぱなしで、右手で握られたであろうビールが床に転がってカーペットをびしゃび者にしていた。
「……………………」
なんかちょっと残念な気がするけど、この方が後々を考えると都合が良いか。
非常に惜しいまたとないチャンスではありますが、今回は座布団を並べて眠るとことにしましょう。
* * * * * *
寝れる訳が……ねぇだろが!!!
推しがすぐ傍でスヤスヤ眠ってるんだぞ! 眠気なんて感じる訳ねぇだろ! まだ机の角に頭をぶつける方が意識を飛ばせる確率が高いわ!
電気を消したので彼女の姿はハッキリと見えないが、現在掛け布団を蹴飛ばしたせいでシャツの隙間から零れそうな胸が露出しているという大変アレな事態になっておりますので、今は眠れないと分かりつつもぎゅっと強めに目を閉じております。ってかドキドキすると眠れないとか人間の欠陥だろ。スリープ機能を導入しろと人体の設計に八つ当たりする程度には余裕がございません。
「すぅ――……。すぅ――……」
雑音が無い夜中。耳を澄まさなくても彼女の呼吸音が聞こえる。想像力逞しい多感な時期の僕にとっては寝息すらもエロスを連想させるには十分な素材であった。
ごめんなさい! 数日と経たずもう「うわああああああ!!」って脳内では絶叫しています。きっと半端に冷静になったせいでこの状況を鵜呑みにしてしまったのが原因と思われる。
明らかに――推しとの距離感を間違えた!
え? どうすんの!? どうしよ!?
声も好きで性格も好きで――その上見た目の滅茶苦茶可愛いですけど!
このままじゃ! このまま仲良くしてくれたら好きになっちまう!
「ん――…………あれ? なんでそんなとこで寝てるの?」
「――っっ!?」
心臓が大きく跳ねた。明らかに僕に対して質問を投げかけてくれたからだ。
このまま寝たふりで誤魔化すという手段もあったのに、突然の問いに驚き過ぎて電気を浴びせられたかのように体を跳ねてしまったせいで狸寝入り作戦はたった今潰えた。
「ん? もしかしておねーさんと一緒に寝るの恥ずかしいの? んー?」
……恐る恐る目を開けると、はだけて胸元が零れそうになっている格好のまま、にんまりと笑顔を浮かべるお隣さんと目が合った。きっと布団を落としたせいで寒くなって目を覚ましたのだろう。
「ほらほらおいでおいで。そんな所じゃ風邪ひくでしょー? そこまでおっきいベットじゃないけど、すーちゃんと私が眠れるぐらいのスペースはあるから安心しなよ」
そうニッコリと笑うと、お隣さんはポンポンとベットを軽く叩く。
うがああああああああああああああ!!!!
ちげぇよ! ベットのサイズとかそんな次元の話をしてねぇんだよ!
推しと! 一緒の! ベットに寝るとか!!
何だこれ! 未成年の性欲耐久テストでもしてんのか? 何のチャレンジだよ! まだ人として終わりたくねぇよ! こっちは寝息とはだけた胸でいっぱいいっぱいなことを理解してくれクソ駄目だ! あの笑顔は何もわかっちゃいねぇ顔だ!
くそ……こうなったら一緒にベットに寝れない理由を説明しなければならない。いくら酔っているとはいえ、男だから無理だと至極真っ当な理由を上げれば納得せざるを得ないだろう!
僕は立ち上がり電気をつけると、当然ながら全く膨らんでいない胸をポンと叩き僕の意思が出来る限り伝わるように真っすぐぶ彼女を見ようと――
突然、目の前に巨大な胸が押し寄せた。
「ぎゅ――!!! わぁあすーちゃんから私と同じシャンプーに匂いがするー! なんでそんなに遠慮しているの? 女の子同士なんだから、全然遠慮しなくていい……………………ん? …………………………ん?」
「…………………………」
抱き着いてから何かに気づいた彼女が、ピタッと動きを止めた。そしてゆっくりと背中に回された手が離れ、錆びついたロボットのようなぎこちない動きで数歩僕から離れる。
「…………………………」
「…………………………」
場の空気は終わりに終わり尽くしていた。急速に冷え込んだ場の空気から察するに…………『アレ』があるのに気づいたのだろう。
ギギギギギと彼女は目を限界までかっぴらいて、首がねじ切れん勢いで首を傾げた。
やはりというか……やっぱり勘違いしていたのか。現実を受け入れられないのか、いつぞや流行った宇宙猫みたいな表情で僕の全身を凝視している。
「………………ひえっ。……………………すーちゃんのアレって…………アレ?」
「……………………はい。お察しの通り、アレです」
「………………すぅ――」
念のために説明すると、僕の『アレ』は『ソレ』には進化していない。確かにドキドキしていたが、緊張という色合いが強く不幸中の幸いにも反れ……じゃなくて『ソレ』にはなっていないことをここでは弁解しておきたい。
ただまぁ、致命的に――抱き合った瞬間に『アレ』は彼女の太もも辺りに確実にむにゅりと接触した感触があった。彼女の表情を察するに、その時点で初めて僕が男であると気づいたと思われる。
「………………ええと」
彼女は目をギョロギョロと泳がせて明らかに動揺した姿でもゆっくりと僕を見つめると、審判を下すべく大きく口を開けると――
「オロオロオロオロロロロロロロロロロロ!!」
過剰なストレスと酔いのせいでその場で盛大に嘔吐した!!
それはもう、マーライオンの如く!
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