第5話 推しの中身と一泊することになりました⑤

「じゃ、僕はそろそろ帰ります。色々とありがとうございました。ご飯とても美味しかったです」


「んふふー♪ いーよいーよ! なんたって私はおねーさんなんだからさ! またいつでも遊びにおいで。ってか明日も来て。ねぇ一緒に住も? 余裕で養うから私の愚痴を聞いてくださいマジでお願い!」


 彼女の愚痴を聞いてくれたお礼に出前の寿司を頼んでくれた。傍に誰かいるというのが心の支えになったらしく、彼女の酔いが回って赤くなった顔で何度もお礼を言われた。図らずとも推しのメンタルケアが出来た事実は大変喜ばしく思う。


 僕としても普段生配信越しで聞く話を目の前で聞けてとても楽しかった。未だに推しと距離が近すぎることに抵抗があるが、これだけ頼られて感謝を言葉にされると何とかしてあげたくなるのは欲に駆られてつい夜遅くまで居座ってしまった。『奈々丸なこ』の時でも思ってたけど、彼女は人として魅力的だと改めて思う。


 性格は悪いのに素直過ぎて嫌味っぽく聞こえない。裏表のない性格は、周りの表情を常に伺って生きてきた僕とはあまりに対照的でどうしようもなく魅力的に見えた。……まぁその素直過ぎる性格が裏目った結果今回の炎上に繋がるんですけどね。


 明日は日曜日で学校は休みであるのだけど、そろそろ風呂に入ったり寝る前の準備をしておきたい。お隣さんもさっきから同じ話がループしており限界が近いと見える。


 僕が立ち上がって帰ることを伝えると「やだやだ! お泊りしよ? 寂しい寂しいよぉおお!! 一人やだー!」とまるで子供のように駄々をこねて僕の足にしがみ付いた。……これが29歳のなれの果てか?


 しばらく駄々っ子を宥める不毛な時間の後、連絡先を交換するという交換条件で何とか帰宅を許可された。……わー推しの連絡先貰った。普通逆なんじゃ……。


 扉を開けて外に出ると、玄関前で悲しそうな顔でひらひらと手を振るお隣さんと目が合った。うう、何だかボロボロの野良猫を見捨てるような罪悪感を感じてしまう。

 しっかし、今日は驚きがたくさんあって面白い一日だったな。お隣さんにとっては災難な日だったと思うけど泣きながら包丁を持っていた時よりメンタルが回復したんじゃないのだろうか? それにしても配信の時の彼女と全然変わらなかったな……。


 お隣さんの視線を断ち切り、少し歩いて懐から鍵を取り出しドアノブに突き刺す。防音がしっかりした綺麗なマンションなのだけど、以前ここに住んでた人が荒く使ってたのかドアノブが緩いんだよな――――


 ペキン。


 …………聞きたくない嫌な音が、鍵を突き刺したドアノブから鳴った。

 何かが割れた。あるいは折れた音に酷似していた。


「……………………」


 現実を受け入れたくなくてひとまず天を仰ぐ。最上階じゃないから空なんか見えないけど。


 ……恐る恐る右手に持った鍵に視線を向けると――ペッキリと、先端部分が綺麗に折れていた。


 ちなみに手元に残っていない鍵の先端はドアノブに穴をみっちりと埋め込まれており、最後の奇跡を信じてドアノブを握ってみたけど鍵は閉まったままであった。


 結論を言うと――自宅に戻れなくなった。


「……………………まじか」


 スペアキーは自宅に置いてある。管理人を呼ぶにしても今日はもう遅い。幸い財布はポッケに仕舞ってあるため宿泊施設に泊まることも可能だが――


「おやおやぁ。もしかしてお困りですか? とりあえず泊まってけば?」


 左隣――お隣に視線を向けると、にんまりと満面の笑みを浮かべた彼女がちょいちょいと手招きしていた。


 * * * * *

 

「すーちゃんお風呂あいたよー! 私はまだ酔ってるからシャワーで済ましたけど、すーちゃんのために湯を張っておいたよ」


 お言葉に甘えて、お隣さんの部屋で泊まることにした。


 そういえば女の子の部屋に泊まるなんて初めてなのに気づいて今更になって緊張していると、お風呂を終えたお隣さんが戻って来た。


「………………っ!!」


 先ほどと柄が違うだけのパジャマに着替え、火照った顔でにこやかに微笑む姿は可愛すぎて直視できなかった。まずい。推しが可愛すぎてまともに見えない。好きになってしまいそうだ!


 僕を信頼しているのか、あるいは警戒という概念が存在しない地域出身の方なのかは謎だけど、着替えたパジャマの胸元辺りのボタンが二つほど外れて豊かな胸が少し離れた位置からも目視できた。……ていうかもしかしてあれってノーブラじゃ――僕はここで深く考えることを止めて視線を彼女の足元に下げた。


「ねぇねぇ戻ってきたら一緒の布団で恋バナしようよ! 私、修学旅行で見回りする先生役ね!」


 せめて恋バナに参加してくれよ。


 お隣さんは鼻歌交じりに冷蔵庫からお茶をコップに注ぐ。彼女とすれ違う時に、ふわり香る花の匂いについドキリとしてしまう。


「あ、ノズルが青いのがシャンプーで緑がリンスだからね。一応着替えも置いておいたけどサイズ合わないかも」

「き、着替え……?」


 どういう事だ? この人は冗談でも言っているのか?


 いくら僕の存在を警戒していないとしても、それは流石に一線を越えているというか……。酔っているとは言えあっさりと異性を泊めたりと、何だか違和感のようなものを感じる。あるいは元彼の服を持っていてそれを用意したとか……?


 僕は頭に浮かんだ疑問を解決するするために風呂場に向かった。


 同じマンションであるため、風呂場の間取りは僕とほとんど同じだった。小物の数が若干こちらのが多いぐらいか。


 そして肝心な――風呂場の傍に置かれた、使用されていないであろう綺麗に畳まれていた衣類を持ち上げる。


 パンツ。シャツ。袖にもこもこが付いた上下揃った可愛い部屋着。


 ごりっごりの女物だった。百歩譲って部屋着は分かるけど女物のパンツは――流石に冗談だろと思いたい。


 もしかして、何か致命的なすれ違いをしているのでは……?


 ――と、僕の頭にある『仮説』が浮かんだ。


「もしかして、僕のことを『女』だと思ってる……?」


 いや確かに、中世的な顔立ちで幼い時はよく女の子に間違えられた。でもまさか、女装もしていないのに疑うこともなく女性だと思われいるなんて、女性用の下着を渡されるまで考えもしなかった。


 そんなことあり得るか? 確かに男だとはカミングアウトしてないけど、声は普通に男だぞ? ……まぁお隣さんずっと酔ってるからなぁ……。


 むしろあの異常に近い距離感の原因が、同性だと思われていたのなら納得できるかもしれない。駄目だ! 一度そう思うとそうとしか考えられなくなってきた!


「どーしよ…………」


 風呂場の前で、僕は頭を抱える。

 これ、バレたら通報されないよね……?

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