第3話 推しの中身と一泊することになりました③
考えるより先に体が動いていた。もしかしたら僕はヒーローの素質があったのかもしれない。
僕は喉元に包丁を向けて発狂しているお隣さんにダッシュで駆け寄ると、まずは手に持った物騒なものを強引に引きはがす。一般の男子高校生に比べて貧弱と言えど、異性ならばこの程度の力技なら問題なく通用した。
「……………………」
お隣さんは握るものを失った両手をプラプラさせて、
「……うっ!! うぅぅうぅううぅぅぅぅぅうぅうううう…………!!!!!」
その場の床で土下座の如く丸くなって泣きじゃくり始めた。
……気まず過ぎる。
大人の号泣の見てはいけないものを見た感は一体なんだろうな。お隣さんと言う絶妙に関係があるのがさらに気まずさを加速させる。コナンの犯人でもこんなガン泣き見たことねぇぞ。
かと言ってそのまま部屋を出て言ったらまた発狂して包丁を握られても困る。僕は台所に包丁を置き、ただダンゴムシみたいになっているお隣さんが落ち着くのを待った。
しばらくして――もぞりとお隣さんは頭を上げた。
「……………………誰?」
目を真っ赤に腫らした彼女が、眉間に皺を寄せて僕を見上げた。
「あっ。すいません大変そうだったんで勝手にお邪魔させていただいてます! お隣に住んでいる鈴森と言います!」
「………………あ――。なんか見たことあるかも」
涙を流し過ぎてカッピカピになった目元をゴシゴシとパジャマの裾で拭うと、キリッとまるで何も無かったかのような落ち着いた表情を浮かべ、すらりと立ち上がった。……あ、同じ体制をし過ぎて足が痺れてプルプル歩きになってる。
お隣さんはその場から少し離れた円形の机の座布団に座ると、チラリと僕に視線を向ける。
……座って話をしようってことか。お隣さんの視線の意図を汲み取り、僕は彼女の向かいにある座布団に座った。
「………………………………」
「………………………………」
しんどい沈黙が流れる。どういう状況だこれ。僕はお隣さんの考えを理解せんと彼女をじっくりと見る。
寝起きだからか少し跳ねた黒髪。長い髪を肩辺りでヘアゴムで束ねているのも可愛い。
号泣したせいかほんのりと赤くなった頬。すっぴんかどうか疑いそうになる整った顔。何もかもを見透かしてしまいそうなキリッと凛々しい瞳で見られると、ついドキッとしてしまう。
改めて思う。お隣さんはとんでもない美人だなと。誰がどう見ても仕事が出来そうなクール系黒髪美人だ。例えその落ち着いた雰囲気では想像できないぐらいショッキングピンク色のパジャマを着ていても、別に何にもおかしくないと思わせる凄みがある。
……だからこそ、先ほどの号泣自殺未遂やダンゴムシ土下座を行ってたという事実に脳が受け付けない。どうすんだよ気まずいよこれからどう接していけばいいんだよ。
「…………えっと、鈴森さん……だっけ?」
「は、はいっ!」
ふーっ。お隣さんは深く深呼吸をするとゆっくりと僕と目を合わせた。その表情から何を考えるのか一切読み取れない。ピリッと空気が冷たくなるのを肌で感じる。
「……ありがとう鈴森さん。私の愚行を止めてくれて。あなたは私の命の恩人だよ。本当にありがとう」
「いやいやっ! 頭を下げないで下さい! とにかく落ち着いて良かったです」
「ははっ。そうそう落ち着いている。私は全然落ち着いている。完璧に落ち着いている。誰が何と言おうと頭のてっぺんから足先まで完璧に落ち着いているから安心してくれ」
「どっ。どうしました……?」
「ところで鈴森さん――提案というかお願いがあります」
お隣さんはスッと丸机から立ち上がり、ベットの傍に置かれた鞄に手を伸ばし――財布を取り出す。
「お願いします……一万円あげるんでさっきの出来事まるっきち無かったことにできませんか……? 十代の子に自殺止められて号泣する姿を見られて!! もう無かった事にするしか生きていけない……!! ううぅぅうぅうぅうう!!!」
全然落ち着いてなかった!? お隣さんは震える手で財布から一万円を取り出して僕のポケットに無理やりねじ込んだ。
いいのかそれでっ!? さらに情けなくなってないか!?
「ううぅううう……もう駄目耐えられない……おしゃけ飲んで全部忘れるぅうう…………!!」
お隣さんはちいかわみたいな鳴き声を出しながら、ポロポロと零れる涙を拭いながら冷蔵庫の扉を開けて一升瓶を取り出して戻って来た。
「ううっうううぅうぅぅぅうううううう…………おしゃけ美味しい……。こんなに辛いのにお酒が美味しいよぉおぉおぉおおぉ…………!!」
お隣さんは涙で失った水分を補うかのようにコップに注いだビールを異常な速度で飲み干し始めた。まさにヤケ酒と呼ぶに相応しい姿だった。
……そんな中、出ていく機会を完全に見失った僕は心の中で予定していた外出を密かに諦めたのであった。
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