序章②

 学園都市エデン――ヨーロッパ各国から、貧富の差なく生徒が集まる聖ウリエル学院を中心として、学院の職員とその関係者のみで構成された都市。聖ウリエル学院の生徒たちは全員が寮で暮らし、在学中はエデンという街の外に出ることは許されない。それだけではない、学院と市街地とは重たい門扉に隔てられており、学生が市街地に出るためには、学院が発行する許可証というものが要るらしい。

 暮らしに必要な物資は学院内の売店で全て揃うと言うから、生活し、知識を学ぶ上では困らないのだろう。エデンには『ユーロ』という専用の仮想通貨があり、それは学生であれば、学院での活動の様子、成績などに応じて適宜支給される。全ての生徒に対し、家の経済状況の差に関わらず学習の機会を与える、そのためのシステムだという。中には実家からの仕送りをユーロに変換して使用する生徒もいるようだが、そういった実家からの援助がなくても、食事や学習資材などは安価で提供されるため、安定した生活を送ることができるように設計されている。

 なるほど、エデン、とはよく名付けたものだ。

 飢えることはない、何も困らない。それは確かに楽園だろう。

 色鮮やかで美しいステンドグラスから陽の光が差し込む広い講堂に、柔らかな低音の声が響く。声の主は、青みがかった銀色の髪を背中で束ね、丁寧に制服を着こなしている青年だった。冬のよく晴れた空のような、澄み渡る青色の眼をしている。

 壇上では小柄な女子生徒が挨拶と歓迎の言葉を述べている。彼女は生徒会長という立場のようだ。教員は壁際に一列で並び、式の進行を見守っている。生徒が主体、ということだろうか。

 壇上の主役が次々に入れ替わり、そろそろこの入学式も終わりに近付いていると思われる。院長の退屈な挨拶に興味など湧かず、ヴラドはぼんやりと司会役の青年を眺めていた。見知らぬ青年に対し、特別気になる箇所があるわけではないが、院長の薄い頭髪を数えて時を過ごすよりは有意義だろう。

 ああ、そういえば兄もあのくらい背が高かったな、と思い出す。目が合った。微笑んだ――気がした。観察していたことを気取られたかとヴラドがたじろいだ一瞬で、青年の視線は手元の原稿に移っていた。

 あれは、そうだ、よく似ている。道理で目を留めてしまうわけだ。色こそ違うが彼の双眸は、もはや光を映さなくなってしまった、あの兄の瞳にそっくりだ。帝国の捕虜から解放されたヴラドが遺体と対面した時には、兄は頭部しか残っていなかった。身体の方はさっさと湖に捨てられたらしい。父に至ってはその身は何一つ残されていなかった。

 兄との別れも満足に済まないまま祖国を後にし、ハンガリー帝国軍によって牢獄へと連れて行かれた時でさえ、こんな気持ちは抱かなかった。叶わないと分かっていることを望んでも仕方がない。考えるだけ無駄だ。

 それでも――止められないものは確かにある。

 無性に兄に会いたい。

 もしもこの世に悪魔というものが存在したとして、一つで良い、どんな願いでも叶えてくれると言うのならば、魂を売り払い願うだろう。だが神がいないように、悪魔もまた妄想の産物でしかない。

 院長の有り難いお言葉が終わり、講堂に集まっていた生徒たちが退場していく。ヴラドもまた椅子から立ち上がり、人の流れに沿って歩き出した。

 感傷に浸るのは良い、だがそれを火種として行動してこそ、死者も浮かばれるというもの。

 さあ勉強の時間だ。

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ソルシエ くろこ(LR) @kuroko_LR

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