ソルシエ
くろこ(LR)
(1)エデン・上
序章①
異教の帝国オスマニアの進軍により、いくつもの小国が姿を消した。私の母国もその一つだ。名前だけは残っても、それはもはや愛した国ではない。
父と兄は仲良く戦死した。ややこしいことにそれは帝国ではなく、二人を帝国臣属者と信じた同教の隣国の仕業である。嫉みや恨み、人間関係のもつれなども要因としてはあったのだろうが、馬鹿馬鹿しい。強大な敵が迫りつつある中で同士討ちなど愚かにも程がある。国主である父と、そのよき腹心の部下であった兄を欠いて、まともに戦えるはずもなかった。
弟は帝国に下り、それが出来なかった私は父と兄を殺した国へと亡命した。そこで私は祖国を失った廃公子の烙印を押され、家名を剥奪されて監視下に置かれることとなった。監視下とはつまり牢屋のことだ。弟と共に帝国に監禁されたことも記憶に新しいのに、またしても牢獄暮らしを強いられることになったというわけだ。
だが首をはねられるよりはマシだ。死んでしまえば、何も出来ない。
青春を石造りの暗室で送る少年に対し良心の咎めでもあったのか、私は国王のはからいにより学校生活というものを与えられることになった。たった三年間の小さな自由。それは檻の中を鎖なしで動き回れる程度のものでしかないが、私にとっては最後の機会かもしれない。
その自由は、一体私に何をもたらしてくれるだろうか。
馬車の揺れが身体に響く。支度された制服を律儀にも身に付け、ただ座って、到着の時が来るのを待っている。黒塗りの窓には鉄格子が嵌められ、外の景色を眺めることはできない。
どちらにしろ、だ。世界中のどんな絶景を眼にしたとて、祖国ワラキアの美しい森林には敵わない。それは記憶の中でより一層、美しく、輝いている。同じ景色を見た、愛すべき父と兄はもういない。
私は宗教を、神を、それほど信じているわけではない。周りにいる者の多くは熱心に祈りを捧げているようで、私の家族もそれは例外ではなかったから同じようにしていた。形だけ、真似をしていた。顔も知らぬ、存在も確かでないものに一体何を祈ればよいのか、感謝をすればよいのか、私には分からなかった。
つまるところ私は、父と兄を信じていたのだ。はっきり言おう。大好きだった。弟たちのことはもちろん可愛かったが、それとは別の、頼れる相手として、私が寄りかかれる相手として、父と兄は特別だったのだ。彼らの大きな背中。できることなら肩を並べて、同じ場所に立ちたかった。いや、いずれはそうなると幼い私は夢見ていた。夢はあっさりと破れ去った。
私は足手まといの荷物のまま、憧れの父と兄はあっけなく死んでしまった。私から、遠く離れた地で。そして二人がそれぞれの人生を賭して守ろうとした母国は帝国に吞み込まれた。濁流のようなその勢いを阻むには、私は小さく、幼すぎた。
もう少し、二人が生きていてくれたら。もう少し早く、生まれていれば。成長していれば。
私にも打つ手はあったかもしれない、と考えても仕方のないことを考えた。家族も国も失い、名前すら奪われた。私の人生はきっとそこで終わったのだ。今、私の周りにいるのは父と兄を殺した味方で、とてもじゃないが私は家族や友人のようには彼らを愛せない。この世には何も愛せるものがない。生きなければ、と強く思っているわけではないが、進んで死を選ぶほどの意地はない。生きていれば、いつか弟には会えるだろう。戦場で。
神のために死のうなどという考えは、私にはない。戦うとすれば惰性だ。
私は、この肌で触れ合えないものは愛せない。だから神も信じない。
国の再興はもう無理だろう。私にできるのは精々、一兵士として異教徒との戦いに身を投じることくらいだ。今の身上ではそれすらも危うい。このまま飼い殺しにされる可能性も充分にある。
父も兄もいない、弟とは決別した。私の国はそこで終わったのだ。
何もなくなってしまった。目的が欲しかった。この命を懸けるに足る、献愛の相手。
馬車が動きを止めた。
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