第13話 それぞれの思惑

 土曜日の夜の大学周辺は学生たちでひときわ賑わう。通りからは笑い声が響き、肌寒い空気に包まれながらも若者たちの熱気で満ちている。


 大学内にはふざけたお遊びのサークルから、真面目で活発なクラブまで多数の同好会が存在する。平岡は調査対象をエリート集団〝フロック〟と定めることで、週末の夜は好んで『ペッパーズ』という英国風のパブにメンバーが集まることを、フロック出身の財界人から突き止めていた。


「茂叔父さん、だったらその卒業生に聞けばいいじゃない」

 綾子は、壁際のブース席に向かい合って座っている平岡に目を向けると、小声で呟いた。

「その人が卒業したのは七年も前の話だ」

 平岡は黒ビールを口にしながら、カウンター席の方に一瞬視線を向けると、

「なんでわざわざ渡辺社長までここに……」

 小さなため息をついた。

「今夜は神崎君に代わって、渡辺社長の娘さんが助っ人に来るからだよ」

 綾子は面白そうに笑うと、目線だけを動かして軽く周囲を気配った。


「昨夜は神崎君と二人で頑張ったけど、まったく手ごたえ無かったから……今夜は誰かが引っ掛かってほしい……」

 昨夜、綾子は直人と一緒に大学周辺に繰り出し、情報操作を試みたが、何も釣れずに失敗に終わった。

「神崎は演技が下手だからな……それでわざわざ渡辺社長の娘さんを助っ人に呼んだのか」

「だって、女同士の方が自然に会話も弾むでしょう?」


 平岡は注意深く周囲を見渡した。店内はイギリスのパブをイメージしているが、柔らかな照明と黒色を基調にした内装がモダンな雰囲気を作り出している。比較的小さいバーであるため、店内はすでに満席状態であり、学生グループが外でテーブル待ちするほど賑わっている。


「それにしても、綾子の化粧は少し派手じゃないか?」

 平岡は年配の父親を装い、エリート集団に相応しく上品な身なりをしている。

「叔父さん、私もう二十歳よ。これくらい普通だって」

 綾子は呆れ顔で平岡を見詰めたが、

「綾子、ここでは〝お父さん〟だ」

 偽装をするよう小声で伝えると、それが合図となった。綾子は頷くと、

「お父さん、ここのバーのオーナーって経営学科の卒業生なんでしょ?」

 声のトーンを少し上げて話を始めた。


「ああ、在学時はカフェとしてすでに経営していたらしいが、卒業後はバーに営業を変更したと聞いたな」

 綾子の声のボリュームに合わせて平岡もさり気なくトーンを上げると、入口の扉の方からテーブルに向かって歩いてくる背の高い女性の姿を捉えた。

「すごい! 現役学生の時からビジネスを始めるなんて流石ね!」

 綾子が調子を上げて会話を弾ませると、

「オーナーはフロック出身って話よ」

 色白で目鼻立ちがくっきり整った若い女性が会話に割り込んできた。肩で揺れる栗色の髪が、優雅な雰囲気を引き立てている。


「あ、かおるさん遅い!」

 綾子はブース席を手のひらで軽く叩くと、自分の横に座るよう催促した。

「茂叔父さんは私のお父さん役だから」 

 綾子の真横に座る薫に、耳元で素早く簡潔に説明した。

「お久しぶりだね、薫ちゃん」

 気さくに挨拶する平岡から苦笑いが毀れた。

「お久しぶりです」

 薫は平岡に挨拶すると、目線だけをカウンター席に向けた。

「なんでお父さんまでここに来てるんですか?」

 薫は小声で正面に座る平岡に聞いた。

「心配なんだよ」

 綾子が笑いながら応えた。

「心配って、もう二十四の社会人なんだけど……」


 薫はブツブツと独り言のように呟いていたが、仕方なく話題をフロックに戻した。

「成績優秀者を集めたフロックっていうエリート集団ならではね!」

 賑わう周囲の様子に気を配りながらも、はっきりとした口調で話を続けると、ウエイターが薫の存在に気づき、オーダーを取りにテーブルに来た。薫はベルギービールを頼むと、

「──それでねぇ、入会費がすごい高額だって聞いたのよ」

 ゴシップ話に声を弾ませた。ある程度、声のボリュームを上げないと周囲の談笑に会話がかき消されてしまう。


「知ってるわ。だから私はお父さんに頼んで免除してもらったの!」

 綾子は興奮気味に薫に伝えると、

「ねえ、お父さん!」

 平岡に話を振った。

 一瞬だが平岡の視界の片隅で動きがあった。

「もちろん。お父さんは法曹界の大物とコネがあるからねぇ」


 法曹界を強調し、平岡が話を続けると、今度は奥の席あたりから放たれる執拗な視線を捉えた。平岡はさり気なくカウンター席に座る渡辺に視線を送ると、渡辺も何かを感じ取っているようだった。


 平岡はコホンと咳をすると、指で左眼を軽く擦った。それが〝獲物発見〟の合図であることを綾子と事前に打ち合わせしている。綾子は何度か瞬きをすると、

「じゃあ、これで精鋭集団に入れるのね!」

 明るい声を張り上げ、相手の出方を探ったその時、明らかな動きがあった。


 平岡は指でテーブルをトントンと軽く叩き、正面に座る綾子と薫に注意を促すと、

「ちょっとトイレに行ってくる」

 そう云って席を立った。


 平岡は店内の奥へと歩いていく途中、後方の席で飲んでいる二人組の若い男が耳打ちしている様子を見逃さなかった。


                   ***


「食らいつくかもしれない」

 綾子が興奮を抑えるように小声で呟いた時、

「すみません、盗み聞きするつもりはなかったんですが……」

 若い男性の声が背後から聞こえた。綾子と薫が振り向くと、学生らしき男性がブース席まで近づいて来ていた。


「私たち騒がしすぎました? ごめんなさい」

 綾子は大袈裟に謝って見せたが、男は自嘲気味に微笑むと、

「いえ、少し興味深い話が聞こえたので……」

 そう云って奥のテーブルに座る連れをチラリと見た。


「興味深い話とは何を?」

 薫はビールを口にした後、少し隙を見せるような感じに微笑んだ。男は周囲を窺うと、

「フロック内部の精鋭集団の話です」

 気にするように小声で応えた。

「あ、どうぞ座ってください」

 綾子は〝フロック内部の精鋭集団〟という大きな手ごたえを感じながら、正面に座るよう勧めた。


「いえ、この場所ではちょっと……」

 男は遠慮がちに目配せをした。綾子は相手が遠慮する理由を察していたが、知らぬふりを決め込むと、

「何か事情がありそうですね。違う店に行きますか?」

 場所を移動するよう提案してみた。男は頷き、連れに合図を送ると、その時を見計らったように平岡が席に戻ってきた。


「お父さん、この方が大学のことで色々教えてくださるの。だから他のお店に行ってもいいかしら?」

 綾子はそう云うと、ブース席から立ち上がった。薫も合わせるように立ち上がる。

「あ、はじめまして」

 男が平岡に挨拶すると、

「父親同伴はダメかね? 私が君たちの分も奢るが」

 そう云うと、平岡は人懐っこく笑って見せたが、

「構いません。娘さんがフロックに興味がおありなら、お父さんも知っておくべき話がありますから」

 男の表情には陰りがあった。


「じゃあ、私は会計を済ませるから」

 平岡は綾子と薫に先に外に出て待つように促すと、席に座った。ウエイターを待ちながらカウンター席の方に目を向けると、渡辺が立ち上がったところであった。


 会計を済ませ、平岡がバーの外に出ると、綾子と二人組の若い男が話をしながら待っていた。平岡は夜の澄んだ空気を吸い込むと、そこに薫の姿がないことに気づいた。渡辺の一人娘を見失った責任を感じ、平岡は慌てて綾子に尋ねると、

「お父さんから電話があって、急用だって帰ったわ」

 綾子が笑いを押し殺すように応えた。平岡は頷くと、

「では諸君、行こうか」

 そう云うと、四人は『ペッパーズ』を後にした。


                  ***


「急に呼び出して手伝わせた挙句、いきなり離脱せて悪かった」

 街灯の光が長く伸びた二つの影を映し出している。


「別に気にしてないわ。だって部外者だもの」

 薫が四歳の時に父親が弁護士から探偵業に転身したことなど今更だが、

「お父さんも元気そうね」

 そう云うと、薫は微笑んで見せた。渡辺は眼を細め、肩で揺れる薫の栗色の髪を見詰めると、

「お母さんに似てきたな」

 優しく微笑んだ。


「え? みんな口を揃えてお父さん似って云うけど」

 白けたような口調で渡辺を見詰めた。薫は渡辺に似て背が高く、顔立ちも性格もハッキリしている。

「じゃあ、薫も男前だな」

 渡辺は声を立てずに笑うと、顎を撫でた。


「直人は元気にしてるの? 恵子さんの三回忌以来会ってないけど」


 両親を亡くした直人を、自分の父親が気にかけていることを薫はよく知っている。それは渡辺が昔から直人の家族と深い交流があるからだが、時々複雑な思いに駆られる時がある。自分の父親は娘ではなく、息子が欲しかったのではないかと。


「直人は別の件を調査中だ。元気にしてるよ」


 直人が初の潜入調査を行ったことなど一ミリも触れずに、渡辺は何気なく応えた。仕事内容の情報開示は依頼主のプライバシーに関わる。平岡の煽り調査が核心に迫れば、部外者の薫を離脱させる必要がある。


「じゃあ、弟が家で待ってるから帰るね。今度、直人に会いに事務所に寄ってあげる」

「弟? お前に弟なんかいたのか?」

 薫の母親と再婚相手の間に中学生の息子がいるぐらい、皮肉にも時間が経過している。


「いるわよ、半分血が繋がった弟が。知ってるでしょ?」

 呆れた口調で薫は咎めると、

「お母さんは元気か?」

 渡辺は笑いながら尋ねた。

「元気よ。継父も良い人だから大丈夫」

 薫もつられて笑った。

「家まで送ってあげたいが──」

「仕事中でしょ? タクシー拾うから大丈夫よ」

「じゃあ、大通りまで一緒に行こう」

 そう云うと、街灯の光を背にゆっくりと歩き出した。

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