第12話 密談
警視庁捜査一課長の荒木が渡辺に接触を求めてきた。場所はレインボーブリッジの下にある東京湾に面した小さな公園、人がまだ少ない時間帯だった。
橘宗一郎から青山夫妻の依頼を優先するよう求められてから十日。上手くいけば来週中には結果が出る。荒木の件に関わるのは、現在進行中の青山涼の件が完了してからだと渡辺は自身に云い聞かせていた。だが昨夜、〝山口正雄の件と同じ結果〟とだけ書かれた直人の報告を平岡から受け取ると、渡辺は荒木との接触を承諾した。
***
渡辺は約束時間に埠頭に着くと、さり気なく周囲を見渡したが、通りには人影もなく、車の往来もない。埠頭へと延びる歩道を進むと、先に到着していた荒木が東京湾を背に立っていた。男二人が朝早くから並んで公園内の歩道を歩く。だが、開園時であればそれほど目立たない。
「忙しそうだな」
荒木は低く呟いたが、声には長年の知人へ向けた親密さがある。
「お陰様で八月に無事二十周年を迎えました」
「そうか、もうそんなに経つのか」
渡辺は無言で応えた。東京湾から冷たい風が吹き、上着の襟元を立てる。
「君の部下の神崎君は興味深い青年だ」
「四年前に亡くなった友人の息子で、信誠銀行副頭取の甥御さんです」
「ああ、なるほど」
荒木は納得するように頷いた。
「それで私の部下の第六感は何と?」
十日前、荒木の部下の遺体に直人が触れたときに少々問題が生じたため、渡辺は直人を〝強い霊感がある部下〟と荒木に伝えておいた。
「三体の遺体には共通点があるそうだ」
荒木の三白眼が光を帯びた。
「公園の防犯カメラには何か不審な動きが映っていましたか?」
渡辺は〝記憶のない死体〟には触れず、現実的な話を進めた。どこまで潜入捜査の情報開示をするかは荒木次第である。
荒木は少し考えた後、
「公園全体を見渡すような防犯カメラはないが」
施設の周りや駐車場には設置されていることを渡辺に教えた。
「遺体の身元は?」
躊躇することなく渡辺が斬り込んだ。
「身元は一般公開されない」
そう云うと荒木は足を止め、渡辺の方へ向き直った。渡辺も足を止め、荒木の言葉を待つ。
「二人とも元民間警備会社の人間で、そのうちの一人は退官した判事の個人的な警護を務めていたようだ」
「日本の警備会社ですか、それとも外資系ですか?」
「アメリカのユタ州に本社がある警備会社だ。身元を一般に公開しないよう慎重に扱われる」
荒木は苦々しい表情でそのまま話を続けた。
「退官した判事が個人的な警護を必要とするのかね?」
「過去に重大な事件を担当した判事であれば可能性はありますが──」
渡辺は過去に危険な事件を扱った判事を思い起こしてみたが、特に心当たりはない。
「黒川和男という男だ」
荒木が判事の名前を挙げた。
「黒川東京地裁判事ですか? 確か十年ほど前に退官しています」
個人的に警備を必要としている人物とは思えなかった。荒木は怪訝そうな渡辺の表情を面白そうに眺めると、
「その黒川判事は退官後、法学部の教授と成績優秀の生徒を集めたサークルを設立したようでね」
「都立国際大学のエリート集団ですか?」
透かさず渡辺が返した。
「最近ではサークル出身の卒業生の一部が政官界、財界、法曹界、挙句の果てには学術界にも流れ込んでいるそうだ」
そう云うと、荒木は目の前に広がった東京湾を眺めた。遠くに船がゆっくりと進み、海面に細い波を立てている。
「興味深い話ですね」
渡辺は慎重に応えたが、都立国際大学のエリート集団が政官界や法曹界へと送り込まれていることは平岡の調べでわかっている。
「ウチの部下は〝事故死〟したが、手掛かりを残してくれていてね」
荒木の三白眼が渡辺を捉え、ゆっくりと告げた。
「港区にある海運会社まで捜査が漸く繋がった。多分ペーパーカンパニーだろうが、黒川和男の名前で登録されている」
眼を精悍に光らせ、渡辺は喰い付くように荒木を見詰めた。
「数年前から起こっている失踪事件に一枚噛んでいるようだが、実際に人間を移動させているのは外国組織だ」
渡辺は内心舌打ちした。捜査内容を捜査一課長がわざわざ教えるということは、巻き込まれるということだ。
「行先は掴めているのですか?」
「今のところルーマニアとだけだ。インターポールも入ってくるだろう」
「ルーマニア?」
「ルーマニア、セルビア、あの辺りだ」
しばらくの間、二人の間に沈黙が落ちたが、
「ウチの捜査と渡辺君の調査は深く関連しているのではないかね?」
荒木は再びゆっくりと足を進めた。
「こちらはあくまでも青年の素行調査です」
渡辺はため息をつくと、荒木と並んで歩き出した。公園の隣にある運動広場の方から子供たちの声が聞こえ始める。一課長との密談も、そろそろ幕を閉じる頃合いだろう。
「最後に興味深い話をもう一つ」
荒木はさり気なく話題を振った。
「先月、都立国際大学の生徒がちょっとした警察騒ぎを起こしてね」
周囲に気を配りながら荒木は続ける。
「裕福な家庭のご子息だというのに金銭絡みで揉めたらしく、裁判沙汰になる前に親が金で被害者と和解させたが、事情聴取からサークルの会員費用が必要だったと証言を得た」
「なるほど」
渡辺は不敵な笑いを浮かべると、顎を撫でた。
運動広場に人影が増え、子供たちが朝のサッカー練習をする様子を横目で眺めながら、公園内にある小さな駐車場にたどり着くと、荒木の部下が覆面車の運転席で待機していた。荒木は渡辺に乗るよう勧めたが、
「有意義なお話でした。改めてご連絡させていただきます」
丁重に断ると、荒木を乗せた車が視界から消えるまで見送った。
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