第11話 記憶のない死体
直人は監察医務院の受付で、荒木警視正が現れるのを待った。
昨夜、平岡の姉夫婦が経営するバーで受け取った報告書には、渡辺からの伝言が添えられていた。それは走り書きのメモのようであったが、荒木との面談の場所と時刻が記されていた。
九日前にも訪れた監察医務院での面談だったが、昨朝移送された二体の遺体の検案が長引いているのか、約束の時間であった午前九時半を過ぎても受付に荒木の姿はない。
約束時間から二十分ぐらい経過した頃、ようやく荒木が現れた。
「待たせたな。いま終わったところだ」
相変わらずの強面に、直人は一瞬怯みそうになったが、
「問題ありません」
椅子から立ち上がって会釈すると、眼鏡のブリッジを指で押し上げた。渡辺から事前に遺体の情報を得られなかったのは、直人の特殊能力を平岡と幸恵に伏せているためである。だが、荒木との面会を指示されたとなると、今回も変死の可能性があると予想する。
直人は荒木の後に続いて解剖室に入ると、二体の遺体が眼に入った。まずは一番手前の台に置かれた遺体から視ようと解剖台に歩み寄ると、
「君は何かが視えると、渡辺君から聞いたよ」
荒木が遺体から白布を外しながら呟いた。
驚きのあまり直人の顔が引きつった。思わず周囲を見廻したが、がらんとした解剖室には荒木しかいない。
「ウチにもそういう奴がいる。ただ職務を外される可能性があるから黙ってるが」
直人は困惑して言葉に詰まると、
「霊感のことだよ」
荒木は検案後の遺体に少しだけ触れることを許した。
直人は頷くと、内心ほっとしながらも眼鏡で赤みを帯びた右眼を影で隠した。青白い死体の眉間から放たれている微かな光を確認すると、
「死者の記憶と尊厳を汚す者だが、どうか許したまえ」
独り言のように小さく呟いた。
次第に青や緑の斑点が直人の左眼に現れ始め、指を伸ばして静かに死者の眉間に触れてみる。そして前回と同じく、何もない真っ白い空間から数分も経たずに押し出された。
直人は眼を見開くと、慌ててもう一体の遺体に走り寄り、白布を剝ぎ取ると、若干変色が始まっている遺体の眉間に手を伸ばした。
──やっぱり何も映っていない──
どうしていいのかわからず、茫然と立ち尽くしていると、荒木が直人の後を追って二体目の遺体が置かれた台の前まで来た。
「すみません、勝手に外してしまって」
直人は謝ると、白布を遺体の顔に被せた。遺体からはまだ微かに光が灯されているが、何の記憶も映し出されない。
「血液や薬物検査からは何か出ましたか?」
恐る恐る聞いてみたが、荒木は否定した。
「発見者からの情報によると、一人は這うようにして貯水池に落ちたという。もう一人はすでに死体となって浮いていたようだが」
直人は息を飲むと、白布がかけられた遺体を凝視した。今月に入り、記憶を映さない遺体はこれで三体目である。直人の特殊能力が低下したのかもしれないが、偶然に起きたとは思えなかった。
「詳しくはまだ分かりませんが、一課長の部下とこの二体の遺体には共通点があると思います」
直人は慎重に応えた。不審に思われてはいけない。あくまでも自然に、断定はしない。
「やはりそう思うか」
そう云うと、荒木は直人をまっすぐに見詰め、
「警視庁捜査一課長の荒木だ。よろしく頼む」
改めて、直人に挨拶をすると右手を差し出した。
「渡辺事務所の神崎直人です。こちらこそよろしくお願いします」
直人は差し出された右手を握ると、二人は力強い握手を交わした。
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