第6話 接触

 高級ホテルの三十九階にあるバーのプライベートルームに足を踏み入れると、直人は思わずガラス越しに見えるスカイツリーを凝視して、ここが東京であることを確認した。てっきりピエールの〝哲学クラブ〟の集まりだと予想して臨んだ接触だったが、実際には外国語が頻繁に飛び交う社交パーティーであった。


 ──部屋には自分とピエールを入れて九人──


 直人はワイングラスをサイドテーブルに置くと、ゆったりとしたソファに腰を下ろし、周囲に気を配った。アルコールが入る前に先ほど一通り紹介された人たちの名前と特徴を頭に叩き込み、記憶する必要がある。

 

  吉田明美 法律学科

  若林早苗 法学研究科修士課程

  上原佑二 法学研究科修士課程

  ラシッド・マムリ 経営学科

  ジャン・クレマン フランス語教師

  クラウディア・フォーゲル 外資系製薬会社勤務

  エリック・ホフマン 外資系警備会社勤務


 招待客の共通点はピエールだが、四人の学生は都立国際大学の生徒であるのに対し、残りの三人は大学とは無関係である。その中でも最年長のエリック・ホフマンという米国人が今回のパーティーの主催者であることが会話の流れから解った。


 直人は四人の学生に着目した。法律学科の吉田明美はピエールの横にピタリと座り、フランス語教師のジャン・クレマンと同じコニャックを嗜んでいるようで、入り込めない雰囲気ができあがっている。若林早苗と上原佑二はカウンター席でワインを飲みながら法律分野で話し込んでしまっている。


 ──残りはフランスからの留学生か──


 ラシッド・マムリはフランスからの留学生だが、流暢な日本語を話すアルジェリア人だ。それに経営学科の生徒なら気が合うと直人は考えた。潜入したからには少しでも青山涼の情報を得る必要がある。


 視線に気づいたのか、ラシッドはワイングラスを片手に人懐っこい微笑みを浮かべて近づいてくると、直人の隣に腰掛けた。


「ナオ、でしたよね」

「はい、佐々木直です」

「初めまして、ラシッドです」


 互いに握手を交わすと、直人はラシッドと名乗る経営学科の学生に少し質問を投げかけてみることにした。


「ここにいる皆さんとお知り合いですか?」

「エリックとクラウディア、それからジャンとは今日初めてお会いしました」

「じゃあ、他の生徒さんたちとは」

「みんな同じサークル仲間です」

 ラシッドの黒い瞳が楽しそうに揺れた。

「サークル」

 直人は思わず叫びそうになったが、心を落ち着かせ質問を続けた。

「どんなサークルなのですか?」

「成績優秀者のためのサークルです」

「皆さんエリートなんですね!」


 直人は渡辺の言葉を思い出した。青山涼は成績優秀者である。それに高級ホテルのバーのプライベートルームで遊んでいるような学生が集うサークルなら会費も高いのではないか。授業料を親から掠めとるほどに。


「ナオは院生ですか?」

 今度はラシッドが質問を始めた。

「修士号を取得しようと思ってます」

 直人は曖昧に応えた。

「都立国際大学ですか?」

「そうです」

「学部は?」

 

 直人は頭の中で自然にサークルに繋げる話の筋道を作り出していた。

「教育学科です。サークルに教育学科の生徒はいますか?」

「あ、一人います」

 直人は息を飲み、そのまま質問を続けようとした時、

「佐々木さんはピエール博士とどんな関係なんですか」

 ピエールと一緒に窓際のソファに座っている吉田明美が、絶妙なタイミングで直人を邪魔した。少し酔っているようで声も大きい。横に座るピエールは困った表情で笑っている。


「それは私も聞きたいと思ってました」

 頷きながらラシッドも直人に尋ねた。


 ──話題を変えられた──


 直人は平常心を装うとピエールに視線を向けた。ピエールはゆっくりと微笑むと、

「ナオに出会った瞬間、ビビッときたんです」

 直人に向けて人差し指を唇に当てる仕草をした。


 吉田明美の鋭い視線が直人を突き刺したが、クラウディアはワイングラスを持ち上げて乾杯し、横に座っていたエリックは飽きれ顔でスコッチウイスキーを味わっている。ピエールの指の動きの意図を読み取り、直人は仕方なくその場の収拾をピエールに任せることにした。初対面でビビッときたかは謎だが、少なくとも不思議な感覚は確かにあった。


 ピエールは洗練された仕草と言葉巧みに直人との出会いを語り始めると、そこにいる全員を魅了した。ピエールの話はかなり脚色されてはいるが、概ね事実を述べている。だが人を引き付ける才能は眼を見張るものがあり、それは彼の外見だけが理由ではないことを直人は感じとった。そして気がつけば、ラシッドに質問を続ける機会は失われていた。


 ──意図的に遮られたのかもしれない──


 吉田明美をさり気なく眼で追ったが、ピエールの手のひらで転がされているのは明白で、細工ができるような女子大生には見えない。仕方なく直人は院生の二人と話をしてみたが、これといった収穫は得られなかった。


 気がつけば時計はすでに十時半を指し、生徒たちは急いで帰り支度を始めた。直人は気を取り直して、ラシッドと一緒にプライベートルームを出ようとしたが、

「ナオはワタシの招待客ゲストですので送ります」

 ピエールはそう云うと、車を出すようにエリックに頼んだ。ハロウィーン祭の前にラシッドの連絡先を得ようとしたが、やはりピエールに先手を打たれたようである。


「ワオ! ピエールのお気に入りなのねぇ」

 クラウディアは感心してワイングラスを傾けたが、ピエールはエリックの方に視線を移すと、低く呟いた。

「来月に帰国するかもしれません」

「え、どういうことですか? ピエール博士はクリスマスまでは日本にいるはずでは?」

 二人の会話を注意深く聞いていた吉田明美は、執拗な視線でピエールを見詰めた。


「ハイハイ、学生さんはもう夜遅いですから帰りましょうね! 終電に間に合わなくなってしまいますよ」

 ピエールは手をパンパンと叩いてその場を仕切った。吉田明美は他の生徒たちと部屋を出ようとはせず、その場に留まろうとしたが、

「マドゥマゼル、大学関係者がほろ酔いの生徒を家まで送るのは良いアイディアだとは思いません。おやすみなさい。また明日、ア ドゥマン」

 圧のある口調で、吉田明美を部屋から押し出すと、ジャンに目配せをした。

「ジャン、みんなを駅まで送ってあげてください」

「ア ドゥマン」

 ジャンはコニャックグラスをテーブルに置くと、学生たちと一緒に部屋を出ていった。


「ピエール」

 名前を呼ばれてピエールが振り向くと、エリックの手にはバレーパーキングの引換証が握られていた。

「メルシー」

 ピエールは紙片を受け取ると直人の方を向いた。

「ではワタシたちも行きましょうか」

 ここで無理やり断って不審に思われるのも危険だと考え、素直に最寄りの駅まで車で送ってもらうことにした。

「すぐに戻ります」

 ピエールは二人にそう告げると、直人と一緒にバーを後にした。


                  ***


 ホテルのエントランス前にエリックの車が現れると、係員が丁重にドアを開けてくれた。ピエールは係員に感謝を述べながら運転席に座ると、直人も助手席に乗り込んだ。十月中旬の夜の空気は既に肌寒いが、アルコールが入っているからか、直人の体はポカポカと温かかった。


「ナオはラシッドと仲良くなったのかな?」

 交差点をゆっくりと右折しながらピエールが話を始めた。


「というか、ラシッドぐらいしかまともに話せませんでした。吉田明美さんはピエールさんとジャンさんにべったりで少し酔ってましたし、若林早苗さんと上原佑二さんは同じ法学部の院生だからか別世界にいるようで……あとはクラウディア・フォーゲルさんとエリック・ホフマンさんですが、二人はずいぶん年上でしたから気さくに話せませんでした」


「ナオは記憶力がいいね。全員の名前も状況も把握してる」

「そうですか? 二時間も一緒にいれば憶えますよ」


 直人は一瞬焦ったが、ピエールは表情を崩さず、バックミラーで後方を確認すると少しスピードを上げた。ライトアップされたビルのシルエットが夜空に浮かび上がり、車窓に映る建物の照明が流れていく。


 ピエールは静かにハンドルを握っていたが、突然アクセルを踏み込んだ。そして赤信号を無視して交差点に突っ込むと、見事なハンドル捌きで目の前の車を避けながら通過した。横からクラクションが鳴り響く。


「ピエールさん!」

 直人は驚いてピエールの横顔を凝視した。

「大丈夫です。ワタシは今夜、一滴もアルコールを飲んでいませんよ。思い出してみてください」

 直人はプライベートルームでの二時間を頭の中で巻き戻した。確かにピエールが酒を口にした場面は一度も見ていない。


「だったら何故、無理やり赤信号で──」

「交差点で右折した時からフォローされています」

「ええっ!」


 一瞬、直人の頭の中に渡辺と平岡が浮かんだが、そのような危険行為を二人が犯すはずがないと考えを打ち消した。


「ターゲットはワタシです。今の赤信号で相手を引き離しましたので、このまま東京駅でナオを降ろします。すぐに人に紛れて駅内に入ってください。大丈夫だと思いますが、万が一のケースを考えて普段とは違うルートで家に帰ること」

 ピエールは話を続けながら車のスピードを落とさず左折した。

「うわっ」

「パァルドン! フランスは右側通行ですから」

 笑いながらすぐに車線を左に戻した。


「大丈夫です。ナオには絶対に危害を加えさせませんからご安心を」

 直人は張り詰めた表情でピエールの横顔を見詰めたが、その端麗な顔には挑戦的な笑みが浮かんでいた。

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