第5話 黒い服を着た男

「寒い……」


 青山涼は肌に纏わりつくような冷気と息苦しさで目が覚めた。だが、意識が朦朧としているからなのか、それとも周りが暗くてよく見えないからなのか、今が昼か夜かも見当がつかない。


 暫くすると眼が暗闇に慣れ、目の前に迫る圧迫感が息苦しさの原因であることが解った。


「うっ!」

 状況を確認したくて体を動かそうとしたが、腕が思うように動かず、指先がピリピリと痺れている。

「何か盛られたのかな……」


 最後に覚えている場面を必死に思い出そうと記憶を遡ってみる。だが、頭に靄がかかったような感覚に陥っている。唇を噛みしめ、冷たく湿った空気を頬に感じ、苛立ちと焦りで顔が歪みながらも青山涼は独り言のように云い聞かせた。


「とりあえず、オレは生きている……」


 緊張から少しばかり解放されて自嘲するように口元が綻んだ瞬間、脳裏に稲妻のようなものが走った。


「逸見教授!」

 そう叫ぶと、まるで走馬灯のように記憶が蘇り、青山涼はすべてを思い出した。


 ──オレは『プロジェクト・エム』の通過儀礼イニシエーションで棺に入れられたんだ──


 極度の緊張から口の中が乾いて言葉を発することができず、蒼白な額から脂汗が流れ出た。


 不意に、遠くの方から足音が聞こえてきた。


 青山涼は懸命に棺の中から逸見教授の名前を何度も呼んでみた。するとガタンという音と一緒に光が差し込み、その眩しさに思わず眼を瞑った。


「吸気口があるから大丈夫だよ」

 聞き覚えのある声が降ってきて、青山涼の強張った顔が少し緩んだ。

「逸見教授!」

 眼を見開いて確認すると、そこには棺蓋を取り外す逸見寛の姿があった。

「プロジェクト・エムへようこそ」

 そう云うと、逸見教授は手を差し伸べた。


 指先にはまだ少し痺れが残っていたが、逸見教授の手を掴んで上半身を起こすと、周囲を確認してみた。青山涼の記憶の中には自分以外にフードを深く被った黒マントの生徒が五人いたが、今では棺が一基あるだけで、辺りは殺風景な部屋に整えられている。数時間前にこの部屋で魔方陣を囲んで、異様な通過儀礼が行われていたなど、部外者であれば知る由もない。


「逸見教授もプロジェクト・エムの関係者なのですか?」


 青山涼は逸見教授の推薦で、今年の六月から『フロック』と呼ばれる成績優秀者だけを集めた大学のサークルに入会した。そしてフロックの中に、さらに精鋭を集めた『プロジェクト・エム』というエリート集団があり、大学の範囲を超える格式高い結社だと聞かされていた。だが、自分を推薦してくれた逸見教授がプロジェクト・エムの関係者だとは想像していなかった。


「単なる冥府の渡し守だよ」

 そう云うと、逸見教授は辺りを見回した。

「まだ少し痺れが残っていても、数時間後には完全に元に戻るから大丈夫だ。まずはこの部屋を出て、三階に移動するよ」


 逸見教授は踵を返してドアへと向かった。青山涼の頭の中には色々な疑問が浮かんだが、黙って教授の後に続くことにした。


 曲がりくねった地下の廊下は一回来ただけでは到底わからない仕組みであったが、逸見教授は問題なく地上への非常用階段まで青山涼を導いた。


「ここの地下は特殊だからね」

 そう云って三階まで昇ると、ポケットから鍵を取り出し、扉を開けた。


「この建物、三階は立ち入り禁止なのでは」

 青山涼は静まり返った三階の豪華なホールを見回した。


「法学部の旧校舎だからね。建物の一階は模擬法廷として今でも利用されているが、地下と三階は閉鎖されたままだ」


 逸見教授はホールを横切ると、奥の通路へと向かった。アイボリーとダークグレーの大理石で敷き詰められたチェスボードのような見事な廊下を歩き、突き当りの角部屋の前で足を止めた。そして事前に指示されたかのように逸見教授が重々しい扉を三回ノックをすると、内側の鍵音が響き、扉が開いた。


「自分の名前を口にしないように」


 逸見教授は耳打ちすると、部屋の中に入った。青山涼も逸見教授の後に続いて部屋に足を踏み入れると、周囲を見回した。部屋はそれほど大きくないが、品の良いクラッシック調な家具でまとめられている。


「ようこそ」


 部屋の奥に置かれたデスクの方から低い声が聞こえると、逸見教授は一礼した。

「死者を総長のチャンバーにお連れ致しました」

 そう告げると、数歩下がり壁際に寄った。取り残された青山涼が何かを云いかけたとき、

「ソファーにお座りなさい」

 逸見教授が〝総長〟と呼んだ男がデスク越しに声をかけた。


 見事な銀髪に細い黒縁の眼鏡が品の良いインテリさを漂わせているが、どことなく冷たい雰囲気の男である。七十代後半を超えているように見えるが、大学の職員ではないのが一目でわかった。総長は黒い上衣に黒いワイシャツ、さらにはネクタイまでもすべて黒色で統一されていることに、青山涼は息苦しさを覚えた。


「ありがとうございます」


 勧められるまま、青山涼はデスク前の応接セットに腰かけた。すると後ろでガチャリと鍵をかける音が響き、反射的に振り向いた。先ほど重々しい扉を開けた長身の男が、扉の横で待機しているのが見える。自分たちを含めて五人しかいないが、この部屋には窓がないことに気づいた。


「君は教育学科の生徒だから、逸見教授にルールを教えてもらうといい。だが他言は禁物だ」

 総長はデスクの引き出しを開け、中から一枚のカードを取り出した。

「君は秋季の入会者だね」

 そう云うと、デスクの横に立つ秘書と思われる男にカードを渡した。秘書は総長からカードを受け取ると、青山涼が座っているソファの横までカードを運び、手渡した。


「ハートのジャック……」

 与えられたトランプカードを見詰めながら、青山涼は小さく呟いた。


「最初から絵札でスタートというのは珍しい。普通は番号から始まって次第にレベルを上げていく……まあ、逸見教授からの推薦が大きいが、君が最初の教育学科出身のメンバーだ」


 そう云うと、総長は壁際に立つ逸見教授に視線を向けた。逸見教授は小さく頷くと、

「では、死者の魂の振り分けが済んだようですので、失礼致します」

 退室の挨拶をすると、ソファに座る青山涼に軽く顎で合図を送った。青山涼は慌ててソファから立ち上がると会釈をし、逸見教授の後を追うように部屋から退出した。

 重々しい扉が閉まり、鍵のかかる音が廊下に響くと、青山涼は緊張から一気に解放された。


                  ***


「フロックは十年ほど前に、法学部の教授が退官した判事と一緒に設立したエリートサークルだが、その内部にあるプロジェクト・エムは比較的新しい取り組みだ。フロックのメンバーの大半は法学部か理工学部の生徒だが、プロジェクト・エムの参加者は院生も含めて法学部の生徒が殆どだ」


 逸見教授の話を聞きながら長く延びた廊下を歩いていると、向こうから金髪の男が優雅に歩いてくるのが見えた。今年の八月から心理学科の研究員としてフランスから来日した博士であることは、遠目からでも即座に判った。


「ブランシェ博士も関係者でしょうか?」

「──いや、彼は特殊なケースだ。総長に話があるんだろう」


 青山涼はピエールが立ち入り禁止の三階にいることに不思議な感覚を覚えたが、あの外見が特殊なケースを生み出すのだと自然に思えた。


「新しいメンバーですか?」

 すれ違いざまにピエールが口を開いた。

「ああ、だが君にはやらん」

 逸見教授は制するように云った。

「フフフ、厳しいですね。逸見教授が推薦した生徒ですか?」

「奴らばかり大きな顔をするからな。私の学科の生徒をメンバーにねじ込んでやったのさ」

「なるほど、だから法学部の生徒が少し騒いだのですね」

 逸見教授は無言で応えた。


 青山涼が法学部の生徒を押し退けて、秋季のプロジェクト・エムの入会が認められた時、一部のフロックの会員生徒からブーイングが巻き上がった。フロックは入会するだけでも将来を有望視され、学術界や法曹界に太いパイプができると云われるエリート集団だが、プロジェクト・エムに参加できれば外国に引き抜かれることもある。ただしプロジェクト・エムは秘密厳守なため、実際の活動は明かされていない。


「冬季に法学部の生徒から一人選ばれるさ」

「そうですね」

 ピエールは相槌を打つと、逸見教授の横に立つ青山涼に視線を移し、

「入会おめでとう」

 満面の微笑みで祝福した。

「あ、ありがとうございます」

 男でさえも赤面する微笑みだが、逸見教授の表情は変わらなかった。

「では失礼します」

 ピエールは先程まで青山涼がいた部屋の方角へと去っていった。


「凄く綺麗な人ですね……女子生徒が騒いでいるのを毎日耳にします」

 青山涼はピエールの後ろ姿を眼で追いながら、ため息をついた。

「あの男をあまり信用するな」

 逸見教授は釘を刺すように云った。


 青山涼は厳しい逸見教授の表情に驚いたが、総長と呼ばれる男を思い出すと話題を変えてみた。


「総長と呼ばれる方は烏みたいに真っ黒で、対面した時に緊張しました」

「あの方がフロックの創立者の一人、黒川元判事だ」

「名前も黒ですね」

「ははは、確かに」


 逸見教授は表情を緩ませると、そのまま話を続けた。

「黒で身を固めるのは、光に発見されないためだろう」

「だったらあの銀光してる髪の毛も黒く染めることをお勧めしますね。あんな見事に光ってれば一発で見つかってしまいますよ」

 逸見教授は青山涼に眼を向けると、

「だから君みたいな文系の生徒を入れたかったんだよ。合理主義者ばかりが集まってるからね」

 満足そうな笑い声が静寂なホールに響いた。


                  ***


 合図のように三回ノックするとチャンバーの扉が開く。


 ピエールは部屋に入ると後ろで扉が閉まるのを確認し、総長の座るデスクの方へと優雅に歩み寄った。


「先程、秋季のイニシエーションが終わったところだよ」

 総長は気さくに話しかけた。


「一部の学生が今回のセレクションの結果に騒いだようで……困りますね、騒ぎを起こされると外部の人間が興味を持ちますから」

 ピエールはデスク前のソファに深く腰を下ろし、長い足を組むと、総長に厳しい眼を向けた。


「ああ、わかっている」

 総長は苦笑いを浮かべた。

「この間の失態も、貴方のところにモグラがいたのが原因ですよ」

 総長は眉間にしわを寄せ、押し黙った。

「モグラはこちらで対処しましたが、本部に報告しておきます」

「それは!」

 総長は驚愕したが、ピエールは氷のような冷たい視線を向けると、ソファから立ち上がった。

「メッセージは以上です」

 切り捨てるように告げると、ピエールは総長に背を向け、扉の方へと歩き始めた。


 総長の鋭い眼がピエールの後ろ姿を映していたが、ピエールは重々しい扉から一歩部屋を出ると、何かを思いついたような表情で振り返り、

「言い忘れましたが、私のお気に入りは既に見つけました。ですから、ここの生徒をスイスに連れて帰りませんのでご安心を」

 不敵な笑いを見せると、そのままチャンバーを後にした。


 総長はしばらく固く閉じた扉を食い入るように見詰めていたが、

「あの男を見張れ」

 目配りをすると、扉の横に立つ長身の男が動いた。

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