第4話 作戦会議

「男にナンパされたのか?」

 渡辺は声を立てずに笑うと、直人が持ち帰ってきたピエールの名刺を面白そうに指で弄んだ。


「違います! ナンパではありません」

 直人は目を細めると、正面に座っている渡辺を睨んだ。数時間前まで覆いかぶさるように書類が置かれていた渡辺の机も、直人がオフィスに戻ってくる頃には少しばかり整理されていた。


「友人に似てるって切り出すのは好意を持っているケースが多いぞ」

「本当に似ている友人がフランスにいるんでしょう!」

 渡辺の手から名刺を奪うと、直人はカードを裏返して見せた。

「さっきも言いましたが、哲学クラブに勧誘されただけですよ」

「哲学クラブねぇ……」

 そう云うと渡辺は天井を仰いだ。

「乗り気じゃないですね。何か嫌な予感でも?」


 渡辺の勘は鋭い。気が進まないのならば、何か危険な匂いを嗅ぎ取っているのだと直人は知っている。暫く沈黙が続いたが、ようやく渡辺が口を開いた。


「語学堪能、容姿端麗、大学の研究員、そんな外国人は諜報員に決まっている」

 さらに名刺の裏面を指すと、

「表向きは哲学クラブらしいが実態は友愛会のような秘密結社だろう。潜入したら抜け出せなくなる危険性がある」


「じゃあ狙いはハロウィーン祭──」

 直人がそう云いかけた時、平岡茂が事務所に戻ってきた。


「みんな揃ったから、向こうで話そう」

 そう云うと渡辺は椅子から立ち上がり、青山夫妻の依頼ファイルを机から拾い上げるとガラスルームの扉を開けた。直人は予想以上に慎重な渡辺の背中を不思議な思いで見詰めていたが、ピエールの名刺を掴むと、作業テーブルの方へと会議場所を移した。


                  ***


「神崎の伯父である橘宗一郎の願いで、青山夫妻の依頼を優先することになったのは、皆も十分承知だと思うが、今後のことで一応確認をしておきたい」


 直人は宗一郎の勝手ぶりに事務所が迷惑を被っているのではと、思わず耳を塞ぎたくなったが、

「橘宗一郎さんは渡辺社長と旧友の仲ですしね」

 幸恵が透かさず突っ込むと、

「橘さんのお陰でウチの事務所はいつも繁盛してます」

 平岡も幸恵に続いた。


 直人は渡辺の下で働き始めて四年ぐらいしか経っていないが、ベテランの平岡と幸恵が直人の肩を持ってくれることが少し照れくさかった。


 渡辺は二人を無視して話を続けた。

「青山夫妻の依頼は、息子の青山涼の素行調査だが──、幸恵さん」

 幸恵は頷き、書類に視線を落とすと、

「青山涼、二十一歳。都立国際大学教育学科専攻。都内で一人暮らしをしています」

 幸恵は青山夫妻の相談内容の説明を始めた。


 幸恵の報告によると、青山夫妻は息子が九月からフルタイム学生ではなくパートタイム学生扱いであることを二週間前に知ったという。授業料は生活費と合わせて息子に直接送っていたため、その差額の授業料がどこに消えたのか、そして余った時間で何をしているのか、息子の不審な行動の確認を求めている。


「そこで、青山夫妻は強硬手段に出ようと、息子さんが住まうマンションの契約を破棄すると迫ったようですが、その時にかなり揉めたようで、近所の住民が警察を呼んでいます」

 幸恵は大きなため息をつくと、

「その後、息子さんはマンションを飛び出し、音信不通だそうです」

「ちなみに青山涼は成績優秀者だ」

 渡辺が付け加えた。


「青山涼は五日前にマンションに戻っています」

 平岡が尾行の結果を報告し始めた。

「大学では今学期、授業を二つしか履修していませんが、マンションから通っています」


 直人は、青山夫妻が伯父の宗一郎に相談する光景を想像した。

 ──きっと伯父さんも断れなかったのだろうな──


「目立つようなものを購入したり、大金が動いたような生活は送っていません。借金返済の可能性も探りましたが、そのような形跡はありませんでしたね。ただ──」

 話が途切れ、平岡は考えを整理するかのように黙ったが、

「何だ?」

 渡辺の精悍な眼が平岡に報告を続けるよう促した。


 平岡は渡辺に目を向けると、

「何かサークルのようなものに入会しているのかもしれません」

 大学のサークルか、又は大学以外のグループに所属してるのではないか、というのが平岡の推測である。


「サークル……」

 直人は独り言のように呟くと、何故かピエールに勧誘された社交クラブを思い起こした。渡辺も同じ思いだったのか、直人に一瞬視線を移したが、

「通話は盗聴される恐れがあるから、相手が用心深ければ電子メールを利用するだろう」

 そう云って荒木警視正から得た情報をテーブルの上に広げた。


「なんですか、この表のようなIPアドレスの履歴は……」

 平岡が怪訝そうにテーブルの上に広げられた用紙を見詰めた。

「ここ最近の青山涼の電子メールの履歴だ」


 大量のIPアドレスから条件を絞り込んで、いくつか特定させたことを、渡辺は平岡と幸恵に説明した。


「いくつか候補はあったが、その中でも一番可能性が高い人物を割り出した」

 そう云うと、一枚の紙片を取り出し、

「逸見寛、青山涼が通う都立国際大学の教授だ」

「ちょっと待ってください。どうやって電子メールの履歴を得たんですか?」

 平岡が咎めるような口調で渡辺に食いついた。


「荒木さんです。警視庁捜査一課長の」

 直人は素直に応えた。

「馬鹿者! 素直に云うヤツがあるか」

 渡辺は慌てて直人を制したが、

「だから神崎君は午前中、監察医務院に行ってたのね」

 幸恵が納得するように頷いた。

「交換条件は何だったんですか?」

 すぐに察した平岡は渡辺に聞いた。


「──荒木さんの部下が殉職してね。捜査一課の潜入捜査の内容は知らないが、荒木さんは部下の死に難色を示している」


 直人は監察医務院で遺体の残影を覗くことができなかったことを思い返した。記憶のない死者など、直人にとって初めての体験である。


「とにかく、青山夫妻の依頼が終わってから、荒木さんの部下の件を進める」

 渡辺はそう云うと、青山夫妻の依頼に話を戻した。


 部下の殉職は家族の死のように心が痛むはずである。直人は渡辺が青山夫妻の依頼を早く片付けて、一課長の頼みを進めたい気持ちが解るような気がした。それにしても、先ほどの渡辺が見せた怒りの声からして、事務所内とはいえ荒木一課長の名を出したのは流石に失言だったかもしれない。 


 直人は心の中で自身の軽率さを恥じると、ポケットから一枚の名刺を取り出し、テーブルの上に置いた。できることなら青山夫妻の依頼をさっさと終わらせたい。


「この方は八月から心理学科の研究員としてフランスから来日している博士です」 

 大学のオフィスで出会ったピエールとの経緯を平岡と幸恵に説明した。


「神崎君、ナンパされたの?」

 幸恵が可笑しそうに聞いたが、

「まさか外国のスパイにリクルートされたのか?」

 一方で平岡は、注意深い反応を示した。


「神崎の場合は〝信誠銀行副頭取の甥〟という立場から事前に素性を調べ上げられている可能性がある。それに──」


 渡辺の話はそこで途切れた。その後に〝特殊能力の持ち主だから〟と言葉が続くのだと、直人は渡辺の心中を察した。だが、自分の特殊能力のことは渡辺と伯父の宗一郎にしか開示をしていないし、秘密厳守に二人が細心の注意を払っていることも知っている。まさか特殊能力のことが外国の組織にバレて、誰かが視察に来たとは流石に思えなかった。


「とにかく、大学関係者とコンタクトが取れる可能性ができました。幸いにも逸見寛と同じ学部の博士です」

 直人は名刺を摘まむと、裏返して見せた。

「〝哲学系の社交クラブ〟だそうです。勧誘されました」

 平岡と幸恵は無言でピエールの名刺を見詰めた。

「他の案としては、今月末に大学で開催されるハロウィーン祭があります」

 直人は渡辺が二週間以上も待つとは思えなかったが、それは平岡も幸恵も同じである。


「渡辺社長、〝可愛い子には旅をさせよ〟ですよ」

 幸恵は直人の潜入調査の許可を求めるように渡辺を見た。

「初めての潜入調査だな」

 平岡は直人を見てニヤリと笑った。直人は黙っている渡辺に目を向けると、

「僕は一度死んで生き返った人間ですから、二度目の人生は特殊に生きるつもりです」

 少し含みのある云い方をした。


 渡辺は厳めしい表情で暫く考え込んでいたが、覚悟を決めたかのように顔を上げると直人を見据えた。


「では神崎にピエールという男の接触を指示する。だが目的はあくまで青山涼に関連する情報収集だ。それ以上の深入りは禁ずる」

「了解です」

 大きな任務であることに手ごたえを感じ、気分が高揚した。


「平岡は逸見教授の情報と照らし合わせながら青山涼が入会していると思われるサークルを調査してくれ。あくまでもサークルの調査だ。道楽息子の更生は俺たちの仕事ではない」

 平岡は頷くと、

「神崎の潜入調査に関して、秘密の合図や一定のルールなどを決めておきましょう」

 潜入調査に関するルール設定を渡辺に提案した。

「もちろんだ」

 渡辺の精悍な眼に光が帯びた。


 四人は夜遅くまで、青山涼に関する今後の調査方針や潜入中の合図から連絡方法など、一定のルールを定めると、直人は平岡から潜入に関する知識やコツを伝授された。


 ──渡辺さんの意に反して、この調査は割と長期戦になるのでは──


 一瞬、不吉な予感が直人の胸を掠めたが、目の前に現れた大きな陰謀の渦に自分が巻き込まれていくことなど、この時の直人には知る由もなかった。

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