第5話 寄生体

 目が覚めると直人は一般病室のベッドに横たわっていた。


「気がついたか?」

 周囲を見渡すと、病室には渡辺だけしかいなかった。


「どれくらい僕は気を失ってましたか?」

「五時間ぐらいだ。今、ナースを呼んでくる」


 渡辺は読んでいた雑誌をテーブルの上に置くと、椅子から立ち上がった。


「──夢を見ました、凄いリアルな……母さんが亡くなる数分前を完全に再現した夢です」


 渡辺は立ち止まり、直人の方に振り返ると、

「まあ、待ってろ。今、先生が血液検査の結果を持ってくるさ。詳しい話はその後だ」

 そう云って優しく微笑んだ。


                  ***

 

 しばらくすると直人の執刀医が検査結果を持って病室に現れた。安藤医師はお悔やみの言葉を述べると、直人に無理はしないよう気遣った。


「三か月前、脈が確認されて君は生き返ったが、その時の血液検査で特定のホルモンや免疫系のマーカーが異常高値を示していてね」


 だが、安藤医師によると、退院時には基準値に戻っていたという。また、 退院後も定期的に血液検査を行ったが、異常高値を示したのはあの時だけだった。


「五時間前に君が失神した時、血液サンプルを採取したが、三か月前と同じく異常値があってね。それで酵素免疫測定法という高感度な分析技術を使用して測定したんだが──」


 そう云うと安藤医師は直人と渡辺を交互に見た。ちょうどその時、看護師が病室に入ってきて空になった点滴を直人の腕から外すと、退院用の書類を安藤医師に渡して部屋を出て行った。安藤医師は直人に目を向けると、


「エンドルフィンの濃度が通常の八百倍も測定されたんだが……」

「え?」

 直人と渡辺は思わず顔を見合わせた。


「君が三か月前に生き返ったのも、エンドルフィンの異常高濃度によるものだと結論付けるしかない……通常の八百倍なんて聞いたことないが」


 安藤医師は書類に署名すると、

「今はもう基準値に戻っているよ」 

 そう云って直人の退院を許可した。


 エンドルフィンの異常高濃度を測定しても、その値が直人の脳内で継続されるわけではなく、再検査で直ぐに基準値に戻るため、医師もお手上げだという。


「測定してもピンポイントで掴めない、まるで──」

 それ以上は言及せず、別れの挨拶をすると安藤医師は病室を後にした。


「──まるで〝生き物〟みたいか……」

 代わりに渡辺が応えた。


「夢じゃなくて幻覚を見たのかもしれない……でも幻覚というより、五感がすべて母さんと共鳴していた感じだったけど……」

 放心したような表情で一点を見詰めていると、渡辺が直人の眼を覗き込んだ。


「お前が倒れる直前、瞳の色が変色していたと十和子さんが云っていた。俺も三か月前にお前の眼の色が違うのを見たな」


 直人は手術後に、渡辺の〝カラーコンタクト〟という言葉が気になって鏡で瞳を確認したことを思い出した。


「今も変色してますか?」

「虹彩の淵に色が混ざってる。左右の色も違う。でも目を凝らして見ないと気づかないだろう」


「渡辺さんはよく気づきましたね」

 直人はベッドから起き上がると、身の回りのものをまとめ始めた。

「俺は仕事上、人間をよく観察するからな」

「探偵事務所を立ち上げる前は何をやっていたんですか?」

 ふと、不思議に思って聞いてみた。


「弁護士だ、お前の父親と同じ」


 渡辺は隆一が死亡して半年後に探偵事務所を立ち上げた。

 ──何か父さんの死と関係があったのだろうか──


 直人が黙っていると、渡辺が口を開いた。

「直人は今、何をやってるんだ?」


「仕事ですか? 伯父さんの勧めで証券会社に勤めてます」

「面白いか? 俺のところで雇ってやるぞ。先週、若いヤツが辞めて人手不足なんだ」


「渡辺さんの探偵事務所ですか?」

 唐突な話にびっくりしたが、渡辺はそのまま続けた。

「直人の面倒を見るって恵子と約束したからな」

「面倒って……僕は二十三です」


「若いっていいなぁ」

 渡辺は声を立てずに笑うと、

「大量のエンドルフィンが〝生き物〟みたいに脳内で暴れるなら、いつでも面倒を見てやるってことだよ。ま、脳内に宿った寄生体のようなものだな」

 指を伸ばし、直人の額を軽く突いた。


 病室を後にする渡辺の後ろ姿を直人は見詰めながら、この不可解な一連の出来事と、医者も匙を投げた異常な症状に眩暈を覚えた。だが、もし渡辺が一緒にこの謎を解明してくれるなら、これほど頼もしい相手はいない。


「探偵事務所か……考えてみます」


 独り言のように呟くと、直人は渡辺の後を急いで追った。


(了)

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