第4話 寄生体

 直人は窓際に寄り、窓の外へと眼を向けると、涙で景色が浮き上がって見えた。


 廊下から洩れる宗一郎と渡辺の声から、恵子の葬儀の準備が始まっているのが解った。直人は窓際を離れ、恵子の方へと歩み寄った。


 先程まで機械やチューブなどで占めていた枕元はすでに綺麗になっている。部屋の隅に追いやられた椅子を再び恵子の枕元に置き、

「母さん、どうか安らかにお眠りください」

 そう告げると静かに座った。


 恵子の体はすっかり痩せ細っていたが、苦しみから解放され、静かに眠りについたような表情をしていた。そんな恵子の顔を見詰めていたが、ふと眉間に何かが小さく光っているのを捉えた。


 直人はそっと指を伸ばし、その微かな輝きに触れてみた。すると目の前の空間がぐにゃりと歪み、何か得体のしれない闇に飲み込まれるような感覚に落ちた。

 

                 ***


 激痛が襲いかかってきて、一気に視界が広がった。


 医者や看護師が激しく動き回ってる姿が飛び込んできたが、心臓の鼓動が異常すぎて口から出てきそうだ。あまりの苦しさに気を失いかけたが、いきなり酸素吸入器が口に当てられる。機械音が聞こえるが、激痛からか喋ることができない。医者が目配りをすると注射が打たれた。痛みが少し緩和したが、今度は焦点が定まらなくなってきた。


「……直人……」


 ようやく聞こえた声は掠れていた──が、恵子の声であった。すると枕元に〝直人〟が現れ、


「ここにいます、母さん……」

 涙を堪えながら恵子の手を取った。


 直人は瞬時に理解した。これはつい先程、恵子が亡くなる直前の光景である。

 目の前の〝直人〟は手を伸ばすと酸素吸入器を少しずらして、恵子が喋れるようにした。


 全く同じ光景である。まるで時間が巻き戻ったかのようだが、今の直人は恵子の視点から捉えている。


 ──もしこれが母さんが死ぬ直前の出来事と同じなら、この後に渡辺さんが走り込んできて、最後に言葉を交わしてそのまま母さんは亡くなる──


 直人の頭が急に冴えてくると、

「叡治君がもうすぐ着く、頑張れ恵子、もう少しだ」

 宗一郎の涙で歪んだ顔が〝直人〟の後ろに見えた。


 すると廊下を走ってくる足音が聞こえ、

「すまない、渋滞に巻き込まれた」

 渡辺が病室に飛び込んできた。


 〝直人〟は恵子の枕元を離れようとしたが、渡辺は首を振って〝直人〟の肩を軽く叩いた。


「すまない恵子、遅くなった。待っててくれたんだな」

 渡辺が優しく微笑むと、恵子は途切れた声で何かを伝えようとした。


「大丈夫だ、後のことは俺と宗一郎に任せろ」

 恵子の唇が微かに揺れ、口元に小さな笑みが洩れたかと思うと、恵子はそのまま眼を閉じた。


「お前の無念は俺が晴らしてやるから、ゆっくり休め」


 熱を帯びた眼で恵子の顔を目に焼き付けると、渡辺は自分に聞かせるように小さく呟いた。それはまるで〝決意〟のようであったが、この時の〝直人〟は肩を震わせ泣いていたため、渡辺の決意を聞き取れなかった。

 

                  ***


 悪夢から覚めると直人は手を恵子の額にかざしたまま枕元に座っていた。手を退かすと恵子の眉間にはまだ微かな光がある。廊下からすすり泣きや、宗一郎が電話で葬儀などの話をしている声が聞こえる。恵子の枕元には酸素吸入器などはなかった。


「一瞬、夢を見たのだろうか……」


 直人は呟いたが、恵子の死ぬ直前の場面が一つも狂いなく再現され、さらに恵子の苦痛も何もかもすべて五感で感じた異様な夢であった。未だに腕に針が刺さった感覚でさえも残っている。だがこの時、今まで抑制していた何かが直人の中で大きく崩れた。


 急に呼吸が乱れ、目の前が真っ暗になると手足がしびれ、圧迫感が押し寄せてきた。


「息が……出来な……い」

 直人は咄嗟に胸元を手で押さえると、強い恐怖感に襲われた。


 ──呼吸をコントロールしないとこのまま失神する──


「直人君、いつでも私たちを頼りなさい、家族なんですから。今、宗一郎が──」 


 十和子とわこ夫人が直人を呼びに病室に入ってきたが、枕元に座っている直人の様子がおかしいことに気づいた。


「直人君、大丈夫?」

 十和子は真横に回り込むと、俯いている直人を覗き込んだが、直人の眼の色が異常であった。


「あなた! 直人君の様子が変よ!」


 十和子の叫びは病室の外に延びた廊下まで響き、慌てて宗一郎が病室に駆け込んでくる姿を眼で追いながら直人は椅子から転げ落ちた。そしてそのまま朦朧としていた意識を手放してしまった。

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