土産攻勢

 義兄 穴山 信君あなやま のぶただ殿の態度は気になるものの、今すぐにはどうこうする必要も無い。


 現在の穴山 信君殿は、まだ家督を継いでいない身である。それが理由で領地の河内かわうち地区から離れ、ここ躑躅ヶ崎館つつがさきやかたで暮らしていた。要は人質である。


 そのため、穴山 信君殿が俺に対して負の感情を抱いていたとしても、直接的な行動を何も起こせないのが実情だ。今日のような身内だけの食事会に参加している点から、父上から大事にされているのは分かる。だからと言って、やりたい放題ができる訳ではないし、そんな力は持っていない。


 きっと穴山 信君殿もそれは分かっているのだろう。この場で大声を上げて雰囲気をぶち壊したりしないのがその証明となる。


 庶子と娘婿。どちらが上かなど、俺にとってはどうだって良い話だ。いずれは甲斐かい穴山家を継ぎ力を持つとしても、余計なちょっかいを出してこなければ問題無いと考えている。俺の存在など無視してくれれば良い。それで全ては丸く収まる。


 また身延山久遠寺みのべやまくおんじも、当面は同じ甲斐国に建立される善光寺への対処が優先事項であろう。遠く離れた東濃を拠点とする高遠諏訪家には直接手出しはできない。


 日蓮宗は他宗派に対しての攻撃性が強い。これを忘れず準備を怠らなければ良いだけだ。


 例えば比叡山延暦寺ひえいざんえんりゃくじの僧を領内に呼ぶのも一つの手である。知る人ぞ知る事実ではあるが、比叡山延暦寺と身延山久遠寺は裏で繋がっている。それを利用すれば牽制になるという考えだ。


 いやよそう。宗教対策は焦る必要は無い。それよりも今は、父 武田 晴信様、正室 三条の方様、兄 武田 義信様他が参加する食事会に全力を尽くす方が優先される。俺のこの二年間の成果が試される重要な催しなのだから、失敗をする訳にはいかない。


「四郎よ、これはお主の仕業か?」


 そうこうしている内に膳が運ばれてきた。普段の食事とは違うハレの日限定の豪華仕様である。年に何度か母上と二人で食べた記憶が呼び起こされる。あの頃は家族と呼べるのは母上のみ。父上や兄上達は別の部屋で、和気藹々と食事していたものだ。


 そんな俺が今では父上や兄上達と同じ部屋で食事ができるのだから、実に感慨深い。それと同時に、母上存命時にはこの光景がついぞ実現しなかったのが悔しくて堪らない。


「四郎よ、聞いておらぬのか?」


「失礼しました。お館様!」


「この場にいるのは身内のみだ。父上で構わぬ」


「では父上、仰っているのは膳に置かれた竹筒だと思われます。こちらが私からの土産その一です。中身は酒ですので、栓を抜いて盃へと注いでください」


 献上品その一「竹焼酎」。最初は怪訝な顔で竹筒を見ていた皆が、俺の発言を聞いた途端に笑顔に変わる。そうして我先にと栓を抜き、酒を注ぎ飲み干す。やがて静寂が訪れ、かと思いきや感嘆の声が部屋中に広がった。


「四郎よ、この竹筒は樽の代わりか? 香りづけに使っておるのだな。何とも面白き発想よ」


「お褒めに預かり光栄です。ですがそれだけではありません。竹筒は酒の味を向上させる役割もあります。飲んだ瞬間、仄かな甘みを感じたのはこの竹筒があればこそです」


「何と、そのような効果が……」


 この「竹焼酎」、名称だけを見れば竹から作った焼酎のように感じるが、当然そんな事もなく。実際には竹の筒部分に焼酎を詰め込み、五日から一〇日程熟成させただけの代物であった。


 現代日本では竹を含めた木材を原料として酒が製造されているとしても、この戦国時代での再現は不可能だろう。


 ただ、そんなちょっとした手間で酒の味が変わるのだから、面白いというより他ない。盃に注いだ竹焼酎からは竹の爽やかな香りがし、飲めばまろやかな口当たりと仄かな甘みが口一杯に広がる。竹のミネラル分が溶け出した効果であった。元が酒粕の再利用品である安酒の粕取り焼酎とは思えない味に仕上がっている。


「いや待て四郎よ。先程『味を向上させる』と言ったな。ならば元の酒は安酒なのか?」


「その通りです。使用した粕取り焼酎はその安さで人足には人気なのですが、如何せんクセが強いのです。竹焼酎はクセの強さを和らげて飲み易くします。そういう意味で元の素材に粕取り焼酎を選んだのは間違いではなかったでしょう」


「四郎よ、無礼であろう! 父上は甲斐武田家当主だぞ。その方に敢えて安酒を出すとはどういう了見だ!」


義信よしのぶ兄上、甲斐には竹林が多く存在しているのを忘れてはいませんか? この酒は、その利用法の一つの提案です。安酒も工夫によっては美味しくもなる。この事実を甲斐の新たな産物が完成する切っ掛けにして頂ければと考えています。……と、それはそれとして、義信兄上の言葉も尤もです。ですのでご安心ください。次なる土産は渾身の一作。『土岐諸白』となります。妙さん出番だ。皆様に注いで差し上げろ」


 献上品その二「土岐諸白」。俺がその言葉を発した瞬間に父上の眉がピクリと動いたのを見逃さなかった。流石は足長坊主のあだ名を付けられた父上である。評判も含めてどんな物であるか、既に知っているのだろう。


 この「土岐諸白」。以前木下 藤吉郎に在庫は残っていないと言ったが、当然ながら真っ赤な嘘である。何かあった時のために小さな徳利一つだけ残しておいたものだ。この場でそれを使うのは、まさしく正しい判断と言えよう。


 盃に注がれた水のように澄んだ液体。そこからは芳醇な香りが漂う。一口飲めばそれが口の中一杯に広がり、果実のような味わいが舌を喜ばす。更には後味もスッキリしており、舌に残らない。


 人は感動をすると言葉を忘れるという。この場はまさにその通りとなった。これまでに飲んだ事の無い洗練された味。同じ酒とは似ても似つかぬ口当たり。先程の竹焼酎が何だったのかと思う程の極上の逸品。軽四をどんなにカスタムしても、フォーミュラカーには敵わない。そんな事実を、この場にいる人達は身をもって知った事だろう。


 先程話に割って入ってきた義信兄上も、「土岐諸白」を一口飲んで大人しくなった。


「四郎君、四郎君。お姉さんも『土岐諸白』を飲みたいんだけど」


「駄目。お酒は大人になってから」


「う゛ぅぅぅ」


「四郎よ。この『土岐諸白』をもっと飲みたいのだが……」


「申し訳ございません。想像以上の売れ行きだったため、もう本当に残っていないのです。昨年冬に大目に仕込みましたので、半年もすれば完成すると思われます。その時までお待ちください」 


「仕方ない。無い袖は振れぬからな。今日はこの竹焼酎で我慢しておくか。い、いや、四郎悪い。竹焼酎が不味いと言っている訳ではないのだぞ。『土岐諸白』が別格なだけだ」


「分かっております。竹焼酎は別の役割の酒ですので。元となった粕取り焼酎には、実は様々な使い道があるのですよ。もう一つの例を今回紹介致します。妙さん! 次は『松ぼっくり酒』を皆様に飲んで頂こう。後、饅頭も忘れずにな」


 献上品その三「松ぼっくり酒」。献上品その四「酒饅頭」。


「四郎よ。饅頭とはあの饅頭か?」


「はい。あの饅頭です。当家では主に肉饅頭の方を食べていますが、今回は具に甘味を加えた小豆餡を使っております。もう一つの『松ぼっくり酒』は薬膳酒です。こちらも甘くしておりますので、どちらも食事を終えた後に召しあがるのをお勧め致します」


 俺がそう言った途端に、この食事会に参加した面々が凄まじい勢いで料理を平らげていく。


 この時代は甘味がとても貴重だ。国内でサトウキビが栽培されていないのだから、こうなるのも仕方がないというもの。


 だが高遠諏訪家では、領内で砂糖の下位互換品を栽培している。そのため、手軽に甘味が手に入るのが大きい。これが商品開発に繋がった形だ。


 やがて皆が酒饅頭へと手を付ける。小さく千切って少しずつ食べる者、大きく口を開けかぶりつく者、どう食べようか迷ってなかなか手が付けられない者、饅頭一つで様々な反応があるのが面白い。義信兄上や父 武田 晴信様は落ち着いて淡々と食べてはいるが、しっかりと目じりは垂れ下がっていた。


 等しく人を笑顔にする。これが甘味の魔力であろう。


 薬膳酒である松ぼっくり酒は、浴びるように飲む酒ではない。量も少ないため、気が付けば全員が飲み終わっていた。こちらは味よりもその効果の方が大事だ。抗炎症作用・殺菌作用、疲労回復、抗血栓作用等々、様々な効果がある。代用養命酒といった扱いと言えよう。


 この時代は医療が未発達なために、大きな病に掛かると治療は不可能だ。健康な体を維持するには普段からの予防が大切となる。とは言え、健康を意識して生活習慣が雁字搦めになるのはまた違う。これでは戦の一つもできない。


 だからこその松ぼっくり酒だ。本当は養命酒が製造できれば良かったのだが、俺もそこまでは知らない。また松ぼっくり酒は、その名の通り青い状態の松ぼっくりを焼酎で漬け込むだけで良い手軽さなのが製作の決め手となった。


 松ぼっくり……と言うよりその中にある松の実は、仙人の食物と称される程栄養豊富な食材である。松は日ノ本の何処にでもあるのだから、それを有効活用したに過ぎない。ただ木材として使用するのでは勿体ないというものだ。


「四郎よ、先程は済まなかった。土産は一つとは限らないという初歩的な点に気付かなんだ」


「義信兄上、気になさらないでください。私も最初に土産は幾つもあると伝えておりませんでしたから。事前に目録を父上に渡しておけば良かったと反省しております」


「ただな、四郎よ。これだけの豪華な土産を儂自身が楽しんだ後に言うのはどうかと思うが、領地の経営はしっかりやっておるのか? それが逆に気になったわ」


「大丈夫です。家臣達が皆優秀ですから。お陰で私は酒造りに集中できております」


「そうではない。四郎は高遠諏訪家当主なのだから、模範とならねばならぬ立場であろう。酒造りをするなとは言わぬ。だがもう少し政にも励め。家臣に頼り切りとなれば、いずれ痛い目を見るぞ」


「はっ。肝に銘じておきます。ご心配をお掛けしました」


「分かれば良い。この場にそぐわぬ事を言ったな」


 宴もたけなわとなった頃、義信兄上から小言を頂く形となった。


 これでようやく安心する。策は成就したと。


 食事会の参加者は父 武田 晴信様や三条の方様だけではない。義信兄上や信親兄上、穴山 信君殿といった親族も加わっている。いや、もっとはっきり言おう。今回の里帰りでは、義信兄上と同席する機会があると初めから分かっていた。


 俺は以前に武田 信繁叔父上から謀反の疑いが掛けられていると聞いていた。なら義信兄上は、それを重臣達から耳に入れられている筈である。


 つまり俺は今回の里帰りで、その疑いを晴らす必要があったという訳だ。


 とは言え、正攻法では信用してもらえるかどうか分からない。現状の義信兄上は、重臣達に洗脳されていると考えた方が良いだろう。対応を間違えば、逆に反目してしまう可能性すらある。


 だからこその土産攻勢であった。


 遠く離れた東濃で俺のしている事は謀反の画策ではない。酒狂いと思わせる程の新商品開発を行っていたと勘違いさせるためである。その分馬鹿殿と見做されるが、謀反の疑いを掛けられるよりは遥かにマシだ。


 義信兄上の反応を限り、その目論見は概ね成功したと言って良いだろう。これで少しは時間稼ぎとなったと思いたい。


 ちらりと父上の顔を見る。その表情からは合格点を貰えたかどうかは分からないが、どうやら赤点だけは回避したようだ。一気に肩の力が抜けた。


 それにしても、こんなのが毎年続くのか……。せめて五年に一回くらいにしてもらえないものだろうか。


 故郷は府中にはまだまだ遠そうである。



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補足


武田 義信 ─ 武田 晴信の嫡男。早くから跡継ぎと見做され、その足場固めがされてきた。1558年には「准三管領」の扱いを受ける。

今川 義元の大ファンとも伝わる。正妻の影響があったかもしれないが、甲斐武田家中の駿河今川派閥の筆頭であった。

1565年、謀反に関わった罪で東光寺に幽閉。その2年後に病死した。

この義信事件が、甲斐武田家滅亡の大きなターニングポイントだと言われている。

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