嘘対偽

「ふぅ、やっぱり高山たかやま城は落ち着くな。実家に帰って、改めて俺の居場所はここだと感じるよ」


「四郎君には悪いけど、お姉さんも甲斐かいは居心地が悪かったかな。歓迎されている感じじゃなかったしね」


「それでも来年も行かないといけないのが何とも。いっそ、仮病を使った方が良いんじゃないかと思えてくる」


「あっ、それ良いかも」


「それをすると今度は謀反を疑われるから、できないけど」


「頑張って。四郎君の骨は、お姉さんがきちんと拾ってあげるから」


 里帰りを終えた俺達は、ようやく美濃みの 高山城へと戻る。躑躅ヶ崎館つつがさきやかたでの滞在はたった一泊だったとは言え、随分と疲れ果てた小旅行となってしまった。


 そう思うと、やはり東濃は落ち着く。住めば都とは言うが、俺の場合は甲斐から遠く離れているからこそ、周囲の目を気にしないで良い。これが何よりの心の安寧だと気付いた。きっと甲斐時代に俺がちょくちょく秋山 紀伊あきやま きいの領地で実験を繰り返していたのも、実家での居心地の悪さが根底にあったのだろう。


 この実験の成果が高遠諏訪家の快進撃の原動力になっているのだから、世の中は複雑怪奇である。


 さて置き、来年も里帰りするとなれば、今回以上の土産が思い付かない。これも里帰りをおっくうに感じる理由の一つだ。目的があったとは言え、今回はやり過ぎた。つまりは後先を考えなかった俺の自業自得である。


 きっと父上や三条の方様も、来年はどんな物で驚かせてくれるのかと楽しみにしているのではないか。こう考えてしまう。


 いや、頭では理解しているのだ。土産を何にするかで悩む必要は無い。余計な見栄など張らずとも「土岐諸白ときもろはく」を持参すれば、十分に喜ばれると。あの酒はそれだけの衝撃を父上達に与えた。ならばもっと飲みたいという要望に応えるのが、来年の修羅場を乗り切る最も確実な方法だと。そこに目新しさが必要とは思えない。


 それに「土岐諸白」は、甲斐に下向してくる公家の方々への接待にも使える。父上は甲斐国発展のために仏教を保護するだけではなく、積極的に公家の方々を招聘しているのを俺は知っている。地方に下向する公家の方々は厄介な寄生虫ではない。迎え入れるのは名誉でもあるし、何よりこの時代の知識人でもある。


 京から遠く離れた甲斐の地で、文化や学問の分野で取り残されないようにと知識人を招く。この行為は、為政者として正しい姿であろう。


「なら来年はいっそ角度を変えてみるか。カクテル辺りが良いかもしれないな」


 そんな知識人への接待に「土岐諸白」をどう使うか? ただ飲んでもらうだけでは面白くないと考えてしまうのが、良くない思考と言えるだろう。


 ただ、ふと思いつく。飛び道具があった方が場は盛り上がるのではないか。こうした思考の迷路の中で、つい前世のカクテルの言葉が飛び出した。


「四郎君、その"かるてる"って一体何なの?」


「独禁法で禁止されてる……じゃないな。酒に茶を混ぜると美味しくなるのさ」


「お酒とお茶で美味しくなる? 本当にそうなの? 嘘じゃないの? 分かった。お姉さんが実際に飲んで確かめてあげるから、今度作るように」


「駄目。お酒は大人になってから」


「ケチ!」


 次の里帰りまではまだ一年の猶予がある。結論を急ぐ必要もない。とは言え来年の土産案の取っ掛かりができたのだ。後はこれを深く掘り下げれば何とかなりそうである。


 酒と茶。組み合わせとしては邪道であるものの、カクテルを紹介するという意味では悪い考えではない筈だ。後はカクテルが父上他、多くの人に受け入れられるか。全ては味の良さ次第であろう。


 そう言えば変わり種としては、こういうのもあった。 


「まあまあ。代わりと言ってはなんだけど、今度シャンメリーもどきを作るからそれで我慢して欲しい」


「ふぅん。よく分からないけど、四郎君がそこまで言うなら楽しみにしておくね」


 葛や藤の花らよってシャンパン風の飲料が作れる。そこから更に発酵を進めれば酒にもなる。完成形は疑似スパークリング・ワインと評するのが妥当だ。


 戦国時代に炭酸飲料が受け入れられるかどうかは分からない。だが、実験として作る意義は十分にあるというもの。浅葱お姉さんは被験者第一号である。


 もう土産のネタは無いと思っていたが、そんな事はない。探せば色々とある。そう考えを改める俺がいた。



▲ ▽ ▲ ▽ ▲ ▽


 

 年号が永禄えいろくへと変わって一月経った三月、お隣の尾張おわり国で一つの戦が起きる。


 それは織田弾正忠おだだんじょうのじょう家による尾張 品野しなの城攻めであった。


 結果は織田弾正忠家の勝利。駿河今川するがいわがわ家の支配下にあった品野城を含む周辺の三城は、全て織田弾正忠家の勢力圏に組み込まれた。


 品野城のある尾張東北部は、東濃・三河・濃尾平野へと繋がる交通の要衝である。そう、東濃へと繋がるのだ。つまりはこの地を織田弾正忠家の勢力下に置かれるのは、東濃への橋頭保となる。当家から見れば喉元にナイフを突きつけられるのと同義と言えよう。


 これまでの当家は織田弾正忠家と隣接しているとは言え、駿河今川家が盾の役割を果たしていたために大きな軍事的脅威とはならなかった。また、尾張上四郡守護代の織田伊勢守いせのかみ家は現在の勢力圏を居城の岩倉いわくら城周辺のみと大きく縮小させているものの、素通りして東濃へと向かう織田弾正忠家の軍勢を見逃す程お人好しではない。それは同じく織田弾正忠家と敵対している織田 信行おだ のぶゆき殿もそうだ。


 今回の戦の結果によって、この軍事的な均衡が崩れたと言えよう。尾張東北部における駿河今川家の影響力が喪失したからだ。


 何が言いたいかというと、織田弾正忠家は尾張国の国内統一へと向かった。その先にあるのはほぼ間違いなく東濃への侵攻である。織田弾正忠家の倒すべき敵が美濃斎藤家や駿河今川家だとしても、これまで同様無策に争っては結果も付いてこない。なら考えられるのは、方針の転換。弱い勢力から順に喰らい己の血肉とする。そのための前段階として尾張東北部を完全制圧したと考えるのが妥当である。


 だからこそ、今の当家がやらなければならないのは織田弾正忠家による尾張国統一の阻止。明日は我が身とならないために、織田伊勢守家や織田 信行殿には存続してもらわなければならない。


 そうなれば、

 

「我が織田弾正忠家は今年の夏、織田伊勢守家との戦を起こす予定だ。高遠諏訪家はこの戦に関与せず、是非とも中立を保ってもらいたい。要は何もしなければ良いのだ。この程度なら何とか勝頼殿でもできよう」


 このような馬鹿げた要請には決して応じる事はできない。


 しかしながら、そんな俺の考えはどこ吹く風。使者である木下 藤吉郎は、自身の都合だけで話を進めようとしていた。


 三度目となる木下 藤吉郎との出会いは、これまでとは様々が違う。今回は織田 忠寛おだ ただとお殿を代表とする織田弾正忠家の正式な使者であった。前回の木下 藤吉郎とは服装自体が違う。書状も携えている。何より単独での行動ではない。


 今回は織田 忠寛殿の補佐の立場のようだが、それを無視して場を取り仕切ろうとしている所がらしい姿である。


 もしこの会合が、前回のように偽の使者だったなら俺は会うつもりはなかった。だが織田 忠寛殿を代表とする正式な使者であるなら、会わない訳にはいかない。例えムカつく者が使者の中に居ても、私情を挟めないのが領主の辛さである。


 ただ正式な使者として訪れた今回も、交渉の内容は前回とそう変わらない。自分達の都合だけを優先して、こちらへの利は最後まで提示されなかった。つまりは織田弾正忠家の力を背景とした、威圧的な外交なのだろう。当家を下に見ているとも言い換えて良い。なら、どうするか?


「なるほど。織田弾正忠家の要請はよく分かりました。では、こうしましょう。尾張国瀬戸地区の領地は高遠諏訪家に割譲して頂く。これを履行して頂けるなら、要望にお応えしましょう」


「はぁ、何を言っているのだ。瀬戸地区の割譲? そんな馬鹿な話が通る筈がないであろう。勝頼殿はただ黙って儂の言葉に首を縦に振れば良いだけだ」


「織田伊勢守家からは、味方すれば瀬戸地区の割譲を約束してくれてますが。織田 信賢おだ のぶかた殿も分かっていたのですよ。お家騒動で力を落とした織田伊勢守家が次の織田弾正忠家の標的になる事を。滅亡が掛かっていますからね。だから、大盤振る舞いしてくれました」


 こういう場合、吹っ掛けてこちらを面倒な相手だと思わせるのが外交の定石である。同じ断るとしても、断り方一つで相手の対応は随分と違ってくるものだ。与し易しと思われない。舐められない。それが必要な場面である。


 勿論織田伊勢守家からは、援軍の要請も打診されていなければ報酬も約束されていない。瀬戸地区の割譲は真っ赤な嘘である。


 さて、敵勢力からの報酬を暴露するのが本来あってはならないと木下 藤吉郎が気付くかどうか。ここがこの交渉の分水嶺だろう。気付けば俺の言葉は嘘だと分かり、向こうが優位に立てる。気付かなければ、織田弾正忠家は手札を切って手の内を明かさなければならない。


 嘘やハッタリ、それを使うのは自分だけではないと身をもって知ってもらうとしようか。


「なっ……馬鹿な。そんな筈は……。いや、嘘だ。今の織田 信賢殿に余裕は無い。たばかったな!!」


「別に信じなくても構いませんよ。前当主 織田 信安おだ のぶやす殿を追放して、美濃斎藤みのさいとう家との縁が無くなった織田伊勢守家に援軍を依頼する勢力があるとすれば、当家しかない。この事実だけは変えようがありません。それを認めるかどうかですね」


「ぐ、ぬぬぬ……言わせておけば。織田伊勢守家の次は、高遠諏訪家が標的となるのだぞ。それでも良いのか?」


「織田伊勢守家が滅亡しなければ、それは未来永劫訪れないでしょう」


「ま、待たれよ! 諏訪殿!」


「どうかされましたか? 織田 忠寛殿?」


 やはり木下 藤吉郎は一廉の人物だ。瞬時に俺の言葉を嘘だと見抜いた。だが、そこまでである。嘘だと見抜いても、俺が素直に認める筈がないとまでは考えなかった。だから言葉に詰まる。


 そんな時、代表である織田 忠寛殿が話に割って入る。状況的に木下 藤吉郎が不利だと感じたのだろう。これ以上追い詰められないためにも、別の者が話を引き継ぐのはとても良い判断だ。


 ただ、これは俺の予定通り。次は相手が風向きを変えるために手札を切ってくる場面だ。ここからがこの交渉の正念場となる。絶対に向こうの思い通りにはさせない。


「いや何、書状を渡すのを忘れておったのだ。それもとても大事な。此度の件に付いて、諏訪殿の父上である甲斐武田かいたけだ家当主 武田 晴信たけだ はるのぶ様より書状を預かっておる」


「何故父 武田 晴信様よりの書状が私に直接来るのではなく、織田 忠寛殿を仲介する形となるのでしょうか?」


「諏訪殿と会うのは此度が初めてとなるが、儂は今年三月まで甲斐武田家で客将をしておったからの」


「存じております」


「その縁でな、諏訪殿と話をする前に武田 晴信様と話し合いを持ったのだ。諏訪殿も気になるであろう。織田伊勢守家の戦に介入すべきかどうか、武田 晴信様が如何に考えておるかを」


「確かに。それはそうですね」


「そう思って、儂が先回りしておいた。これがその書状となる。まずは中を確認して頂きたい」


「分かりました」


 織田 忠寛殿は何が理由で勘当されたのかは知らないが、ある日突然甲斐府中の躑躅ヶ崎館つつがさきやかたにやって来て、そのまま客将として居座っていた人物である。


 勘当が解けたのが今年三月なのだから、この交渉のために呼び戻されたと考えるのが妥当だ。甲斐武田家、もしくはそれに準ずる勢力との交渉役としてこれ以上うってつけの人物はいない。


 そんな人物が俺に武田 晴信様からの書状を差し出す。開いて中を確認すると、内容は予想通り。「尾張国にまで手を広げるな。美濃国攻略に集中しろ」というものであった。


 書いてある内容それ自体におかしな点は無い。とても真っ当な判断だ。


 だからこそ分かる。この書状は偽物だと。甲斐武田家が、境目紛争に幾度も悩まされた事実を知らない者が書いた書状だというのが丸分かりであった。


「書状の内容は確認しました。そしてとても良く分かりました。この書状が偽物で、そんな偽の書状を平気で渡す織田弾正忠家は倒すべき敵だという事が。高遠諏訪家は織田伊勢守家に味方します。次お二人とお会いする時は戦場にて。その日を楽しみにしておりますよ」


 ──外道照身霊破光線。正体見たり偽造書状。



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補足


織田 忠寛 ─ 武田 勝頼とおりゑの方との縁談を纏めた中心人物と言われている。永禄年間は織田弾正忠家に於ける甲斐武田家との取次役であった。後に岩村遠山家の未亡人おつやの方に織田 信長の子供を養子にする縁組も纏めたとも言われている。また、1573年の甲斐武田家による東濃侵攻の際には、秋山 虎繁とおつやの方との婚姻にも尽力した。その結果、織田 信長の五男・御坊丸が甲斐武田家の人質となる。これが影響して織田弾正忠家から追放された。東濃に深く関わった人物。

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