脱法のススメ
──災い転じて福となす。
「クラフト サケ」にはこの言葉が良く似合う。
知る人ぞ知る話ではあるが、現代日本に於いて清酒製造の新規参入は基本的には認められていない。これは、国税庁から清酒製造の免許が新規に発行されないためである。当たり前の話ではあるが、無免許で清酒を作ると罰せられる。
では何故新規参入できなくなったかと言えば、それは需要と供給のバランスによるものだ。減り続ける清酒の国内消費量から、既存の製造業者を守るためである。やっている事が座と変わりないと思うのは俺だけではないだろう。
ただ、法律は人が作るもの。蛇の道は蛇。しっかりと抜け道はあったりする。
国税庁の立場はあくまでも、清酒製造免許の新規発行の差し止めだ。現時点で発行している清酒製造免許の名義書き換えは禁止していない。
そう。抜け道とは、既に発行された清酒製造免許の買取である。買取によって名義の書き換えを行う。これにより醸造元は清酒の市場へと新規参入し、管理する側は醸造元が増えてもいなければ減りもしていないという奇妙な現象が生み出されるのだ。平成の世に入るまでの酒販売の免許でも同じ状況であったのは、これまた知る人ぞ知る有名な話であろう。
お役所仕事ここに極まれり。そんな感情を抱いてもおかしくはない。
とは言え販売の免許とは違い、製造の免許を取得するのは基本的に醸造元。つまりは職人である。商売人ではない。
そのため、面倒な下調べや交渉を嫌がる。物作りを生業としているのだから、これは仕方ない側面だ。ならば清酒以外を作れば良いと考えるのも自然な流れであろう。
こうして新たな醸造元は、清酒製造でなく「その他の醸造酒」製造の免許を得るようになる。
何故新しい醸造元は「その他の醸造酒」製造の免許を選択するのか? 第一には国税庁がその他の醸造酒製造の免許なら新規で発行するのが挙げられよう。当然と言えば当然である。
第二の理由はもう笑うしかない。酒税法には清酒の定義が記載されているのだが、その中には原材料までもが記載されているのだ。
何が言いたいかというと、酒税法にて定義された原材料以外を使えば清酒ではなくなる。日本産の米、米麹、水以外に、例えば葡萄を追加するだけでそれは清酒ではなくなるのだ。また原材料が記載されている関係上、清酒の醸造法以外で酒を作れば定義上清酒ではなくなる。そんな抜け穴があった。
要するに「クラフト サケ」は、法の網をくぐり抜ける脱法的な清酒造りを始まりとしている。発想が脱法ハーブと同じだと思うのはきっと俺だけではない。しかもこの「クラフト サケ」を新たな分野の酒だとしているのだから、日本語はとても便利である。
それだけではない。こうした経緯を経て世に出た「クラフト サケ」が、年々需要の落ちる日本酒市場を活性化させるカンフル剤となったのだから、世の中はとても面白い。
残念な点があるとすれば、「その他の醸造酒」の税率は清酒の税率よりも高く設定されている点であろうか。つまりは儲からない。免許の取得はできても、税率で蹴落とす。こうした足を引っ張る行為が無ければ、現代の日本酒市場はもっと活性化しているのではないか。そう考えてしまう。
なら、そんな足枷の無い戦国時代であれば「クラフト サケ」は受け入れられるのか? 俺の好奇心を刺激する。今回「クラフト サケ」の製造に挑戦するのは、実験の意味合いが強いと言えるだろう。
「それじゃあ、原材料はこれで頼むぞ」
「し、四郎様、ここに書かれている内容は何かの間違いではないのですか? 原材料に葡萄の絞り汁が含まれておりますが」
「おかしな事を言う。新たな酒を作る実験なのだから、何も間違っていないぞ」
「四郎様はこれから仕込む酒が、朝廷への献上品だというのをお忘れではないでしょうか? 敵対する座の会員だった儂を、名誉ある献上品製作に抜擢してくれた心意気には感謝しております。ですが、これで酒にならなかったらどうするのですか? 儂に恥をかかせるのが目的なら容赦はしませんぞ」
「早とちりをするな。葡萄の絞り汁もきちんと酒になるから安心しろ」
「ほ、本当ですか?」
「まあ、俺も説明不足だったか。覚えておいてくれよ。葡萄の絞り汁は、『土岐諸白』の酵母で酒となるからな」
「クラフト サケ」の登場によって活性化した酒市場。これにより、意欲的な新商品が数多く発売されるようになった。
その中でも特に俺が注目をしたのはワインとなる。それもワイン酵母を使用せず、清酒酵母によって発酵させたものだ。俺はこの商品を知るまでワインにはワイン酵母、清酒には清酒酵母が必須だと考えていた。
しかしながら、事実は小説よりも奇なり。清酒酵母があれば、ワインはおろかビールもパンも作れる。それに焼酎も。もう何でもありの世界である。
前世でこの事実を知った時は、納得するまで随分と時間が掛かったものだ。それだけに職人の反応は、当時の俺を思い出させる。何が切っ掛けでこれを調べたのかはとうの昔に忘れてしまったが。
さて置き、清酒酵母で作ったワインは、ワイン酵母で作ったワインより酸味が低下する。穏やかな味になると言っても良いだろう。当然ながら日本酒の味にはならない。ワインは葡萄を原材料とするのだから。
これらの点を纏めると、清酒酵母があれば米も葡萄も発酵させて酒へと変化させる。それも別々ではなく同時にだ。事実現代日本では、同じ材料で作られた酒が「稲とブ〇ウ」という名で発売されていた。味は完全にそのまま。清酒とワインの両方の味が楽しめる。それでいて美味い。両者の相性は良いのが分かる。
加えて戦国時代の甲州ブドウは食べるに止まり、酒造りには利用されていない。また甲州ブドウの皮には、ブドウ果汁をワインに変化させるワイン酵母が付着していないのは有名な話だ。こうした背景も「稲とブ〇ウ」の模倣品を作る切っ掛けになったと言えよう。
半年後にどの様な商品となるかが楽しみでならない。
「はぁ……四郎様がそこまで言うなら、信じましょう。嘘を言って儂に恥を描かせようとしている訳ではなさそうですしな」
「気負わずにやってくれよ。実験だからな。失敗しても誰も何も言わない。とは言え、成功すれば追加報酬を出すから、頑張ってくれ」
今回「クラフト サケ」の製造実験に抜擢したのは、土岐郡の造り酒屋の座に所属していた元会員である。決別して以来、 高遠諏訪家監修の梅酒は評価がうなぎ登り。「土岐諸白」は予約の殺到する人気商品に。粕取り焼酎に至っては、民の晩酌に欠かせない存在となったのだ。これで座の会員が危機感を覚えない方がおかしいだろう。
そんな中、今度は朝廷へと献上する酒の製作依頼が舞い込む。土岐郡内ではその話で持ちきりとなった。
いや、訂正しよう。俺が座の会員の不安を煽るために、
片や人気商品を立て続けに発売して、事業拡大が止まらない。片や客を奪われ経営が傾いていく。加えて座の中で親高遠諏訪家の会員まで出てくるとなれば、未来は無いとさっさと見切りを付けて当家の酒造りを手伝おうとする者達や、造り酒屋そのものを廃業する者達が出てもおかしくはない。偶然が重なった形ではあるものの、この数カ月で土岐郡の造り酒屋の座は組織が弱体化していた。
現在は、長を含めた数名の反高遠諏訪家派と一〇名を超える親高遠諏訪家派が残っているのみだとか。
勿論、元座の会員を新商品の開発実験に抜擢したのは、更なる切り崩しのためである。座を退会してこちらにやって来ても、決して冷遇しない。技術を持っているなら大事な仕事も任せる。こうした姿を見せれば、裏切りもし易くなるだろうと考えてのものであった。
座の解体まであと少し。長が何時泣きついてくるか? これもまた楽しみでならない。
また座との関連では、
動機は大体想像が付く。領内の大規模開発が始まった今でも、城下町にはその恩恵が訪れなかったからであろう。町外れに建設した酒蔵は、増設を繰り返していても所詮は郊外型である。地元商店街に銭は落ちない。俺も俺で工事に携わる人足や大工達、酒造りの職人達の生活に不便が出ないようにと、食事や酒を提供する店や身の回りの物を購入できる店を近くに幾つも併設したものだから、尚更であった。
加えて当家が新たに分捕った領地は、どちらも交通の要衝である。
しかし、これが高山城下の町衆を不機嫌にさせる。
人は上手く行かない時、誰かや何かのせいにしたがるものだ。個人的には新座に加盟して新たな生活を始める形で良かったと思うのだが、相変わらず誰もその門を叩いてくれない。やって来るのは、当家の事業を手伝わせてくれと言ってくる者ばかりである。
お陰で城下の商店街は一切活性化しない。それが悩みの種である。仕方ないのでもういっそ、当家主導で新たな大規模事業を城下町で始めた方が早いのではないか。最近はこう考えるようになっていた。
新座自体は機能している。当家の要の一つだ。但しその中身は、高頭諏訪家事業部統括となっており、民間の参画者は今も皆無である。理念と現実は違うのだろう。悲しい話だ。
「新座の会員を増やしたいな。
「四郎様、それは良いのですが、貸した銭はきちんと回収できるのですか?」
「貸付けは商い限定にする。だから返済できなかった場合は、設備を丸ごと当家で差し押さえれば良いんじゃないか? そこを再利用してまた新たな商いを始めれば良い訳だろう?」
「それなら買収をした方が早いと思いますが……」
「……そうか。そうだな。その方が早いか。爺、高山城下の町衆に廃業を検討している商いがあれば、当家に売るよう告知をしておいてくれ。面倒を掛けるな」
今も俺自身は、新座の構想自体を間違っているとは考えていない。この時代は倫理観や法整備も含めて何もかもが未成熟なのだから、野放しにしておけば末端の消費者が必ず痛い目を見る。それを未然に防ぐための組織は必要だからだ。
とは言え、このままではその理念も絵に描いた餅となる。だからこそ梃入れが必要な時期だと感じた。買収はその第一歩となろう。
やり方が良かったとは言えないが、高山城下の町衆もこれで完全に当家の支配を受け入れたのだ。ならばこちらも、以前座の長に語った大言壮語の実現に舵を切る頃であろう。
さて、次の大儲けは何にしようか。
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