望まぬ再会

 俺が領地の大改革を始めた頃、以前から取り組んでいた事業の一つが実を結ぶ。それも想像以上の形で。


 思えばこの事業は多くの者に影響を与えた。俺がもう少し大人な対応を取っていたなら、高山城下の民達と対立するような事は無かったと今でも思う。きっと良い距離感を保てていたに違いない。


 だが俺はこの事業を、外貨獲得の柱の一つとしたかった。一地方で細々と稼ぐつもりは無い。畿内製に引けを取らない洗練した商品を目指す。そんな思いが先走り過ぎた結果だと思う。


 そう、ついにあの騒動の元となった清酒「土岐諸白ときもろはく」が完成したのだ。


 水のように澄んだ透明度に果実を思わせる華やかな香り。爽やかな飲み口とスッキリとした後味。俺には酒の味は分からないものの、試飲をした傅役 秋山 紀伊あきやま きいは手放しで「土岐諸白」の味をこう褒め称えて「天下を取れる酒」だと太鼓判を押す。初めて作ったとは思えない程の完成度の高さであった。


 だからなのだろう。「土岐諸白」は売りに出した途端完売する。価格の安さも理由の一つであったと思われるが、澄んだ色を見て五人が買い、香りを嗅いで一〇人が買い、試飲をして全員が買う。気付けば売り切れ。そんな状態だったそうだ。


 購入者の評価も上々。中には大和やまと国で造られた僧房酒よりも、味が良いとまで言ってくれる客もいるという。


 それだけではない。もうこれ以上は買えないと知ると、今年仕込みの分が完成すれば買うと予約まで入る人気の高さ。一つや二つではない。予約は大量に舞い込んだ。お陰で今年の仕込みの前までには設備を拡張して、昨年の三倍仕込みをしなければならなくなってしまった程だ。嬉しい悲鳴とはこういうのを言うのだろう。


 こうしたロケットスタートを切れたのも、全ては販売を担当してくれた諏訪 春芳すわ しゅんほう殿のお陰である。実了 師慶じつりょう しけい様の仲介で美濃みの国や近江おうみ国の有力一向門徒とお近づきになった諏訪 春芳殿は、月に一度は当家の産物を抱えて売り込みや営業を行っていた。その地道な努力の賜物であろう。


 「土岐諸白」に至っては、完成前から営業をしてくれていたのだから恐れ入る。幾ら俺が力を入れて開発していた商品であったとしても、出来が良いかどうかまでは完成まで分からない。中途半端な品質になれば、面目丸潰れとなる危うさだ。そんな危険を冒してくれていたのだから、感謝以外の言葉が出ない。


 何にせよこの賭けに俺達は勝った。売り上げとして考えれば、今はまだ小さな勝利であろう。それでも市場への新規参入を果たし、がっちり顧客の心を掴み取る。ゼロからイチへという最も高いハードルを超えられたのが何より大きい。


 後は慢心せず真面目に作り続けていれば、更なる売り上げ増加も見込めるのではないか。対立した座も俺を認めざるを得ないのではないか。そして、いずれは大量消費地 京にも「土岐諸白」が並ぶようになるのではないか。そんな期待を持たせる結果となった。


 ただ世の中は不思議なもので、そんなぽっと出の「土岐諸白」に目を付けた者がいるのだから驚きである。一体何処でその存在を知ったのか? しかも「土岐諸白」をあろう事か自らの出世の道具として利用しようと考えるのだから、やはりこの時代は侮れない。


 その人物は……もう二度と会う事も無いと思っていた木下 藤吉郎であった。


「じゃからの。儂と勝頼殿との仲ではないか。今以上に信長様から目を掛けてもらうためにも、話題の『土岐諸白』を一つ融通してくれ」


「残念ですが昨年仕込んだ分は既に完売して、在庫は残っておりません。手に入れたいのでしたら、予約を入れて来年までお待ちください」


「完売したと言ってもほれっ、勝頼殿が飲む分は残っておろう。それを一つに儂に回せば良いのだ。それ位できるであろうに」


 そんな木下 藤吉郎は、以前俺を散々に挑発したのはもうすっかり忘れたかのような振る舞いで、尚且つ図々しくも融通を利かせろと迫ってくる。


 俺と木下 藤吉郎の仲? 犬猿の仲以外に何があるというのだ。


「完売した。在庫は無い。それ以外の答えはありません」


「嘘を申すな。勝頼殿は儂の言う事が聞けぬのか? 儂は織田弾正忠おだだんじょうのじょう家の代表としてここに来ているのだぞ。その意味をよく考えろ」


 だが向こうは、俺と違う考えを持っているような口ぶりをする。まるで親分と子分。俺を下に見て、言う事を聞けと強要してくる。


 これで使者を名乗るのだから、信憑性が全く無い。


 加えて、


「護衛も無しに単独でやって来ておいて良く言えますね。それに、書状を一枚も出さない。こんな使者がいる方がおかしいでしょう」


 今回木下 藤吉郎は、たった一人で高山城までやって来た。護衛一人も付けずに。この時点で疑うのは当然だろう。しかし、こう自信たっぷりに「織田弾正忠家からの使い」だと言われてしまえば、門番も通さざるを得なかったではないかと考える。もしくは賄賂を使ったか。


 どちらにせよ大胆不敵な行動である。


「ほぉ、儂を疑うか? もし本当であったなら取り返しがつかぬぞ。織田弾正忠家と戦になっても構わぬのだな」


「ああ、やはり難癖を付けに来ただけですか。分かりました。そこまで言うなら受けて立ちましょう。脅しに屈する高遠諏訪家ではありませんので。お望み通り返り討ちにしてあげますよ」


 だからこそ、こうなってしまえば売り言葉に買い言葉に発展する。俺からすれば木下 藤吉郎には使者の適性は無い。いやそもそもが使者を名乗っておいて、上司である織田 信長殿へゴマすりをするための贈物を欲するというのは職権乱用以外の何者でもないからだ。使者の役割が完全に間違っている。


 ……ああ、それで戦の話を持ち出してきたのか。痛い所を突かれる前に話題を違う方向へと変えて、核心から目を逸らさせる。良くある誤魔化しの手だ。その意図は分からんでもないが、何故ここで戦の話をしたのか? 本当に当家と織田弾正忠家が戦になっても構わないのかと、疑問に感じる。


 俺の隣に居る秋山 紀伊あきやま きい明智 光秀あけち みつひで明智 光秀が今にも声を荒げんとしているのを制しながら、改めて現在の織田弾正忠家の状況を考えてみた。


 外敵は東の駿河今川するがいまがわ家と北の美濃斎藤みのさいとう家。駿河今川家は領国三河での反乱鎮圧を優先しているため、今すぐに織田弾正忠家と争う余裕は無い。美濃斎藤家も同様に足場固めに忙しいのが実情だ。対外戦争はまず無理であろう。


 だがそうした状況は、織田弾正忠家も変わらない。


 尾張おわり国の統一が近いとは言え、まだ国内には織田伊勢守いせのかみ家や弟の織田 信勝おだ のぶかつといった反抗勢力が存在する。また瀬戸せと地区は、駿河今川家の勢力圏内だ。この状況で当家と全面的に争うのは、自殺行為と言って良いだろう。遠征でもしようものなら、背後を突かれるのがオチである。


 また仮に当家と因縁のある岩村遠山家が連携するとしても、こちらには苗木なえぎ遠山家の背後に信濃木曽しなのきそが控えている。接収した明知あけち城には叔父 妻木 信実つまき のぶざねを兵と共に駐屯させている。もし仮に岩村いわむら遠山家が鶴ヶ城に攻め寄せれば、逆に滅亡の憂き目に合うのが確実と言えた。


 つまりは織田弾正忠家が当家へ攻め込んでくるなら、領内深くまで引き込んで反抗勢力の蜂起や味方の増援を待てば良い訳だ。要するに時間稼ぎに徹すれば勝てる。間違っても野戦で壊滅させようなどとは思ってはいけない。


 現在甲斐武田家は越後長尾家との争い真っただ中のため援軍の派遣はできないとしても、この布陣で臨めば問題は無い筈だ。


 しかしながらこの程度なら、木下 藤吉郎も理解しているだろう。だというのに強気な態度を取る。何かこの状況をひっくり返す秘策があるのだろうか?


「ほぉ、威勢だけは良いな。だがそのような考えでは後悔する事になるぞ。高遠諏訪家は尾張国から穀物を買っているのを忘れているようだな」


「まさか」


「高遠諏訪家など尾張おわりからの米を差し止めれば、それで終わりよ」


 なるほど。自信の源はここか。こうした方法があったとは俺も気付かなかった。


 領内の大規模改革に舵を切った今、仕事を求めてやって来た民が増えつつある。それと並行して募兵も行っていた。


 それだけなら何の問題も無いのだが、当然ながら人の増加は消費食料の増加に繋がる。そのため現在高山城の蔵では、穀物の備蓄量が少なくなった。この分なら長期の籠城戦には耐えられないだろう。領地も増え、増えた民を飢えさせないようにしようと蔵を開放して、備蓄していた米を有償で提供していたのがその理由となる。無くなればまた尾張国から買えば良いだけだと軽く考えていた。


 結果として、急激に増えた領地が当家の継戦能力の足枷になっているという話だ。せめて後一年猶予があれば、食糧事情も変わっていただろうに。痛い所を突いてくれる。


 流石は木下 藤吉郎。嫌な奴ではあるが、こうして平気で搦め手を使える所が並大抵の武士とは違う。例え全てが嘘やハッタリだとしても、当家の事情をここまで把握しているのは脅威だ。まだ他にも策を隠し持っている可能性を感じてしまう。そうした万が一を考えれば、この場は押し通せない。とても厄介な相手だ。


 それに俺は、ここ東濃で小さく収まるつもりはない。目的は上洛。そのためにはこんな所で躓く訳にはいかないのだ。目的の実現のためには悔しいが、ここは一旦下がって相手の要求を呑んだ方が賢い。時間稼ぎに徹する。これが今の最適解であろう。


「ははは、確かにこれはお手上げだな。木下殿には勝てないか」


「四郎様!」


「大丈夫だ、爺。木下殿、先程も言った通り『土岐諸白』は既に在庫切れとなっているため、譲る事はできない。物理的に不可能です。だから今回はもう一つの人気商品 梅酒の提供で何とか納得して欲しい。これなら在庫はあります」


「ほぉ、梅酒ときたか。確かにこの酒も、尾張では滅多とお目に掛かれぬな。仕方あるまい。勝頼殿がそこまで言うなら、此度は梅酒で我慢してやろうぞ」


「……」


 この勝ち誇った顔が悔しさを倍増させるが、沈黙は金だと口を噤む。今ここで声を荒げてしまえば、全ては水泡に帰してしまうと自分自身に言い聞かせ、何とか踏み止まった。


 ただ、この俺の態度に気を良くしたのか木下 藤吉郎の口は留まる所を知らず、更に要求を突き付けてくる。


「時に勝頼殿、何か忘れておらぬか?」


「一体何でしょうか?」


「此度は儂の寛大な心で梅酒でも我慢すると言っておるのだぞ。それに対する誠意を見せておらわねばな」


「木下、貴様!!」


「爺、光秀、俺は大丈夫だから落ち着け。ならこれで良いですか? 木下殿、今回は当家の不備により要望の品を揃えられなくて申し訳ない。伏して謝罪します」 


 そう言いながら俺は床に手を付いて頭を下げる。この程度を乗り切れなくては、甲斐武田かいたけだ家の天下取りなど絶対にできないと自分に言い聞かせながら。


「なかなか潔いな。良かろう。勝頼殿の誠意は伝わった。儂の気持ち一つで米の販売が止まるのを忘れるでない。それと儂への賄賂も用意しておくのだぞ。信長様が梅酒を気に入れば、以後儂が織田弾正忠家への販売の取次をするのだからな」


 木下 藤吉郎の高笑いが部屋に響く。たった一人で、しかも口先だけで屈服させるこの手腕は、見事と言うしかない。俺は今後もこうした魑魅魍魎を相手取らなければならないのだと思うと、空恐ろしく感じた。


 だが、逆にこうとも思う。今日のは貸しだと。いずれ何倍にもして返してもらうとも。


 やられっ放しではいられない。この高笑いを、次は絶望の嗚咽に変えてやろうとそう固く決意した。

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