煎餅の魅力

 木下 藤吉郎との二度目の出会いは、俺の思慮の足りなさを見透かされたようなものとなった。織田弾正忠おだだんじょうのじょう家が当家を警戒するようになったと考えていても、何処か楽観的であったのだと思い知る。


 戦にルールは無い。使える物は何でも使う。勿論嘘も。俺はそんな当たり前を忘れていたようだ。


 加えて二年後には、甲斐で飢饉が起こる可能性がある。俗に言う永禄の飢饉だ。それに備えて穀物の備蓄を始めなければならなかったというのに、つい自領の発展のためにと後先考えず使ってしまう。無ければ尾張から買えば良いとするのは、甘い考えだと気付かされた。


 今回の一件を教訓として、尾張おわり国への依存度を減らすために俺は新たな穀物の確保先を探す。そこで行き着いた所は、西三河みかわからの輸入であった。


「どうして近江おうみ慈敬寺じきょうじ実誓じっせい殿がここに来るのでしょうか? 東海地方の管轄は、確か尾張国 願証寺がんしょうじだったと記憶していたのですが」


「一面ではそれは正しいでしょう。ですが高遠諏訪たかとおすわ家は、近江国の一向門徒との繋がりの方が強いですからな」


 バリッ


「……さすれば、おおっ、……何という香ばしさ。これがあのサワガニとは……三河国 土呂本宗寺とろほんしゅうじ寺への口利きは、当寺が行う方が都合良いとは思いませぬか?」


「確かに接点の無い願証寺に頼むよりも合理的ではありますね。とは言え紹介状一つで良い所を、この高山たかやま城まで直接来て頂けるとは。何か理由があっての事でしょうか?」


「ふうむ。調理自体は単純なのに、味わいは複雑。これは止まらない美味しさですな」


「実誓殿?」


諏訪すわ様、どうされたか?」


「誰も取りませんので、食べるのは話が終わってからとしませんか?」


「これは失礼した。名残惜しいが、残りは後で頂くとしましょう。そうそう、拙僧達が高山城まで来た理由ですな。今後を考えて、高山城下に道場を開かせてもらおうと思いましてな。その許可を頂くために足を運びました」


 東濃とうのうの地は美濃みの国中心部との接点が少ない。これは尾張国に繋がる下街道が比較的穏やかな道のため、皆が道の悪い東山道よりも選択するというのが主な理由だ。また東山道は木曽きそ川越えに難所がある。これも中美濃、西美濃との接点を減らす理由となろう。甲斐武田家が美濃国攻略に舵を切らないのは、東濃事情の複雑さもあるが、一番は道の険しさによるものと考えた方が良い。


 こうした事情もあり、当家が西美濃の穀倉地帯から穀物を大量に購入するのは難しいのだ。


 ならばともう一つの穀倉地帯である西三河から購入すれば良いのではないか? 西三河なら矢作川の水運を使えば領内近くまで運び込める。そこから馬に乗せ換えて運べば、比較的安全に領内に穀物が運び込めるという寸法であった。


 なら先程話題に出た土呂本宗寺や、その下部組織の三河三ヶ寺の役割はどうなるかと言えば、矢作川の通行利権を持つ極めて重要な存在である。西三河が駿河今川するがいまがわ家の勢力圏内だとしても、一向宗の寺内までは干渉できないのも強みだ。ある種の治外法権である。


 これに加えて現在の三河は、三河忩劇と呼ばれる内乱の真っ最中でもあった。


 だからこそ今なら駿河今川家を出し抜いて、西三河の穀物をこちらへ横流しする段取りができるのではないか? 要は三河国一向宗の寺と仲良くなり、戦乱のドサクサに紛れて穀物をこちらに流してもらうというものだ。こうしてリスクの分散を行っていれば、仮に尾張国からの米を止められた所で痛くも痒くもない。


 そういった事情で、何とか三河国一向宗の最上位である寺 土呂本宗寺に口利きをお願いしようとしたのだが、ここで何故か願証寺ではなく近江国 慈敬寺が噛んできたという訳だ。よく分からない。


 とは言え、俺としては土呂本宗寺に仲介さえしてくれるなら、相手がどの寺であろうと問題は無い。願証寺から文句が出ない限りは、流れに任せておこう。そんないい加減な考えである。


 その上今回は、高遠諏訪領内に一向宗の道場を設立してくれるというのだ。一向宗とは今後も良い関係を続けたいため、まさに渡りに船と言えよう。当然ながら俺は、断る理由を持っていなかった。


「不躾なお願いを聞いて頂き、誠にありがとうございます。今後も良いお付き合いがしたいものですな」


「同じくですね。こちらこそ宜しくお願い致します」


「それでですな、物はついでという訳ではないのですが、高山城には連絡役として拙僧の息子を残していこうと思っております。空誓くうせい、諏訪様にご挨拶しなさい」


「──!! ゴホッゴホッ」


「あっ、慌てなくて良いから、取り敢えず茶でも飲んで落ち着いてください。挨拶はそれからで大丈夫ですよ」


「……失礼しました。このサワガニ煎餅がとても美味しく、つい夢中になっておりました」


「嬉しい事を言ってくれますね」


「では改めまして堅田かただ 慈敬寺四世 実誓が子、空誓くうせいです。諏訪様、宜しくお願い致します」


「四郎で問題でありません。私は諏訪とは言っても、分家の高遠諏訪家当主ですからね。堅苦しくする必要は無いと思いますよ」


 実誓殿から紹介された空誓殿は、最初こそ突然回ってきた出番に驚いてむせていたが、それも少しの間だけ。すぐに正気を取り戻して、俺相手にも折り目正しく挨拶をする。


 「冷静だな」と素直にそう思った。


 それでいて肌は日に焼けて赤黒く、引き締まった顔。これだけで普段屋内に籠っていないのが分かる。


 それだけではない。空誓殿は一向宗中興の祖 蓮如れんにょ殿の直系に当たる。この毛並みの良さでも、横柄に振る舞うどころか謙虚そのものなのが素晴らしい。こういうのを貴公子然と言うのだろう。


 しかしながら、ここで一つの疑問が浮かび上がる。何故空誓殿は京に上って、より高度な修行を行おうとしないのか? 連絡役なら空誓殿に拘る必要はない。こう考えると空誓殿が東濃にやって来たのは、訳アリなのだろうと思われる。俺と同じ匂いを感じた。


「見るからに二人は年齢もそう変わらない筈。是非仲良くしてやってくだされ」


「そうなのですか? 空誓殿、私は天文一五年 (一五四六年)生まれです。空誓殿は何年生まれですか?」


「拙僧は天文一四年 (一五四五年)生まれですので……確かに年齢は近いですね」


 とは言えこうも実誓殿が距離を詰めてくるのを見ると、単なる信者獲得を目指して東濃にやって来たのではないと分かる。目的は恐らく当家との商いを見据えてのものだ。


 東濃はこれまでは美濃国中心部との接点が少ないために布教が後回しとなっていたが、高遠諏訪家の台頭によってそうも言ってられなくなったのだろう。しかも当家には「土岐諸白ときもろはく」を始めとした、他には無い強みがある。それをいち早く押さえ、願証寺を出し抜きたかった。そんな所ではないか。青田刈りに近いものがある。


 可哀想なのがそんな思惑に振り回される息子の空誓殿となるが、よく考えれば悪い事ばかりではない。東濃で何らかの成果を出せば父親にも認められ、中央復帰もあり得る筈だ。彼にとっても今回の件は良い機会となる。


 そう考えれば俺も遠慮する必要はない。この機を利用すれば、当家に足りない物を手に入れられる。具体的にはせきの刀匠や品質の良い鉄の手配等々だ。諏訪鉄山から産出される鉄鉱石はたたらにも適合しているのは良いのだが、如何せん出来上がる鉄の品質が悪い。これでは火縄銃を作った所ですぐに駄目になるのが見えていた。


 甲斐武田家は鉄を自前で用意できる環境にあっても、それが武装の強化に繋がる訳ではないという悲しい現実である。鍋や農具辺りなら問題は無いのだがな。


「時に四郎様、このサワガニ煎餅は火熨斗ひのし (アイロン)を使って作っているのでしょうか? 熱を加えて潰しているのは分かるのですが、火熨斗でこうも平らになるものか疑問でして」


 そうこうしていると話題は、またも用意したサワガニ煎餅へと戻る。実誓殿はこれが随分とお気に召したらしい。


 煎餅自体はこの戦国時代でもある。但し、それは一般的ではない。調理の仕方もこれとは違う。それだけにサワガニ煎餅を全く新しい菓子だと認識したのかもしれない。


 今回実誓殿に振る舞ったサワガニ煎餅は、サワガニをプレスして焼いただけの簡単なお菓子である。そのままだとバラバラになってしまうので、片栗粉をまぶして水で溶いた小麦粉を上に乗せた。工夫と言えばこの程度の誰もが作れるお菓子だ。


 しかしながら機材は、この時代では特別製となる。平たく言えば大型の万力だ。これを鉄板に見立て、サワガニその他をプレスする。加えられた熱によってこんがり仕上がる形となる。ネジの原理を応用したプレス機第一号が、このサワガニ煎餅製造器であった。完全に技術の無駄遣いである。


「実誓殿、残念ですがサワガニ煎餅は当家で作った特別な機材でしか作れません。……と言っても、それ程特別じゃないか。どうです? 作り方をお教えしましょうか? それとも機材を増産した時にお譲りする方が良いでしょうか?」


「よ、宜しいのですか? 是非機材を購入させてください。銭は幾らでも払いますので」


「大袈裟ですよ。適正価格で問題ありませんので、出来上がりましたら連絡致しましょう」


「何と。これは機材が完成するのが楽しみですな。首を長くして待っておりますぞ」


 こんなやり取りをした新作菓子 サワガニ煎餅が開発されたのは、とても俗な切っ掛けである。


 領内で道普請、新たな建物の建設が始まり、近頃の高遠諏訪領には人足が溢れるようになった。そうなると人足が飯を食う、酒を飲む、博打を打つ、女を買うとなるのは自然な流れである。


 飯は言わずもがな、酒は酒粕から作った安酒 粕取り焼酎を提供するとなれば、町も賑わう。この時ちゃっかり粕取り焼酎という座に対抗する新商品を出したため、座には更に恨まれた事だろう。


 そして酒にはツマミが必要だ。ツマミは安価で食べ応えがあれば尚良い。こうして開発したのが、川で穫れるサワガニを潰したサワガニ煎餅であった。


 そう、俺に悪気はない。あくまで懐に優しいお菓子兼ツマミを開発したに過ぎない。


 だが実際はどうだ。浅葱お姉さんや家臣達に試食をしてもらった所、大好評となる。このサワガニ煎餅を地域の名物にするべきだと声が上がる。潰すのはサワガニでなくても良いのではないか? 握り飯を潰しても美味いのではなかろうか? と、次なる新商品を開発するべきだ等々、家中を揺るがす騒ぎとなった。何故か。


 けれども俺はそんな声を無視して、一日の労働の疲れを癒す一杯のお供に、粕取り焼酎が飲める店に独断でサワガニ煎餅を置くよう手配する。


 するとどうだ。店では連日酒よりも煎餅の方が売り切れるという良く分からない事態が起きていた。


 ここまでの人気商品なら当家への来客に出しても大丈夫だろうとなり、今日に至る。反応は予想以上のものであった。


 傅役の秋山 紀伊あきやま きい辺りは、このサワガニ煎餅を高級菓子に仕立て上げたい素振りを見せているが、所詮この商品は低予算で作られた庶民のお菓子である。作り方を秘匿した所で、いずれ誰かが発見すると考えている。


 だからこその機材販売であった。真似をされる前に稼げるだけ稼ぐ。俺にはこれで十分である。


 何にせよ、当家は早急に力を付けなければならない。織田弾正忠おだだんじょうのじょう家に屈しないために。ひいては木下 藤吉郎に吠え面をかかせるために。


 だからこそ使える物は何でも使う。煎餅が繋ぐ高遠諏訪家と一向宗。俺らしいと言えば俺らしい形であろう。



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空誓 ─ 徳川 家康の犠牲者。父は蓮如の孫、母は四条隆永の娘という生まれながらのサラブレッド。但し、嫡男でなかったためか慈敬寺は告げなかった模様。1561年に娘婿として三河 本證寺の住持を継ぐ。その翌年には大僧都となった。

1563年、徳川 家康の挑発を受けて、勝てない戦いと分かっていても三河一向一揆を起こす。徳川 家康の目的は一向宗の寺が持つ資産と利権。案の定負けて全てを失った。

その後は紆余曲折ありながらも最終的には幕府に接近。本證寺も復興され、地位も回復した。

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