年下の女の子

 陸路で高山たかやま城へと戻った俺を待っていたのは、美濃斎藤みのさいとう家前当主 斎藤 道三さいとう どうざん殿からのお誘いであった。今回も前回の相模さがみ国行きと同じく、呼び出しの理由が分からない。


 まだ前回のお誘いは安心できた。相手が甲斐武田かいたけだ家の同盟者である相模北条さがみほうじょう家からであったからだ。


 だか今回は違う。美濃斎藤家は敵対国である。しかも斎藤 道三殿は、天文二四年 (一五五五年)の九月には娘婿である織田 信長殿と共に高山城のある美濃国土岐とき郡東部に軍勢を率いて進出している。その後には和睦交渉が持たれたため、現在は落ち着きを取り戻してはいるものの、一触即発の状態である事には変わらない。


 せめて向こうから訪ねてくるなら、まだ理解できる。こちらの身は安全であるからだ。理由も明かさないまま、敵対国の城へと招待するその神経が俺には分からなかった。


 しかもだ。この斎藤 道三殿は毒殺をも平気で行う乱世の梟雄でもある。これでは死にに行くのと同じと言えよう。普通の神経ならほいほいと呼び出しに応じる筈がない。


 だからこそ俺は敢えて踏み込む。斎藤 道三殿の真意を確かめるために。


 当然ながら室住 虎光むろずみ とらみつ様以下からは猛烈な反対に合うものの、勝算があるとして何とか宥める。そんな経緯を経て、俺は現在の斎藤 道三殿居城である大桑おおが城を訪ねた。


 そこで待っていたのは、


「ささ、四郎殿。思う存分食べるが良い。料理も酒も上等な物を用意しておるでな。そうだ、浅葱あさぎよ。四郎殿にお酌をしてやれ」


「四郎様、どれも美味ですよ。早うお食べくだされ。そうでなければ、某が四郎様の分も食べてしまいますぞ」


 これまでの緊張感を返してくれとばかりの歓待である。


 それと保科 正直ほしな まさなおは、護衛の仕事を忘れないようにしよう。


 さすがにこの歓待は予想できなかったものの、斎藤 道三殿が俺に友好的な態度を取るのは最初から分かっていた。理由は美濃国状態の変化にある。俺の訪問先が美濃国の山中にある大桑城だという点に全てが集約していると言って良い。


 契機となったのは、昨年の一一月に起きた暗殺事件だ。美濃斎藤家現当主の斎藤 高政さいとう たかまさ殿 (この頃は范可はんかと名を改めていたようだが便宜上高政で統一)が、仮病を装って自身の弟二人を呼び出し家臣に殺害させている。


 この事件によって斎藤 道三殿は、正式に嫡男 斎藤 高政殿との決別を決意。居城を大桑城へと移した。実際には命の危険を察して逃げ出したと言った方が正しい表現かもしれない。


 詰まる所現在は、美濃国中を巻き込んだ盛大な親子喧嘩一歩手前の状況となる。そのため斎藤 道三は一人でも多くの味方が欲しい。だからこそ俺は命の危険は無いと判断し、大桑城へ訪問ができた。


 今回俺を呼び出したのは、斎藤 高政殿の動きを警戒して身動きが取れなかったためだと考えた方が良い。それだけ切迫した状況なのだろう。


 戦国時代は下克上の時代だと良く言われるが、これは結果だけ見た場合の意見である。実際には身分制は今も根付いており、安易に下克上をしようものなら周りから総スカンを喰らう。


 そう、俺のような弱小領主との友好を深めなければならない程、斎藤 道三殿は追い詰められている。美濃国元守護 土岐 頼芸とき よりのり様を追放して実権を手にしたまでは良かったが、家臣達が従わない。それに留まらず、今度は斎藤 高政殿を神輿にして斎藤 道三を排除しようと動き出したのが現在の状況だ。


「浅葱は儂の末の娘でな。普段から馬に乗って駆け回るような男勝りな部分はあるが、中々の器量良しだ。目に入れても痛とうない程可愛がっておるのよ」


 なら同じく強引な手段で当主交代をした甲斐武田家や出雲尼子いずもあまご家はどうなのかと言えば、そもそもの経緯が違う。実家の甲斐武田家で祖父 武田 信虎たけだ のぶとら様が追放となったのは、天災・重税・インフレのトリプルコンボで苦しむ甲斐の民に免税などの徳政を行うためとして決行された軍事クーデターであり、親子不和のような個人的理由ではない。もし個人的な理由であったなら、周辺諸国や重臣達から大きく非難されていただろう。


 出雲尼子家の場合はもっと簡単な理由だ。主君が死亡し跡継ぎもいない状態となったために、幕府公認の元に尼子 経久あまご つねひさ殿が出雲国守護に就任しただけである。ただでさえ纏まりの無い出雲国で強引な守護職簒奪を行っていれば、確実に内戦が始まっていた。


 こうした事例からも分かる通り、意外と純粋な下克上は存在しない。いや、行ったとしても自身の身の破滅を招く。


 つまり斎藤 道三殿は、これまで溜まったツケを払う必要があるという訳だ。


「諏訪様、どうぞお一つ」


「……」


「どうかされましたか?」


「いや失礼。浅葱殿がお美しいので、つい見惚れてしまいました。あっ、私へのお酌は、水で大丈夫です」


 気が付けば隣に座っていた浅葱殿が酒を注ごうとするも、盃を手に取るのを忘れてついついじっと見てしまう。この時代の身分ある女性にもこうして健康的な少女がいるのだと思いながら。


 これまでずっと甲斐国から出た経験が無かったためか、どうにもこの時代の女性に対する認識が歪んでいたらしい。美人薄命と言えば聞こえは良いが、どう見ても不健康そのものだった母上や明らかに栄養失調で頬がこけているのが俺の知っている女性達だ。何度か見た正室の三条の方様も、普段から外に出て体を動かしたりはしないのだろう。そんな印象を受ける方だった。


 そこ行くと目の前の浅葱殿はどうだ。まだ春の訪れていないこの時期でも肌の血色は良く、目には生命力を感じさせる。こうした元気溌剌な美少女が隣にいると、何だか嬉しくなってしまう。


「……本当にそう思いますか? これを見ても」


 ただ俺の余計な一言が良くなかったのか、先程までのにこやかな顔付が突然能面のような表情へと変わる。そうかと思うとその場で立ち上がり、俺を上から見下ろしてきた。


 見るからに身長は一五〇センチを超える。俺がまだ一四〇センチ強でしかないため、約一〇センチ高い計算だ。戦国時代は栄養状態が悪くて現代よりも平均身長が低いというのに、これだけでも良い環境で過ごしているのが分かる。現代ならバレーボール選手辺りが似合っていただろう。


「それがどうかされましたか?」


「今の私の姿を見れば、思う所があるでしょうに」


 またこの時代は、女性の身長が高いだけで男性に敬遠され……は、現代も同じか。俺はむしろ手足が長くてスラリとした女性が好みのため、浅葱殿の姿を見ても好感しか感じない。


「何が言いたいのか分かりませんが……そうですね、小さくて愛らしい位ですかね」


「……諏訪様も同じくお立ち頂けますでしょうか?」


「これで宜しいでしょうか?」


「もうこれで分かるでしょう。私が諏訪様より身の丈が大きい事を。それでも小さいと言われますか?」


「勿論ですよ。数年後には逆転しているのですから、何も間違っていません」


 ただそれをそのまま伝えても面白くないため、今回は少し迂遠な表現をしてみた。戦国時代は風邪を拗らせただけで死亡一直線である以上、俺も体作りには余念がない。そのため、これから成長期に入れば更なる身長の伸びが期待できる。今の言葉は嘘にはならないだろう。


「何それ、生意気。でも……悪い気はしないかな。父上、浅葱はこの四郎君を気に入りました。このまま話を進めてください」


「えーと、四郎……君?」


「そ、四郎君は四郎君。これから四郎君は、私を浅葱お姉さんと呼ぶように」


「浅葱殿、口調が変わってしまってますが……」


「今言ったばかりでしょう? 浅葱お・ね・え・さ・ん! ほらっ、言ってみて」


「ですから浅葱殿」


「浅葱お姉さん!」


「……分かりました。浅葱お姉さん」


「分かれば宜しい」


 それが良かったのか悪かったのかは分からない。この豹変ぶりを見ると打ち解けたと思いたい所だが、何やら雲行きが怪しい気がする。


「それよりも、あさ……はぁ……浅葱お姉さん。先程私を気に入ったとか一体何の話でしょうか?」


「何って、四郎君がお姉さんを娶るかどうかの話じゃない。最初は嫁ぐ気は無かったけど、今の一言で気が変ったわ。正室になってあげるから、必ずお姉さんより大きくなるように」


「ああなるほど。そういう話ですか。残念ながら、それは無理ですよ」


「どうしてよ! 四郎君はお姉さんが嫌いなの?」


「浅葱お姉さんの事は好きですよ。ただそういう話ではなく、私の実家の甲斐武田家が斎藤 高政殿を支援している以上は、斎藤 道三殿に肩入れできないだけです」


「斎藤 高政はお姉さんの兄上よ。それに父上は既に隠居しているのだから関係無いでしょうに」


「それでもです。婚姻の仲介が斎藤 高政殿であったなら、また話は変わってくるんですけどね。それに私は甲斐武田家当主 武田 晴信の子ですので、勝手に婚姻相手を決められないのもあります」


 今回の大桑城訪問を皆が反対したもう一つの理由がこれである。甲斐武田家は美濃斎藤家と敵対していても、その裏では嫡男の斎藤 高政殿と繋がっていた。斎藤 道三殿が隠居する以前より金銭的な援助を行っているため、実態は同盟関係に近い。


 要は斎藤 道三殿が隠居して当主を譲らなければならなくなった原因の一つが、甲斐武田家にあるという話であった。だからこそ俺の立場では、この方針は変えられない。


 それに俺は既に北条 幻庵ほうじょう げんあん様の娘が婚姻の相手に内定としている。同盟国 相模さがみ北条家の顔を潰さないためにも、ここから違う相手への変更はまず考えられない。


「父上!」


「さすがは一一歳で高山城主をしておるだけはあるの。しっかりしておるわ。浅葱も四郎殿を見習わなければならんぞ。活発なのは良いが、武家の娘としては落ち着きが足りぬようだ」


「取り乱してしまい失礼しました」


「うむ。それで良い。時に四郎殿、戯れに老い先短い爺の話を今から聞いてくれぬか?」


「聞くだけで良いのでしたら構いませんよ」


「実はな、儂はもうすぐ息子高政に対して起死回生の戦を仕掛けるつもりじゃ。多分負けるだろうがな。そこでだ。今のままでは儂が討ち死にした後、この浅葱がどうなるか。殺された孫四郎や喜平次の二人と同じ目にあうのではないかと心配しておる。そうならないよう、何とか浅葱を逃したいのだ」


「それはつまり、高遠諏訪たかとおすわ家や甲斐武田家の援軍が欲しくて私を呼んだ訳ではない。浅葱お姉さんの保護が一番の目的という訳ですか」


「その通りじゃ」


 とは言えそれは、あくまでもこちら側の事情でしかない。斎藤 道三殿にもまた違った事情があった。乱世の梟雄も愛娘には勝てないと言えば良いのか、親として子を思う気持ちには善人であろが悪人であろうが関係無いと言いたげである。


 それにしても、戦になればまず敵対する相手に子を託そうとするとは思わなかった。いや、物は考えようだ。浅葱お姉さんが愛娘だけに、寺には入れたくはない。少しでも良い家に嫁がせて長生きさせたいのだろう。


 こうした考えの元に白羽の矢が立ったのが、我が高遠諏訪家なのが何とも言えない。如何に斎藤 道三殿が周りから嫌われているかが分かる状況だ。個人的には親子で娘のいる織田弾正忠おだだんじょうのじょう家を頼れば良いのではと思いつつも、全てを失った斎藤 道三殿が受け入れられる保証は無い。娘婿の織田 信長殿の感情と織田弾正忠家の思惑とは別問題である。


 乱世の梟雄もその末路はとても寂しい。


 ただ悲しいかな今の俺の立場では、斎藤 道三殿の事情を聞いた所で何もできない。浅葱お姉さんの保護さえも、実家の甲斐武田家にお伺いを立てなければ決められない身である。独断専行を行えば、今度は俺の立場が危うくなる。できるのは少しの助言程度であろう。


「そういう話でしたら、浅葱お姉さんだけでも他家に預けるのはどうでしょうか? それも美濃国内ではなく、他国の家に。そこで養女にしてもらえば、斎藤 高政殿も無理に手を出そうとはしないでしょう。そうすれば急いで嫁がせる必要はなくなりますので、預けた先が時期を見てお相手を探してくれるでしょう」


「やはりそれしかないか。浅葱はまだ一〇歳だしのう。二、三年経ってから婚姻しても遅くはないか」


「えっ、浅葱お姉さんはまだ一〇歳なんですか?」


「何じゃ、年上とでも思うておったのか。あの身の丈だ。初めて会うたのなら、そう思うのもやぶさかではない」


 そう言えば斎藤 道三殿は子沢山だったと思い出す。そして浅葱お姉さんは末娘だと言っていた。この辺りが俺にお姉さんと呼ばせる理由なのかもしれないなとふと思う。 


 それにしても年下のお姉さんとはねぇ。生意気なのはどちらの方かと言いそうになってしまった今日この頃である。



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補足


斎藤 道三 ─ 親子二代で美濃国を国盗りした乱世の梟雄。補足する必要がないと思われる程の超有名人。娘の一人が織田 信長の正室。長良川の戦い直前の斎藤 道三は美濃国では完全に孤立し、味方はいなかった。味方は織田 信長だけだったと言われるほど。それ位土岐 頼芸を追放した事件は美濃国は勿論周辺国への影響が大きく、斎藤 道三は想像以上に悪人認定されていた。


斎藤 浅葱 ─ 名前や性格は完全にでっち上げ。モデルとなったのは斎藤 道三の娘で織田 信長の養女となり、畠山 秋高に嫁いだ女性。相手と経緯から、かなり行き遅れた女性だったと考えられる。そのため、行き遅れた理由を身長に設定した。

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