出会いは突然に

 年も明けた弘治こうじ二年 (一五五六年)の一月、俺はお隣の尾張おわり国へと足を運ぶ。


 実の所、何故こうなったのか俺自身も分かっていない。それでも甲斐武田かいたけだ家と同盟関係にある相模北条さがみほうじょう家重鎮の北条 幻庵ほうじょう げんあん様より呼び出しを受ければ、何はなくとも向かわなければならないのが小領主の辛い所だ。用があるならそちらから来いなどとは死んでも言えない。


 しかもだ。ご丁寧に案内役まで寄越す始末。これでは逃げようにも逃げられない。


 お陰で俺は、全ての政務を河窪 信実かわくぼ のぶざね叔父上に丸投げして、相模へ向かう羽目となった。尾張国へと立ち寄ったのは、ここから船に乗るためである。旅費は当然ながら北条 幻庵様持ち。さすがは大国相模北条家と言えよう。


 とは言え、最短で相模国へと向かうのは何とも味気ない。そこで俺達一行は、ぶらり途中下車の旅とばかりに清州きよすへと立ち寄る事とした。


 清州の地は俺の最大の敵とも言える織田弾正忠おだだんじょうのじょう家の本拠地である。ならば一度は敵情視察をしておいても損はない。案内役の遠山 康光とおやま やすみつ殿には良い顔をされなかったものの、無理矢理連れだした手前、遊びでないなら強く言えないのが実状である。


「四郎様、あれを見てください。露店が出ております。もしかしたら、食べ物があるかもしれませぬぞ」


正直まさなお、忘れるなよ。遊びで立ち寄った訳ではないからな」


「そうでした。敵情視察、敵情視察と」


 そう、俺達が清州の地に立ち寄ったのは、あくまで敵情視察である。決して遊びではない。


 今回俺に付き従うのは、信濃保科しなのほしな家の保科 正直ほしな まさなおである。あの槍弾正の異名を持つ保科 正俊ほしな まさとし殿の嫡男だ。


 これには……大した事情は無いな。


 現在の信濃保科家は甲斐武田家の直臣ではあるものの、元は高遠諏訪たかとおすわ家の家臣であるという名目で、押し掛け女房的に転がり込んできただけであった。その腹の内は甲斐武田家と高遠諏訪家を天秤に掛け、どちらかの家で良い立場を築こうとしたものであろう。地方豪族の生存戦略の一つと言って良い。


 要は俺が初陣で城を落とす活躍を見せたために、将来性を見込んで早めに唾を付けただけだ。


 ただそれでも、今の俺にこれ程ありがたい事はない。例え動機が不純であろうと人手が増えるのだ。これを利用しない手はないと、早速相模国入りする俺の護衛として抜擢をする。なお一条 信龍いちじょう のぶたつ叔父上と室住 虎光むろずみ とらみつ様には、敵の襲撃への備え役兼兵の調練役として今回は留守番をお願いした。


 問題があるとすれば、まだ元服したての一五歳だからか、役目を忘れてあちらこちらへとふらふらする所だろうか。尾張国が物珍しいのは分かるが、田舎者丸出しの行動は止めて欲しい。


 そんな思いで保科 正直の行動を見ていた所、近くから突然悲痛な叫び声が聞こえてくる。


 声のした方角へ目を向けると、どうやら喧嘩のようだ。現在の清州は城及び周辺で大掛かりな工事を行っているため、荒っぽい連中が増えているのだろう。そこにお節介で介入するのは余計なお世話である。


 ……と思っていたが、前言撤回。これは喧嘩ではない。私的制裁であった。


 現場をよく観察すると、当事者は四人。一人は身なりの良い者で、残りの三名は浮浪者と言ってもおかしくない風体をしている。そんな中で身なりの良い者が一方的に三人を殴る蹴るして危害を加えていた。


「おいおいお武家さまよぉ、穏やかじゃないな。喧嘩なら止めに入るのは無粋と思ったが、どうやらそうじゃねぇ。こう一方的だと、見過ごせと言う方が無理ってもんだぜ」


「正直、素早いな。俺が気付くよりも先に現場に駆け付けたのには驚いたぞ」


 俺が遠山 康光殿達と共に現場に到着すると、そこには暴行を行う者に対して啖呵を切る保科 正直の姿があった。本来ならここは保科 正直を止めるべきなのだが、俺の性格上、こういった場は見過ごしたくはない。そういった思いから、保科 正直に加勢する立場で推移を見守る事とした。


「部外者は黙っててもらおう。これはあくまで罰を与えているだけだ。この三人も納得した上で行っている」


「罰……だと。本当にそうなのか?」


「この三人が足を引っ張るから、普請が遅れておる。その責任を取らすためぞ。銭は儂が出したのだから、当然であろう」


「それなら……仕方ない……のか?」


「正直代われ。ここからは俺が話をする」


 ただ……良かったのは威勢だけのようで、呆気なく言いくるめられてしまうのは頂けない。事情を知らないままに割って入ったのが良くなかったのだろう。これでは何のために割って入ったのか分からない。


 そう感じた俺は、お節介ながらも保科 正直の後を引き継ぐ。家臣の面目を守るためにも、ここは俺が出る儀面だと感じた。相手がもう少し物腰柔らかな対応であればまた違った形になったであろうが、こうも高圧的だと刃傷沙汰に発展しかねない危険な状況と言えよう。


 せめてこの場での暴行を終了させる。これが今行うべき対応だ。


「話は聞かせてもらった。普請が遅れるのが嫌なら、この三人の代わりに違う者達を雇えば良いだけじゃないのか? 罰を与えるのは筋違いだろうに。俺には単なる八つ当たりにしか見えないな」


「小童がしゃしゃり出てくるな。今の清州を見て分からぬのか? 替わりなどそう簡単に見つからんのだぞ。事情も知らぬのに、余計な口出しをするな」


「要は人手不足なのか。……ちょっと待て。それが普請が遅れる理由だろうに。人手が足りないからと無理矢理頭数を揃えても、はかどる筈がない」


「いいや、他の者はきちんとできておる。この三人だけが物覚えが悪く、人より動きが遅い」


 こうした発言を聞くと、時代を問わず気合と根性だけで何とかなると考える者がいるのだと痛感する。もしくは人を道具や何でも言う事を聞く機械としか考えていないのだろう。こうした上司なら、普請が遅れるのは当然であった。


「人が皆同じだと思うな。誰だって得手不得手はある。それ位分か……それよりも、どうして普請が遅れるのをそこまで毛嫌いするんだ? 人手不足で予定通りには進まないと素直に上に報告した方が良いぞ」


 ただ、利を説いて説得した所で、話を聞いてもらえる筈がない。そう考えた俺は、何とか妥協点を探ろうと話題の転換を行おうとするも、


「何を言うか! そのような報告をすれば、織田弾正忠家 ご当主 織田 信長様の覚え目出度きこの儂の、出世が遅れるではないか! 良いか、この儂はな、いずれ一〇〇万の軍勢を率いる未来の大将軍 木下 藤吉郎様ぞ!! こ奴等のせいでつまづく訳にはいかんのだ!」


 こうしてあっさりと拒否される。


 それだけではない。ただ名乗れば良いだけなのに、余計な内容まで加えてくる始末。その名を聞いた時には、「こんな奴が後の太閤秀吉である筈がない」と同姓同名の可能性を考えるも、この出世欲の大きさは秀吉本人と考えた方が良いと結論付ける。それに良く見れば、この時代の成人男性よりも背が小さい。指も六本ある。これだけの条件が揃う別人物を探す方が逆に難しいくらいだ。


 だからこそ、これ以上は関わりたくないと感じた。


「……話が噛み合わない理由が今分かった。この三人は俺達が身請けするから、素直に代わりを探せ。新たな人員も、支払う銭を増やせば見つかる。それで何とかしろ。身請けの銭は……横の遠山殿が支払うから安心しな」


「そ、某が支払うのですか?」


「後日請求書を送ってください。それで支払います。今は手元に纏まった銭がありませんので。この場での支払いはお任せしました」


「仕方ないですな。それなら何とかしましょう。おい、木下とやら。某がこの三人を身請けする銭を支払うから、これでこの場は収めよ」 


 そうと決まれば答えは一つ。話を打ち切るのみ。そう考えた俺は、方針を変更して三人の保護を優先する。俺達の今回の目的は相模国行きである以上、話を拗らせるのは得策ではないと判断した。


 ここからは遠山 康光殿と木下 藤吉郎との金銭的な交渉に入る。とは言えそのやり取りを見る限り、木下 藤吉郎が結構な額を吹っ掛けているのだろう。遠山 康光殿の頬が引きつっているのが、その証拠であった。


「よし三人は、今日から正直の従者にする。正直、面倒を見てやれよ」


「何ゆえこの三人の面倒を見なければならないのですか? 従者なら、某の身の回りの世話をするのが本来でしょうに。役割が逆じゃないですか」


「そう言うなって。ここで三人を自由の身にしても、行き倒れるのが目に見えているからな。それよりも正直が主としての度量を見せる。こういうのも悪くはないと思うぞ。正直も戦場を共にする仲間がいれば心強いだろう?」


「確かにそうですが……」


「なら決まりだ。良かったな三人共」


 その傍ら、俺は三人の身の振り方を決める。最初は俺の身の回りの世話を任せようとも考えたが、素性がはっきりしない者を近くに置けば、またしても飯富 兵部おぶ ひょうぶ達の攻撃材料に成りかねないと判断したため、保科 正直に任せる形とした。


 また三人に素性を聞くと、全員が戦災孤児で行く宛の無い身だという。兄弟や親戚でもなく、偶然ここ清州の普請場で出会った仲なのだとか。この時代では良くある話である。


 そしてこれも良くある話だが、三人には名が無かった。これまで「おい」や「お前」としか呼ばれておらず、それで不自由を感じなかったためにそのままなのだという。


 こうした流れから、保科 正直の主としての初仕事が三人への名づけとなったのだが、これが中々上手く行かない。


「仕方ないな。俺が勝手に名付けるぞ。左から、純、長作、三波 春……じゃなかった、正児な。取り敢えずの名付けだから、良い名を思い付いたら好きに変えろよ」


 そんな他愛もないやり取りをしていた所、交渉が何とか纏まったようで、高笑いする木下 藤吉郎と肩を怒らせる遠山 康光殿という両極端な結果で幕を閉じる。


 どんな内容となったかは聞かない方が良い。世の中には知らない方が幸せな場合があるというもの。


 しかしながら、これで終わりでないのが木下 藤吉郎の真骨頂かもしれない。俺達が背を向けて先を急ごうとした所で、置き土産を残していく。

 

「時に諏訪 勝頼殿。一〇歳で元服し、初陣で敵将を討ち取るだけではなく、城まで落とす活躍を見せた諏訪 勝頼殿。お得意の武勇は、本日はお休みですかな? それともこの木下 藤吉郎に怖気付いたのですかな? あの程度の手柄で天狗になられては困りますな」


「あいつ……」


「良せ、正直。もうこれ以上は関わるな。絶対に振り返るなよ。行くぞ」


「ですが」


「俺は大丈夫だから」


 木下 藤吉郎のこの言葉で俺は全てを察した。俺を初めから知っていたからこそ、こうまで強気な態度に出たのだと。今回の一件はある意味宣戦布告、もしくは東濃に手を伸ばしてきた甲斐武田家に対する警告とも捉えられる。


 現状の美濃みの国情勢は、いつ火薬庫が爆発してもおかしくない。全てはそれが背景にあるのだろう。


 ともあれ、俺も同じく木下 藤吉郎の顔は覚えた。次会う時はこの借りをしっかりと返させてもらおう。



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補足


保科 正直 ─ 槍弾正こと保科 正俊の嫡男。ぱっとしない印象はあるものの、しっかりと天正壬午の乱を乗り切り徳川家臣として家名を残す。血は繋がっていないものの、孫が会津藩初代藩主の保科 正之。


木下 藤吉郎 ─ 後の豊臣 秀吉。補足が必要とは思えない超有名人。性格は残忍で三度の飯より虐殺が好き。明智 光秀と並ぶ虐殺ツートップ。織田 信長に残虐なイメージが付いたのは、木下 藤吉郎と明智 光秀の功績が大きい。

また、高圧的な態度で人に接したり、聞かれてもいないのに自身の功績を自慢する人物でもあった。

世間的には陽気でお調子者とされているが、これは「太閤記」によって捏造された人物像。本当の木下 藤吉郎は、晩年の秀吉と何ら変わらなかったと言われている。戦国版フォーク准将。

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