会心の一撃
だからこそ俺は、今回敢えて川を背にする背水の陣を選んだ。理由は様々あれど、一番大きな理由は、小栗 教久殿を罠に嵌めるためである。
小栗 教久殿は計画的な裏切りを行った訳ではない。俺が弱そうだからという単純な理由だ。そのためこの戦は、突発的に起こしたものだと分かる。今回はこの点がとても重要と言えよう。
だからこそ背水の陣を見て、きっと小栗 教久殿はほくそ笑む。面倒な城攻めをしなくとも、俺を殺せば全てに片が付くのだ。絶対に負けは無いと信じ、我先に手柄を立てようと隊列などお構いなしになるのが見えている。もし俺がいきなり籠城を選んでいれば、こうはならなかったろう。
自信過剰は時として、油断に繋がる典型的な例となった。
「見事なまでに足の遅い兵達が見捨てられてるな。これでどうやって戦に勝つのか聞きたいぐらいだよ」
「四郎よ。自信過剰なのはお主の方ではないのか? この勢いのままこちらの備えを突破されてしまえば、命を亡くすのは四郎の方だぞ」
「
「むぅ、何だそれは?」
「これですか?
そう言って取り出したのは、一メートル程度の竹の中身をくり抜いて貫通させただけの代物。そこに切れ目を入れ、Cの字のようにしてある。弓自体には一切の細工を施していない。
とは言えこのままでは矢を射れないため、クロスボウで使用するボルトを模した短めの専用の矢を用意した。
この管矢は言ってしまえば、矢を滑走路付きにして射るようなものである。それ以外の特別な何かは一切無い。細工は、竹筒の内側を鏡面処理並みに磨いたくらいだ。それと同時に専用の矢を金属製とし、竹筒との隙間を限りなくゼロに近付けている。
こうした射出兵器は、隙間がゼロに近付くと中で簡単に詰まる。そのため何らかの細工が必要となる。例えばライフリングを切った銃身は簡単に目詰まりを起こすため、弾丸の表面を銅で覆ったフルメタル・ジャケットが開発されたのは有名な話だ。銅の滑りの良さを利用して、弾詰まりを未然に防ぐ知恵である。
要は単純な構造に見えて、その実工夫を凝らした兵器であった。
管矢を先頭をひた走り、今にも突撃体制に入ろうとする敵騎馬武者へと向ける。鎧が他の者とは違うため、きっと名のある将なのであろう。自らの武芸に自信を持っているのは分かるが、今回に限ってはカモでしかない。
「まあ、管矢は指揮官キラーだからな。足の遅い兵達と足並みを揃えて進軍していても、どの道結果は変わりはないか。相手が悪かったと思って諦めろ。その首、俺の手柄とさせてもらう。南無八幡大菩薩!」
そう一言は発し、俺は弦から手を離す。その刹那、放たれた矢が先頭の敵将眉間に深々と刺さり、派手な音を立てて馬から転げ落ちた。
「見事な腕前だな四郎。普段から武芸の鍛錬を怠けていたとは思えないぞ」
「一言多いですよ、信実叔父上。それを言う暇があったら、浮足立っている前方の敵を蹴散らしてください。
「そうであった。この好機に乗じなくてはな。この儂が四郎に初陣の勝利を届けてやるから楽しみにしておけ。では後程な」
中東起源と言われる管矢は、朝鮮半島では秘密兵器扱いされていた。その理由がこれである。だからこそ俺は指揮官キラーと評した。
管矢の効果そのものは、そう大きくない。放たれる専用の矢の初速が多少上がるだけだ。二倍にまではならない。後は標的に対して当てやすくなる程度であろう。思った以上に地味なものだ。
但し、これはあくまでも射手側の感覚である。これがいざ狙われる側となると、大きく変わる。その内容は……
まず矢の威力が二倍強となる。初速が上がれば威力がその累乗で加算されるのは、すぐに分かった。これだけでも十分な効果と言えよう。
次に、管矢はまず避けられない。初速が上がるのだから当然と言われそうだが、純粋な和弓とは矢の軌道が変わるのが特徴である。山なりの放物線から、より直線に近付いた軌道へと変わる。これが意外と大きいのだ。矢の軌道を知っている者にとっては。
つまり管矢は、放たれた瞬間に標的へと当たる。単純だが、これが管矢の恐ろしい所であった。
とは言え問題もある。一発一発を竹筒に装填してから放つために、連続発射ができない。威力が上がると言っても、銃弾ほどの威力は無い。実は性能的には微妙と言えよう。
だからこそ日の本へ伝わった時には、鉄砲の下位互換の扱いを受けて普及しなかった。
そんな管矢ではあるが、
「申し上げます。勝頼様、敵将 小栗 教久殿が討ち死に。当家の勝利です!」
「えっ、もう終わり」
「もしかすると、四郎坊主が討ち取った将が小栗殿やもしれぬな。どれ、後はこの爺に任せておけ。追撃をしてこよう」
「
……となると今回の戦は、開始一分もしない時間にKO勝ちか。これぞまさに瞬殺である。
「ははっ。随分と派手なデビュー戦となったものだな。世が世なら超新星といった所か。東濃限定だけどな……」
なら、勝ちを拾って安心するだけでは勿体無い。今はより貪欲に動くべき時だ。
「俺も出る! 本陣の五〇の兵も戦に加わるぞ! 最終目標は
▲ ▽ ▲ ▽ ▲ ▽
御嵩城は開城した。それもその日の内に。総大将の小栗 教久が討ち死にしたのが影響したのか、それとも追撃によって敵の心が折れたのかは分からない。降伏を促す使者を送るとあっさりと承諾をする。徹底抗戦をする気力が残っていなかったようだ。
これにて
ただ、ここで一つの問題が発生する。その問題の解決のため、現在は遅れてやって来た
「此度は援軍を送れず、四郎様の身を危険に晒した事をお詫び致す」
「戦には勝ったのですから、気にする必要は無いでしょう。それよりも顔を上げてください。これでは大事な話ができませんので」
平井 頼母殿がストライキを起こしたのは、これまでは
しかし額を地面にこすりつけて平身低頭する平井 頼母殿の態度を見れば、それが間違いだったと気付く。ストライキを起こしたのは、自身の功績が認められない事による抗議の意味合いが強かったのだと分かった。悪い言い方をすれば、だいの大人が駄々を捏ねたようなものである。
だからこそ役割はしっかり全うしようと、危機の際には駆け付ける。救援が間に合わなかったなら、数え一〇歳のお子様に対しても頭を下げられる。これだけで根は良い人物なのだと分かるというもの。
こんな時ふと思う。
そんな流れから、ある一つの案を俺は提示する。
「単刀直入に言いましょう。私は平井殿に御嵩城を任せようと考えています。高山城の代わりです。この提案を受けて頂けませんか?」
「……それは誠ですかな?」
「条件はありますがね。与力ではなく、正式に私の家臣になってもらうというものですが。甲斐武田家の平井 頼母ではなく、以後
「……理由を伺っても良いでしょうか? 某は此度の戦に兵を送らなかった身です。それをお忘れなく」
「平井殿を高遠諏訪家に迎えたい。これが理由では駄目でしょうか?」
もっと正確に言えば、単純に家臣が欲しい。城を任せられる人材がいない。人手が足りないとなる。
後日父である武田 晴信様より家臣を送り出してくれるそうだが、こちらは手元に置きたい。何より高山城下の開発をする必要がある。そうなると御嵩城には手が回らない。これも理由の一つであった。
要は城を落としたは良いが、管理が面倒なので丸投げしたいだけである。それも信頼できる人物に。
「何と! 四郎様がそこまで某を評価していたとは知りませんでした。だというのに、これまでの非礼の数々。陳謝致します」
「平井殿、私の家臣となれば、陪臣になるのですよ。それでも良いのですか?」
「そのような気遣いは無用です。某を評価してくれる主君の下で励む。これぞ武士の本懐と言えましょうぞ」
「では、今より平井殿は当家の家臣という事で。父である御屋形様には、私から異動を報告しておきます。頼りにしてますよ」
「はっ。以後は頼母とお呼びくだされ。父
こういうのを損して得取れと言うのだろう。平井 頼母殿はまだ二〇代の若さの将だ。これから何十年と働けるため、長年俺を支えてくれる存在となるに違いない。
そのついでと言えば良いのだろうか。俺は御嵩城の敗残兵の一部を自身の軍勢へ組み込む。高山城の城兵五〇だけでは心許なかったため、ようやく一安心できそうだ。これで
本当、小栗 教久殿には感謝するしかない。謀反を起こしてくれたおかげで、その全てが俺の血肉となった。
雨降って地固まる。今日はそんな一日である。
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補足
平井 頼母 ─ 元は甲斐源氏の庶流だったと言われている。戦国時代は小笠原家の家臣であったが、降伏して甲斐武田家の家臣となった。1556年、高山城の死守と御嵩城を落城させた功績によって高山城主となる。その後は徐々に東濃で勢力を拡大するも、1565年から進出してきた織田 信長に戦で負け、降伏。それが原因で今度は父 平井光行に攻められ討ち死に。1568年からは森 長可の寄騎衆となるものの、またしても甲斐武田家に攻められ降伏。境目の領主らしく、所属をコロコロ変えていた。
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